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1583 ダッダガ鼻=小豆郡土庄町豊島家浦(香川県)ダッダガ!だっだが!Daddaga Hana! [岬めぐり]

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 井島の南端鞍掛ノ鼻と、豊島の西端后飛崎の間の水道を、南に向かっているフェリーが、西に向きを変える頃、その後方に見えてくるのが豊島のダッダガ鼻。
 この奇妙な名前の岬は、后飛崎の南東3.8キロのところで、砂浜の中にぽつんと飛び出している細長い尾根の先端部で、フェリーで海から見ると丸い小山のようになっている。
 その東南側は、神子ヶ浜という小さな集落があり、西北側は豊島産廃事件の現場に続く行き止まりの一本道がある。丸い小山はふたつ見えるが、左手のは后飛崎の南の船溜りの出っ張りで、右側がダッダガ鼻になる。
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 そのずっと右手奥、遠くで飛び出しているのは、壇山から南に落ちてくる礼田崎。
 ダッダガ鼻で検索してみても、当然のようになにも中身のある情報はまったく得られない。ところが、不思議なことにスペイン語版のWikipediaには、Daddaga Hana というページがちゃんとあって、そこには日本語表記も明記されているのでそれが検索されてくる。なにやらたくさん書いてあったが、あれはいったいなにが書かれていたのだろう。
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 また、mapcartaの地図には、Daddaga Hanaとちゃんと表記されているだけでなく、Teshima no kokoro Museum(おそらく産廃跡地の見学者など向けの施設だろうと想像される)とか、Uomi=yamaなど、日本の地図などにもない表記まであったのも不思議だ。
 この地図では、后飛崎の表記が Ushirotobi Saki となっている。

 1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった

 后飛崎の項では、その岬名をどう読むのか、はっきり確認できなかったのでスルーしてきたのだが、「后」は「ご」とは読めるけれど「うしろ」の意味はないだろう。字ズラからはここも神功皇后伝説との何かがあったのかもしれないとは思ったが、それも確認できないので書かなかった。が、ここで「うしろ」が出てくるとは予想もしなかったので、ちょっと驚いた。「ご=後」の音からの連想で「うしろ」という解釈と読みが出てきたのだろうか。
 (…と書いていたのだが、コメントいただいたのをみて、あそうだった!と思いました。「後」もあったんですね。すみません!)
 ただし、地名の読み方には理屈ではない部分もおおいにあるので、案外「うしろとびさき」が正しい読み方であるのかもしれない。(…とすると、「后」→「後」→「うしろ」という変化も、自然にあり得た、ということでしょうかね。)
 いずれにしても、こういう日本語の読み方などが、外国語のサイトでされているというのがおもしろい。いったい、誰がどこでこんな作業をやっているのだろう。
 それに、肝心の当の日本語のサイトではどこも誰もなにもしていないので、それらについてなんの情報もないというのもおかしなものだ。
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 ダッダガ鼻についても、その名の意味も由来もなんにもわからない。
 その岬は、鞍掛ノ鼻を過ぎてもなおずっとその後ろにあるのだが、まだその前に…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分31.59秒 134度2分38.87秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.56.07.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1582 鞍掛ノ鼻=香川郡直島町(香川県)旧石器時代の井島遺跡が物語るものを想像してみる [岬めぐり]

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 人が住んでいる北側、島の3分の1ほどは岡山県の玉野市石島になっている井島は、南北に長く山火事で焼けた山肌を晒しつつ、南に行くほど細く狭くなっている。その南端は、二つのコブをもつ出っ張りとなって飛び出している。大きめのコブのほうには灯台が立っていて、鞍掛ノ鼻という名は、南の小さいほうの出っ張りの最南端につけられている。
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 鞍掛ノ鼻は切り立った断崖で、その断崖の途中には、ちょうど何かを引っ掛けるのにいいような岩の出っ張りもあったので、これに鞍を掛けるのかと思ったが、そんなことはない。
 鞍掛というのは、鞍を置く台のことなのだから、この二つのコブのある出っ張り全体が、その台のようだということなのだ。
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 フェリーはこの鞍掛ノ鼻を、深目の中華鍋のようなゆるいカーブを描きながら、東から西へと回り込んで行く。
 相沢忠洋による岩宿での旧石器の発見から2年後の1951(昭和26)年、この鞍掛の鞍部でも旧石器時代の遺跡が発見されている。井島遺跡と名付けられたこの遺跡からは、石槍や石鏃(せきぞく=ヤジリ)やナイフ形石器など多数の石器が見つかっている。この地域で石器といえば、サヌカイトを連想してしまうが、それと関係あるのかどうかは明確に書かれた情報は見当たらなかった。
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 岩宿以前には、日本には旧石器時代はなかったとされていたのだが、現在ではなんと日本列島全体で4000(ええっほんとかよ!)もの遺跡が確認されているのだというのだから驚いてしまう。時期的には、約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代と呼ばれる時代のもので、とすると縄文海進で海域が広がる以前のこの地域は、まだ海ではなかったと想像される。
 約2万年前頃はまだ氷河期で、日本列島が大陸と地続きになっていて、人類もマンモスなどとともに陸続きで渡ってこられた、というのがだいたいの定説のようだが、これにも異論があって、対馬海峡は陸続きにはなっていなかったとする説もあるらしい。1万年前には氷河期が終わって気温も海水面も上昇し始めて、瀬戸内海が形成されたのは6,000年前頃だったとされる。
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 大小の島がたくさんある瀬戸内海のこの辺りは、おそらくは陸地で本州と四国も繋がっていたのだろう。
 つまり、現在の風景からは、島に後に遺跡を残す居住地があって、丸木舟で海を往来していたかのような状況を想像してしまいそうだが、実はそうではないようだ。
 さらに想像を膨らませれば、海進によって海に沈んでしまった旧石器時代の居住地跡も多かったのではなかろうか。
 この鞍掛ノ鼻の遺跡は、たまたま山の上で残ったひとつだったに過ぎないのだろう。
 わからないことが多く、専門家は煮え切らないことばかり言ったり書いたりしているようにみえるが、いろいろ大胆に想像してみるのはおもしろい。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分43.28秒 134度1分13.41秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.55.18.jpg
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1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった [岬めぐり]

