1571 ハヤ崎=土庄町滝宮(香川県)走るバスの車窓から眺めた岬を特定するのは思いのほかむずかしい [岬めぐり]
走るバスの車窓から眺めた岬を特定するのは、思いのほかむずかしい。もちろん、疑問の余地なく簡単にわかる場合のほうが多いのだが、若干でも疑問が残ると、あれこれ迷ってしまうこともある。
たとえば、このハヤ崎の場合は、先端に岩島がくっついているという見た目に明らかな特徴があるので、それと判断することは容易にできる。まず間違いないので問題なかろう。
しかし、その背景に遠く薄く長く突き出してる岬はどこのなんという岬だっただろうか。
ハヤ崎の東にあたる岬は、屋形崎鼻のはずなのだが、この岬は緩く丸く張り出してはいるが、屋形崎集落が北端に切れるところで人家も多く、ハヤ崎から見ると、ほとんどその出っ張り具合だけでは特定できない。
ひとつには、天候と光の関係もあるけれど、もともと折り重なったようになっている岬はわかりにくい。ハヤ崎からは2.8キロの距離にあるのだが、その向こうに大きく飛び出して見える岬のようなものと、完全にかぶっているので、その写真から屋形崎鼻を特定することはできない。
山が落ちてくるこの辺りがそうだろうか、という推測ができる程度でしかない。
すると、背景の先端で山が飛び出しているところはどこなのだろう。
屋形崎鼻からさらに北東には、7.5キロ先の妙見崎があるのだが、これがそうととはすんなりと思えない。この天候では到底望むことはできないだろうし…。
とすると、このいちばん奥で突き出しているのは、屋形崎鼻からは1.5キロ先、ハヤ崎からは4.4キロのところにある小島なのだろうか。屋形崎鼻の先に小島が重なって、横から見るとひとつの岬のように見えてしまっているのか。
1552 屋形崎鼻=土庄町屋形崎(香川県)大阪城残石記念公園のざんねんな石たちも眺めているだろう岬
屋形崎鼻については、トップにはこの項と同じ場所からの遠望も掲げているが、「大阪城残石記念公園」を通るところの道路から主に眺めていた。
この写真で見ると、大島がすぐ手前にあって、その向こうに屋形崎鼻があるという構図になっていた。このときの写真で見る大島と、ハヤ崎から遠くに見える岬は、比べて見ると同じ場所だとは思えない。
第一、高さが違う。小島は20メートルくらいなのに対し、こちらはもっと何倍か高いように見える。山容も緑に覆われた小島に対し、ここも石切り場のような崖が目立つ。
こう見比べてみると、見えているのは小島ではなく、やはり7キロも先になる妙見崎が見えているのだ、という結論になり、最初の判断は間違っていたことになる。
このように、最初には一見そうだと思っていても、よくよくいろいろな角度から検討してみると別の結論に至ることもある。とくにバスで通り過ぎるだけの岬の場合には、その場でじっくり観察することもできないので、あとから写真と地図とを照合しながら、岬の特定をすることになるので、なかなか簡単でもないのだ。
ハヤ崎の沖合には、岩礁が散らばっているが、ここは昔は二見ヶ浦のような岩があったらしい。それが台風か何かで崩れて、その名残だという。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分16.53秒 134度11分35.77秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1570 蕪崎=土庄町小江(香川県)野菜とは関係なくて神功皇后伝説に由来する名前だという [岬めぐり]
蕪崎はここでは「かぶらざき」と読むようだ。字面からは「かぶざき」と読むほうが自然のように思える。野菜の「カブ」が日本の地名になることは、あまり普通とも言えないはずなのだが、その形からいかにもカブを転がしたような岬もないわけではない。
蕪崎という同じ名前の岬が、ここから北へ11.7キロの岡山の牛窓にもあるが、そこはまさしくカブのようだった。それに比べると、ここはダイコンに近くてカブらしくはない。しかし、それは横から眺めた場合で、もし上空から眺めれば、あるいはカブのように見えたかもしれない。
確かに蕪の別名はカブラではあるけれども、それよりも可能性としてよくあるのは、「かぶら=鏑」のほうではないだろうかと思えたりする。蕪になるのは、最終的にそういう文字を当てるというケースだ。
ここではどうだろうか。ここでは野菜は関係なく、「かぐら=神楽」が「かぶら=蕪」になったものだという。それには、神功皇后伝説が絡んでいる。
神功皇后は三韓征討の帰路に、筑紫国から畿内に向かうのに、海路をとって瀬戸内海を東に進んで行った。伝説ではその途上では各所でさまざまな出来事があったとしているが、ここでも「岬の沖合で暴風雨により難破しそうになったが、そこでその付近に上陸して神楽を奏し舞うと嵐もおさまった」といい、神楽崎がその由来なのだという話がある。
