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白保のサンゴ礁は有名だが見つからない柳田国男の歌碑も海上の道に没したのか(27) [石垣島だより]

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 二度目の白保行きは、7キロくらいはゆうに歩くことになってしまった。明和大津波慰霊碑を探して歩き、その足で宮良の集落に降りたが、バスの便とうまく合わず、結局白保まで歩いてしまったのだ。それだけでなく、白保では今度は柳田国男の歌碑を探し回って、またよけいに歩いてしまった。
 白保は、石垣島の地名のなかでも、川平に並ぶくらい有名なのかもしれない。一時期は、ここのサンゴ礁を埋め立てて飛行場をつくるというプランが持ち上がり、地元だけでなく全国から反対の声があがったこともある。また、いつだったかはどこぞの新聞社のカメラマンが、テーブルサンゴだかなにかにナイフで自分のイニシャルを刻み込んだというので、スキャンダルになったりした。
 サンゴは“動物”であるから、いってみれば石垣牛の背中にナイフを入れるようなものだが、こういうことをする人間の心理というのは計りがたい。
 そんな事件で有名になったという側面もあるかどうか、白保のサンゴ礁はとにかく有名である。石垣島には何度か来ているでんでんむしも、白保はいつも390号線を通り過ぎるだけで、海岸まで行ったことがなかったので、今回はぜひ行ってみなければ、話にならない。
 それにまた、島の中心で人が集まって暮らしている場所の、東の端に位置するのが白保である。東運輸のバス路線も、白保線が30分に一本走っている島のメインルートの終点。
 実際に来てみると白保は古くて静かな集落である。ここまで来ると、やっと昔の八重山の民家の風情が感じられる。赤瓦の屋根に、サンゴ石の石垣、屋敷林としては定番のフクギが巡らされている。
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 サンゴ礁に潜りたい観光客向けの施設や店なども、ほとんどないといってもいいくらい。白保のマリンレジャー基地としての意味合いと役割は、もともとあまりなかったのか、今ではもうほとんど薄れてしまったのか…。
 サンゴ礁の海岸は、港ができない。そこで、小舟の係留場所を、海岸の岩を動かして並べて船着き場をつくっている。海岸に建つ「舟溝開碎記念の塔」が意味するものは、固いサンゴの地盤を掘り抜いて、舟を入れる苦労をしたという証しなのだろう。だから「碎」なのだが、その溝もよくわからない。北へだいぶ離れた岸辺には、観光用のグラスボートが一隻、所在なげに浮かんでいる。このへんが溝なのか。
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 ゆるい弧を描いて広がる、白保の海岸は静かで、人っ子ひとりいない。
 遠く、横一筋に白い波の線が、海に潜むリーフ(八重山では「ピー」という)の存在を示している。
 そこに砕ける波の音が、海鳴りのように風に乗って絶え間なく押し寄せてくる。そこにしばらく佇んで、柳田国男の歌碑は、どうして見つからないのだろうと思うが、もちろん一人で考えても真相がわかるわけでもない。
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 確かに、白保に二三か所にある案内看板には、海岸の北のはずれにあると表示してある。ところが、二度もかなり歩いて探したのに、見つからない。見落としたということも考えにくい。
 そこに刻まれているはずの歌は、わかっているから、別に見つからなくてもかまわないのだが、凡人はこういうところも見てみないと気が収まらないだけで、なぜ見つからないのか、というほうがより大きな問題として気になってしまう。
   あらたまの まさごにまじる たから貝
      むなしき名さえ なおうもれつつ

 幼少の頃から非凡な記憶力を持ち、旧家の膨大な蔵書を読破したという柳田国男が沖縄八重山を訪れたのは、1920(大正9)年、45歳のときの一度きりであった。
 そして、『海上の道』を出版するのは、87歳で亡くなる前年の1962(昭和37)年のことで、40年以上も経ってからであった。
 柳田は養子に入った家の名で、実家の姓が「松岡」なのだが、それと関係あるのかどうか(凡人はまたそういうところが気になったりする)、同じ姓を名乗る松岡正剛は、その非凡な読書録である『松岡正剛の千夜千冊』の最後に、この本を取りあげているのだ。
 そして、「日本人はどこから来て、どこへ行くのか。それが柳田の最後に語ろうとしたことだった。」という松岡は、その“第千百四十四夜【1144】2006年5月22日”の稿の最後を、こう締めくくっている
 けれども、柳田はこれを書いた一年後に没した。まさに海上の道に没したのである。ぼくもそのように終りたいものだ。
 う〜ん、やっぱりなにか関係ありそうだな。 凡人には、そんなことしか書けない。
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dendenmushi.gif沖縄地方(2012/01/28 記)

 柳田国男の歌碑⇒思ひやる八重の汐々…石垣島の柳田国男の歌碑は三度目の正直でやっと“発見”(40) (石垣島だより シーズン2)

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コメント 2

ぱぱくま

ご無沙汰してました~。
石垣島の記事もだいぶ進まれましたね!
白保の青サンゴは有名ですけど、この時期はさすがに閑散としてますね・・
前回の旅行では素通りしてしまい立ち寄れませんでした。
島内バス移動ものーんびりして石垣島気分を満喫できそうです♪
by ぱぱくま (2012-01-28 10:40) 

dendenmushi

@石垣島だよりも、いよいよ終りです。そういうと、“シーズン2”は、いつやるのかと聞かれましたが、それは未定。
次には、宮古へも行かないと…。
やっぱり、今は海はシーズンオフなんですかね。
by dendenmushi (2012-01-29 07:18) 

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