734 関野鼻=羽咋郡志賀町笹波(石川県)志賀も笹波も広く岬の上にも震災の影響が… [岬めぐり]
羽咋郡志賀町の町域面積は、かなり広い。246.55平方キロメートル…そういわれてもちっともピンとこないが、ごくごく大雑把にいえば、南北は能登半島の西側海岸線のほとんど8割近くを占め、東西は能登半島南部のほぼ半分以上におよぶ。
北は輪島市(と穴水市)、南は羽咋市、東は七尾市(と中能登町)に接した、南北に長い町であるが、当然のようにここも合併でそうなった。
旧志賀町と高浜町の新設合併が1970(昭和45)年、その志賀町と富来(とぎ)町の新設合併が2005(平成17)年と、主にこの二度の合併で、縦長の町ができた。
志賀町と書けば、つい「しがちょう」と読んでしまうが、ここは「しかまち」。その北端は志賀町笹波。この「笹波」がまた、字地名としてはめっぽう広い。輪島の黒崎から志賀の黒崎付近までおよそ5キロもの海岸線をもっているうえに山のほうまで含んでいる。
そのなかに、5つの岬がからんでくるのだが、その第一がまず関野鼻。
岬めぐりから帰ってきて、この原稿を書く前になって、ネットで「関野鼻」を検索してみた。すると、“関野鼻パークハウス”といった記事や写真のページが、たくさん出てくる。ところが、(他人のことはあまり言えないのだが)個人でも法人でも、ホームページに載せても、その情報を現在に合わせて更新しているものは案外に少ない。
ここは、2007年の能登半島地震の前までは、よく知られた観光地であったらしいので、たくさんの情報があるように見えるが、そのほとんどが地震前のものだ。
カルスト地形なので、石灰質の特徴でさまざまな奇巌が連なっているらしい。これは、日本海の沿岸では珍しいのだという。地震で関野鼻とその上にあった関野鼻パークハウスは、大きな被害を受け、岬一帯は立入禁止、施設は営業が成り立たなくなって閉鎖したままになっている。
その状態は、現在まで続いているので、岬に入るのは遠慮した。だが、それでも柵を越えて立ち入る人も多く、このままでは危険なので、なんとか関野鼻をもう一度観光スポットとして整備しなおし、甦らせたいという動きがでてきたようだ。
そんなことも、初めてここへきて、この看板を見てやっと知った。要するに、パークハウスだった建物と土地を、“復興活用物件”として、新たな借り手によって復活させてほしいということで、具体的なプランがあるというわけではなさそうだ。
この看板がいつから立っているのか知らないが、観光スポット復興の道も険しそうである。地震被害の影響は、いろいろな形で残る。
県道に入って川の切れ込みに沿って行くと、北側から見るのとはまた随分違う、別な場所のようにも見える、黒崎の南側が展開する。
そこからカーブを曲がり切ると、なるほど、目の前に展開する関野鼻の景色は、岬と入江と岩島と絵のように整って見えるが、新しい地肌を露出した崖など、地震被災の跡もある。
前項の黒崎の上にあった茶屋も、同様の事情で閉鎖されていた、と解してよいのだろうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度12分52.04秒 136度41分19.62秒
北陸地方(2011/09/08 訪問)
風光明媚な良いところなのですが、それだけではダメなんでしょうか。
写真にも人の雰囲気は感じられませんねえ。
by ナツパパ (2011-12-26 20:08)
@景色で人は生活できないでのですね。黒崎の琴ヶ浜から、この関野鼻を中間点として、次の岬の北脇崎まで、ほとんど人家はありませんでした。
by dendenmushi (2011-12-27 07:17)