また、黒船騒ぎで世情騒然としていた嘉永年間には、この蕪崎から一枚の古代鏡が発掘されたので、これこそ神功皇后の神器であろうと埋めなおして神鏡塚として奉った、ともいうのだ。その鏡は現在はいくつかの破片に割れているようだが、土庄町が蕪崎神鏡塚出土鏡として保管しているようだ。
こうした神功皇后伝説は、讃岐にもあるので、想像するとその船団が讃岐から北上して小豆島の北側に回り込んでいることになる。これは、当時の船と航海術からすれば、島伝いに陸地を見ながら進むのが基本で、そう考えると島もない広い播磨灘に漕ぎだすよりも、小豆島の北側に回り込んで、吉備の国との間の比較的狭い水域を航路に選ぶのは当然だったのだろう。
細く長く突き出しているが陸繋島ではなく、岩石の部分が浸食を食い止めて残ったという感じだ。この蕪崎では1987年度版の「二十四の瞳」の撮影も行なわれたという。
長浜、渦江といった海岸の集落を通り抜けながら、北に向いて出っ張っている蕪崎を眺めるとき、ちょうど潮汐の加減なのか干潟が広がっていた。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分42.75秒 134度10分19.44秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1569 ナガ崎=土庄町小江(香川県)オリーブバスの四海線に乗り換えて島の北西部へ [岬めぐり]
でんでんむしの遠い先祖の一人には、近道だと通りかかった広島倉橋島の石切場で転落事故死した人がある。子孫への訓戒とともに、その経緯を記録した香典帳が残されていたので、それがわかった。それだけが原爆で焼けなかったのは、祖父がそれらの書付が入った仏壇だけは、郊外に疎開させていたからだ。
子孫であるでんでんむしは、その教えを守って軽挙を慎み、特に高い崖の上などでは慎重に注意しているので、奇禍にも遭うことなく今日まで永らえている。
これまで、家島諸島から始まった岬めぐりでは、採石場には非常に多くの縁があったが、だから好んでそれを取りあげているというわけではなく、この地域にたまたま採石場とその痕跡が多いというだけの話だ。
ただ、採石場という場所は、危険が多い場所だということ、むやみに立ち入るような場所でないことは、忘れてはならない。採石場の跡地などを整備管理せずに、放置しておくなどは非常に問題でもあるわけだ。
池田港から土庄港までバスできて、そこからまたバスを四海線に乗り換えると、土庄港から北へ、伊喜末、小江を経由して馬越浜まで行く。四海線というのは小江の漁港に四海漁港という名があるので、今は地図から消えた古名に四海があり、バス路線はそれを名乗っているということだろう。
四海線の終点でUターンして、また土庄港まで戻ってくるだけだが、この四海線に乗らなければならないのも、この小豆島の北西海岸にもいくつかの岬があるからだ。
土庄港からは、いったん東へ戻ってから海峡の対岸に渡り、そこから北西にバスは進む。その途中にまず、畝木崎と室崎があるのだが、それは港の出入口なので、もう二日続きの雨も上がって晴れるであろう翌日に回すことにする。
とすると、次の岬は小江のナガ崎となるが、実はこの岬は道路からは見えない。見えるのはナガ崎の西に出っ張っている小さな出っ張りだけ。ナガ崎の表記はそこからは北東へずれたところについている。
それも、小江の集落と四海漁港を過ぎて、沖島とナガ崎の間に千振島が見えてくるほんのわずかの間にかろうじて見えるだけ。道路はすぐに海岸を離れて、ナガ崎と蕪崎のある出っ張りを横断して行く。
このときには、見えないナガ崎と道路の間には400メートルの距離がある。そして地図ではそこには丸い崖に囲まれた凹地があり、中途半端な道が描かれている。これはなんだろう。
地理院地図でも空中写真・衛星画像に切り替えて見ることができる。でんでんむしはグーグルアースよりは、こっちのほうがすぐ簡単に見られるうえに、色調など補正して明るくするなどの手間がいらないのでいいと思っている。
それを見て驚いた。なんとそこは丸い池で水が溜まっている。池とか湖とかの表記も何もないので、まさか水があるとは思わなかった。だが、これは池でもなく単なる大きな水溜りなのだ。
では、なぜこのようなことに…。調べてみると、ここも採石場の跡だった。周囲をクレーターのような崖に囲まれたこれは、まるで火口湖のようだ。
