098 八幡岬=勝浦市浜勝浦(千葉県)歴史の不思議さを伝えてくれる岬に立つ [岬めぐり]
「八幡岬」という同じ名前の岬が、ここ勝浦と大原に並んであるのもおもしろいが、まずは勝浦のほうである。勝浦にも、何度か来ているが、この町はかつおの水揚げがトップクラスのかなり大規模な漁港を構え、巨大な観光温泉ホテルもあり、よそから訪れる人も多いらしい。名物となっている“朝市”の通りを中心に、商店街もなかなかの活況を呈している。
岬まで行くのは、今回が初めてだった。見覚えのある駅前からは、とりあえずタクシーで、長い漁港の横の道を南下し、全体が公園になっている岬の入口まで行く。
さまざまな手入れがされ、案内板などもあちこちにあり、道も整備されているが、ここは勝浦市が管理しているようだ。ほかにいい例えもないのでピストルを突き出したような岬の先端は展望台になっていて、そこから見える引き金の部分には灯台も立っている。
海岸は、切り立つ断崖絶壁で、砂浜などはない。
この岬には、戦国時代には城があった。岬に城、というのもよくあるパターンで、めずらしいともいえないが、案内板によるとここは歴史上もかなりのエピソードを残した場所であるらしい。それは一にも二にも、徳川家康の愛妾“於萬の方(小説などでは“お万の方”とされていることが多い)”が生まれ育った城こそが、正木氏の勝浦城だったということにある。
だいたい、“徳川の女たち”といえば、ロクなのがいない。なんとなくそういう印象が強いが、於萬の方は例外で、なかなか世間の評判も高かったらしい。その印象は、天正18年の秀吉の北条攻めのあおりを受けて、父の勝浦城が落城するときに、断崖に白い布をつないで垂らし、それをつたって母とともに海路韮山に落ち延びた、というハリウッド映画顔負けの逸話も、預かって力があったと思われる。
その於萬の方の青い銅像が、岬の先端に背後に白い灯台を従えて立つのは、後世の人々のさまざまな思惑が生み出したつくりものであるとはいえ、人の営みと運命と歴史というものの不思議さを、改めて伝えてくれる。そうそう、そういえばこの人は水戸黄門のおばあさんにあたる。
帰りは徒歩で、朝市通りを抜け、駅まで戻った。勝浦駅のホームの柱には、鉄骨の凹みと竹を利用した“花段”が設けられていた。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度8分6.07秒 140度18分39.33秒
関東地方(2007/03/13 訪問)
みつけました!^^
いや〜、素晴らしい景色ですね!!
海に突き出した出っ張りが綺麗に見えて、しかもその先端に白亜の灯台が!!
たまらないロケーションですね〜^^
今回は裏プラン用ですが、いずれ履行するプランであることは間違いないので、しっかりとプランを練っておきます^^
by とも〜る (2009-08-26 22:42)