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 豊島(てしま)のいちばん西の端に、南北に細長い高さ20メートルほどの膨らみがぽこんとある。この丘の上には鉄塔が立っていて、その下の周囲はまだ何かの工事でも始まる前の現場のような雰囲気が漂っている。この丘の北端に、后飛崎という岬の名前がついているが、その名前がどこか使われたりすることはほとんどないようだ。
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 ここが、史上最悪といわれた産廃不法投棄事件の現場であったらしい。ネットに残るその豊島産業廃棄物事件の記録を拾い読みしてみても、后飛崎は出てこないが、水ヶ浦という名で呼ばれていたのが、岬から東へ続く海岸であった。
 この美しい名をもつ美しい場所が、悪名高い不法投棄事件の現場になったのは、1970年代後半から80年代にかけて、悪質な業者によって不法に大量の産廃が集められ持ち込まれたためだった。島民は住民運動を起こしてこれに対抗しようとしたが、肝心の行政がここにあった古代遺跡まで破壊してゴミため場にしてしまう札付きの業者に無策であるばかりでなく、学者出身の当時の知事と行政が逆に住民運動を牽制して業者に有利な扱いを繰り返してきたことなど、その無責任さと職務怠慢が、問題をさらに大きくし長期間にわたって拗らせてきたと指摘されてきた。
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 1990年の産廃業者の摘発も、香川県警ではなく兵庫県警によるものだったのは、処理能力の数十倍におよぶ産廃は主に関西地区から集められたものだったためということもあるようだが、この問題を最初に取り上げたメディアも香川や四国ではなく岡山のほうからであったという。
 1997年に業者には破産宣告が出されるが、それでおわらないのが、大量の有害物質を含む残された産廃の処理だった。
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 住民運動は事件の当初から根気よく県外から全国へ展開され、結果的には半世紀近くもの長い間続くことになるが、その過程で豊島産廃事件は広く大きく注目を集めることになる。公害調停を申請するにあたっては中坊公平氏が住民側の弁護をし、やっと香川県が誤りを認めて調停が終わったのは2000(平成12)年で、残された有害産廃は直島の三菱マテリアルの施設に運ばれて処理されることになった。2017年に無害化処理と撤去はいちおう完了したとされたが、その後また新たな廃棄物が見つかるなど、事件が残した傷跡と影響は大きかった。
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 この事件でも、遠く離れた傍観者に過ぎなかったので、豊島の位置すらかつての認識からは明確でなく、ましてやその場所が豊島西端の后飛崎にあったことなどまったく意識にもなかった。
 だが、こうして豊島にも岬めぐりでやってきて、通り過ぎて行くフェリーの上からながら、その現場を眺めていると、いくらかその事件の深刻さや、運動当事者の苦労や、悪質業者への怒りや、行政の不適切な対応とそれの始末にかかる膨大な費用などなど、さまざまな不合理さ理不尽さが、層のように積み重なって見えてくるのだ。
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 これほど各方面に大きな影響をもたらした大事件も、そもそもはたった一人の人間の悪意のある仕業から始まり、その強烈な個性とパワーに適切に対応できずにまたは不適切な対応を繰り返し、無為に年月を経過させ悪化させていく行政の不作為にあったことに、問題の構造的深刻さにあったのだと改めて思わせる。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分57.41秒 134度2分13.32秒
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