ここはもうだいぶ前に業者が倒産か何かして、その跡がほったらかしになっている場所らしい。小豆島の採石にも何度か触れたが、このナガ崎と千振島の周辺では、古くからの採石の記録もあるようだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分31.30秒 134度10分7.26秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1568 大角鼻=小豆島町坂手(香川県)どうしても行くべき岬とも思えないのでここも遠望で… [岬めぐり]
最近、So-netブログトップの右上に広告のリンクボタンが表示されるようになった。「ぽっこりお腹になったら」だの、「お肌の漂白剤」だのを毎度見せられるのは不愉快で迷惑そのものだ。せっかく有料ブログにして広告表示を一切排除しているのに、これはいったいなんだ。目障りで仕方ない。
最上部の一行ヘッダーは、ブログの本体ではなく、So-netのエリアだから有料ブログでもユーザーにかかわりなく運営者の好きに使っていいという考え方なのだろうか。そんな姑息な手段まで使って広告を取りたいと思うところまで追い詰められているのだろうか。
そこで、こちらも姑息な手段で対抗することにした。背景を白ではなく濃い目の色に変えれば、AD文字は見えなくなる。リンクボタン自体を消すことはできないが、少なくとも目に触れなくなるので気にはならなくなる。(「デザイン」→「テンプレート管理」→「ヘッダー」→「設定」→「現在選択中のテンプレートに合わせる」のチェックを外して色指定)
ここも半島の名前はわからないが、小豆島ではいちばん南東方向でちょこんと出っ張っている。ウシの後ろ左足に相当するところで、その先端が、大角鼻(おおかどはな)になる。
坂手港からは3.75キロの大角鼻までは、50〜60メートルくらいの高さで岬を巻いている道路はある。途中にふたつくらいの集落はあるようだが、人家もほとんどない。そのほとんど山道(車は通れる舗装道路)を行けば、灯台のある岬に到達するはずだが、この半島にはバスが通っていない。田ノ浦映画村線のオリーブバスは、途中で申し訳のように、その付け根に位置する坂手港と坂手の集落に寄って行くのだが、そこから先は公共交通機関がない。
ネットを見ると、何人かの人が大角鼻灯台を訪ねて行ったという記録を公開しているが、いずれも自転車であった。マウンテンバイクなど本格的なツーリングで行く人はあるらしい。大角鼻には藪の中の灯台以外とくに何があるというわけでもないようなので、自動車を転がして行くドライブコースとしては、どうやら釈迦ヶ鼻ほどの人気もないようだ。またひとりはタクシーで行ったというのもあったが、そこまでして行くこともない。
でんでんむしの場合は、どうしても行かなければならないとすれば、レンタサイクル(どこにあるのかわからないが、あったとしてもそこからまた坂手港までくるだけでも大変そうだ)というしか足がないが、そうまでして行くべき岬でもないような気がする。レンタサイクルもそれはそれでなかなかうまく利用するにはコースに高低差がないこと、電動自転車があることなど条件が整わないといけないし、だんだんそれもしんどくなってきた。
そこで、計画の段階から、ここは遠望でやむを得ないだろうというつもりだった。というわけで、ここは三都半島の東海岸から坂手湾を挟んで、8.4キロの遠望になる。
160メートルの峰がふたつ並んでいて、先端は急に落ち込んでいる。地図を見ると灯台は50メートルくらいの斜面の上に立っているようだ。
岬のある細長い半島の北側には、洞雲山・碁石山という400メートル前後の山々が連なっており、とくに北寄りの碁石山のほうは、でこぼこが目立っている。この碁石山の北2キロのところを、福田港と土庄港を結ぶ国道436号線がトンネルで抜けている。
その手前で黒く見えているのは、映画村のある田ノ浦の半島で、その先端は塩谷鼻となろう。
大角鼻の右手にお椀を伏せたような島はフクベのようには見えない福部島で、塩谷鼻の南1.86キロのところにある無人島だ。
遠望が続いているが、それぞれ条件が異なるので混乱しそうだ。整理しておくと、三都半島の南端の釈迦ヶ鼻は、その西の土庄の出っ張りから雨が上がった翌朝に眺めたところで、大角鼻はやはりそこからは西に位置する三都半島の東海岸から眺めたところになる。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度25分59.97秒 134度20分14.67秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1567 崩鼻・釈迦ヶ鼻=小豆島町神浦・蒲野(香川県)遠く西からの遠望で眺めただけの岬はまとめて [岬めぐり]
この項では別々の岬であるふたつの岬を一緒にしてまとめているが、それはどちらも実際には現地またはその近くへ行くことができず、遠く西の黒崎付近から眺めただけだからだ。
