1557 權現鼻=小豆島町古江(香川県)「二十四の瞳」の映画に写った岬として有名?なわけはない…か [岬めぐり]
映画の舞台となった場所やロケ地が「聖地」などと称されて、わざわざそこを訪ねて行ったりすることが流行り始めたのは、いつ頃のことからなのだろうか。でんでんむしも一度、岬めぐりで訪れた人の気配もない片田舎の海岸で、どうやら日本人ではないらしいリュックを背負った青年が、一人でウロウロしているのを見かけたことがある。そこは「セカチュウ」のロケがあったという場所だった。最近では呉の「すずさんの家」なども、訪ねて行く人があるけれど、地元では当初住民は困惑しているなどと報じられていたが、その後はなんらかの態勢も考えられているのだろうか。
名作の舞台がビジネスや地域おこしのネタになることは、今や誰もが知っていて、鵜の目鷹の目で狙っているむきもあるのだろうが、人を寄せて商売ができる条件が揃うケースは、やはり限られているのだろう。
「二十四の瞳映画村」というのが、成功しているのかどうかはよくわからないが、田ノ浦映画村線のバスの終点を降りると、目の前にそれがある。雨の中、そこに降り立つと人もいないのになんだか妙に騒々しい。なんと、映画村のスピーカーから間断なく何かの歌があたり一帯に大音量で流れているのだ。
昔の映画の主題歌かなにか知らないけれど、これには閉口した。と同時に、それだけでそこに入場料を払って入る気持ちを完全に潰えさせてくれた。
權現鼻は、岬の先端のくびれた場所にある映画村の西側に、飛び出している出っ張りの北の端になる。ここも權現鼻のある部分が島のようになっており、わずかに細く平らになったところで半島と繋がっている。映画村は、その平らなっ部分にあり、集落からも離れた辺鄙な場所にある。映画村の海岸からでは、少しその先端部分は陰になる。したがって、バスがウン崎から南下して田浦(地理院地図では「ノ」がない)の集落に差し掛かる付近から見る權現鼻のほうが、その全貌を示している。
岬の先端部が低くなって広がっており、地図で道路の様子などをみると、そこはなにかを栽培している農地か園地のように見える。見えるだけで、そこでなにをつくっているのかはわからない。わざわざ「權」という文字を使っているのにもなにかわけでもあるのか、とは思うが思うだけでなんら答えは見出せない。
ここも前項のウン崎も、住居表示が古江になっているのも、何か不思議だ。この二つの岬のところだけが堀越と田浦と二つの地名を越えて、飛び地のようになっているのだ。その理由もわからない。
權現鼻の北西側には、小さな独立峰のような姿をした飯神山があり、その右手付近が竹生になる。そこに「大石先生の家」があったとすることには、通勤距離の点で矛盾が生じていることは先に触れた。
しかし、壺井栄の原作にいう「片道五キロの本村の小学校」とは、旧苗羽小学校のことであり、「入り江の海を湖のような形にみせる役をしている細長い岬の、そのとっぱなにあった」「村の分教場」が、その田浦分校(旧田浦尋常小学校)のことだと、今では誰も疑いを持つ者はいないようだ。
木下作品のロケにも使われた分教場だったという建物は、現在も權現鼻をほぼ正面に見る田浦の集落に保存されていて、教育関係者の見学もあるのだという。映画村の前には醤油樽をふたつ並べて転がしたバス停があり、ここから分教場までボンネットバスが走ることもあるらしい。映画村の中にも、何度目かの映画で使われたセットがおかれているという。
「なにかのどこか」であることは、やはり重要なのだろう。
Mapionの地図では、田浦の集落の北側に史跡マーク付きで「岬の分教場」とあり、さらにそこから北に離れた丘の上にも同じく史跡マーク付きで「二十四の瞳学校碑」としてある。学校碑? それはいったいなんだろう。
そこは木下恵介監督の映画のロケ地のひとつで、大石先生とこどもたちが電車ごっこをするシーンに使われた場所らしい。「木下監督の生誕100年」を記念して、その生誕地である浜松市から舘山寺桜が贈られ植えられているというが、ごていねいにも官民共同プロジェクトとやらができて、城山というこの丘にロケ地記念碑まで建てられているようだ。
映画の細かいところまでは思い出せないが、おそらくその電車ごっこのシーンでも他の場面でも、權現鼻もきっと写っていたに違いない。となると、「二十四の瞳の映画に写った岬」の碑を權現鼻に建ててやらねばならんかな…。
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