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1588 重石ノ鼻=香川郡直島町(香川県)赤茶けた三菱マテリアル直島製錬所の中にある小さな岬 [岬めぐり]

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 いまでこそ都道府県の名前とその線引きは、確固不動のように思えるが、明治の廃藩置県の当初には、それは大きく揺れ動いていた。香川県の直島は、岡山県の目と鼻の先にあり、岡山寄りに食い込んでいるようにも見えることや、昔から境界をめぐる争いがあったこと、現在でも境界未定のところがある場所だということは、前にも触れたが、今度は直島が所属した県の変遷をみてみよう。
 1868(明治元)年の廃藩置県のときには、倉敷県ということになっていた。それから3年後には丸亀県になって、その後香川県になるが、3年も経たないうちに名東県(みょうどうけん)になっている。ほとんどの人は、そんなん聞いたことがないと思うはずだが、名東という名の町はいまも徳島県にあるという。名東県は阿波と讃岐と淡路をひっくるめたような県だったらしい。
 それがまた2年後には再び香川県になり、なったかと思うとまたその翌年には愛媛県になって、それは10年くらい続いたが、1888(明治21)年にまたもどり、三度目の正直でやっと香川県に落ち着いたものだ。
 明治維新の混乱と大変さを垣間見るような話である。
 直島村が直島町になったのは、1954(昭和29)年のことであるが、この島と三菱の製錬所との縁は古く長い歴史をもっている。直島村だったこの島の、集落とは離れた北の端で、三菱合資会社の中央製錬所が操業を始めたのは、1917(大正6)年のことだった。
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 当時は、瀬戸内海沿岸には銅を産出する鉱山もいくつかあった。できるならその鉱山の近くで精練するのが望ましいが、その作業には亜硫酸ガスの排出を伴う。その頃には公害という言葉は誰も知らなかったのだろうが、足尾や別子などではすでに問題が起こっていた。
 なるべく煙害の影響を少なくしようと、瀬戸内海では犬島、四阪島、契島などの島々に製錬所が置かれるようになった。三菱も当初は豊島に目をつけて交渉をしていたが、豊島は受け入れなかった。そこで、それではとその隣の直島村と当時最新技術を駆使して煙害を防止することなどを条件に交渉を始め、直島では村興しのためになるならと製錬所設置を認めこれを受け入れたものだった。
 現在は、巨大な煙突?が目印にもなっている三菱マテリアル直島製錬所として、直島北部一帯で操業を続けているが、その事業内容も銅の精練から産廃処理やリサイクルなどに変化してきているようだ。
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 小豆島の土庄港を出て、岡山県の宇野港に向かっているフェリーは、無人島の間をぬうようにして重石ノ鼻に近づいていくが、それに連れてあたりの風景が一変する。
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 一様に赤茶けたままで、山にもほとんど緑はないように見えるが、これは煙害のせいというより山火事のせいであるという。だが、煙害も大いに影響があってのこの景色なのであろう。
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 重石ノ鼻は、広い製錬所の敷地内の北東部に出っ張っている岬だが、ほんの小さな出っ張りの周囲には、何かの貯蔵タンクのようなものが何基も並んでいる。
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 フェリーからその景色を眺めながら、岬の北を西へ進んで行く。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分35.30秒 133度58分56.74秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.59.21.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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タグ:香川県
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