三都半島西の小豆島町崩鼻と土庄町黒崎の間は、7.8キロ離れている。かなりの遠望だが、雨の小豆島めぐりの翌日、きれいに晴れあがった早朝にオリーブバスの西浦線の西回り一番の始発に乗って一周した。このときに、土庄南の大きな出っ張りを回り込んだ黒崎付近から、土庄港へ北上して戻るところで、東の海の向こうに崩鼻・釈迦ヶ鼻がある半島の南端が見える。
釈迦ヶ鼻はその先っちょのところだろうという見当ぐらいはつくが、崩鼻に至っては、とてもここがそうだとは特定できない。ただ、白浜山という標高300メートルの形のいい山が、北西(左手)に切れるあたりがそうだろう。
ネット情報で岬・崎・鼻の情報が得られることはほとんどないと書いたばかりだが、ここでは権現崎に続いて、崩鼻・釈迦ヶ鼻についてもいくつかあった。
そのひとつコトバンクの三都半島の項の説明では、崩鼻では讃岐岩質玄武岩の柱状節理が発達し、大規模な採石が行なわれている、と書いてあった。なるほど、地図を見ると、採石場らしい崖地形や道や池が描かれていた。さてはサヌカイトかと思えば、香川県の石でもあるサヌカイト(讃岐石)は安山岩らしいので微妙に違うようだ。白浜山から崩鼻にかけては玄武岩なのだ。
バスは神浦までしか行かないが、この先にも白浜山の裾をぐるっと回る道があって、そこを1.2キロも歩けば崩鼻に行ける。そこからさらに南に進んで1.5キロも歩けば灯台のある釈迦ヶ鼻まで行くことができる。
灯台の名前は地蔵崎だが、岬の名前は釈迦ヶ鼻。ある情報によると、その昔土に埋まっていたお釈迦様を掘り出して祀ったところ海難事故が減ったといい、その石造の釈迦座像も安置されているというのだが、釈迦と地蔵の関係がよくわからない。
三都半島最南端には釈迦ヶ鼻園地というのがあって、播磨灘から備讃瀬戸に入るもっとも狭い水道に面しており、一日に通る船の数は約700隻を数えるという。行ってみればなかなかの絶景もあるのだろうが、残念ながら車でもないとなかなかそこまでは行けない。
でんでんむしの岬めぐりは、下調べをしない行き当たりばったり原則と、もうひとつの原則である公共交通機関で行けるところに制約される。車で行けばわけないところでも、バスが通っていないところには行けないのだ。それでも、昔はバスがないところでも5キロも10キロも歩いていたこともあるのだが、この頃はもうそんなに歩けない。
ここも、最初からそのつもりで計画に2時間の行程を組み込み、バスの時刻に合わせられるならば、不可能ではなかったのだが、たとえ雨が降っていなかったとしても、それもちょっと…。
だから、崩鼻・釈迦ヶ鼻は西からの遠望の後回しにして、また町営バスで東海岸に戻る。東海岸から南を望むと、小山の出っ張りがあるが、そこには岬の名はない。釈迦ヶ鼻は、この出っ張りのずっと南西になる。
コトバンク情報では、この出っ張りのところにある谷尻集落は1976(昭和51)年9月の台風17号による土石流で壊滅状態となり24人の死者を出した、とあった。
谷尻、市神子、吉ヶ浦、目見ヶ谷と集落を辿る東海岸には、道路脇と沖合にも大きめの無人島が見える。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度25分31.78秒 134度13分29.67秒 34度24分54.31秒 134度13分56.10秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1566 権現崎=小豆島町神浦(香川県)これはもう「人の褌で相撲を取るの巻」になってしまったな [岬めぐり]
何度か書いている通り、でんでんむしの岬めぐりは、交通宿泊関係以外の事前の調査・情報収集はいっさいなしの行き当たりばったりが基本なので、岬以外の周辺の観光ポイントなどは、原則見向きもしない。だが、それでも後から調べて思えば、事前に知っていればついでにそっちのほうにも行けたら行ったかもね、ということもままある。
この権現崎は、長者鼻と崩鼻を結ぶ「コ」の字型の入江の南の中央に、小さく突き出た小山で、一応三都港という名前のついた小さな港と神浦(こうのうら )集落にある。一見陸繋島のようでもあるが、ここでは砂州を生じるほどの強力な潮と波の動きがあるようにも思えない。
地図には史跡マーク付きで、「皇子神社社叢」との表記がある。
ネットでは、個々の岬について記述された情報は、極めて少ない。普通の場合まず調べてみても、なんらか意味のある情報に出くわすことは、ほとんどないのだが、ここでは2代目小豆島町長(任期は平成22年4月23日~平成30年4月22日)であった塩田幸雄氏が、小豆島町のサイトで連載していた「町長の「八日目の蝉」記」のなかの、第1785回にあたる「潮耳荘」というタイトルの記述が見つかった。
少し長くなるが、その一部を引用させてもらう。
第1785回 「潮耳荘」(平成28年10月13日)
第1785回 「潮耳荘」(平成28年10月13日)
小豆島の三都半島の神浦(こうのうら)地区の海岸に、「潮耳荘(しおみみそう)」と名づけられた作品ができました。制作したのは、広島市立大学芸術学部教授の伊東敏光さん、同大学卒業生で小豆島在住の康(吉田)夏奈さん、同大学有志の皆さん、そして地元の皆さんです。
三都半島は、牛のかたちをした小豆島の前足にあたる部分です。神浦地区は、その突端の入り江にあります。丸みを帯びた山に囲まれ、ないだ海をながめていると、名前のとおり、神様がここに降りてこられたことがあるに違いないと感じます。
入り江の権現崎と呼ばれる陸続きの小さな島に皇子神社があります。その社叢は全山ウバメガシで覆われ、その間にイブキ・ネズミモチ・ネズ・クロマツ・ヤマモモなどが混じり、なかでもイブキの国内の稀有な自生地として国の天然記念物に指定されています。今も地元の皆さんが保存に努めてくれています。
もうひとつ、権現崎では、約1300万年前、地球のマグマがそのまま地表に噴出したマントル直結型の安山岩を見ることができます。神戸大学の巽好幸教授が発見しました。地球の生成を知ることができる貴重なもので、「神浦は世界のマントル研究者の聖地」と巽教授はおっしゃっています。
「潮耳荘」は、その神秘的とも言える権現崎の砂洲に建っています。「潮耳荘」は、小豆島の廃屋の木を組み立てて、造った人工の山です。高さは8メートルほどあります。山肌から波打ち際に向かって、じょうごの先のような造形物が1本突き出ています。木の山の中に入ると、じょうご型の造形物が集めた波の音を耳を澄ませて聞くことができます。
「潮耳荘」の先の、皆さんがきれいに整えられた灌木をくぐっていくと、海岸にたどりつきます。目の前に瀬戸の海が広がります。そこから、ちょっと向こうの先にマントル直結安山岩も見えます。そこは、もう本当に、神浦(こうのうら)そのものです。 (以下 略)
元の文はもっと長く続き、写真も添えられているが、塩田前町長はこんな調子で毎日のように「町長の「八日目の蝉」記」を公開し続けていたようだ。これはなかなか大変なものだが、角田光代さんの作品にちなんで、小豆島の「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、「町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います」と綴っていた。(現在の小豆島町のサイトからは、「小豆島町の概要データ」の「歴代小豆島町長」から「町長の「八日目の蝉」記」を辿ることができる。)
元の文はもっと長く続き、写真も添えられているが、塩田前町長はこんな調子で毎日のように「町長の「八日目の蝉」記」を公開し続けていたようだ。これはなかなか大変なものだが、角田光代さんの作品にちなんで、小豆島の「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、「町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います」と綴っていた。(現在の小豆島町のサイトからは、「小豆島町の概要データ」の「歴代小豆島町長」から「町長の「八日目の蝉」記」を辿ることができる。)
こういうことをまったく知らないまま、権現崎を神浦から眺めて帰ってきただけのでんでんむしだが、知っていれば、その「潮耳荘」にも行ってみたかもしれない。
ただ、折り返しの赤い町営バスは、あまり間をおかずに帰って行くので、それに乗って帰るためには、権現崎や皇子神社や安山岩や天然記念物の自生地のほうまで行って帰るのはむずかしい。でも、そこまで行けば崩鼻もなんとか見ることができたはずなんだけど。
バス停の標識をみても、ここの路線はオリーブバスではなく町営バスとなっている。小型の赤いバスは、再び三都半島の東海岸と西海岸を経由して、池田港ターミナルまで戻る。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度25分55.56秒 134度13分59.06秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1565 長者鼻=小豆島町吉野(香川県)バスはずんぐりむっくりした岬を峠越えでは越えて行かない [岬めぐり]
三都半島のほぼ中央部に位置する段山(だんやま)は、最高点でも220メートルほどで、これというピークはなく、全体がなだらかな高原状になっている。そこには真っ直ぐな道が何本も地図には描かれていたので、いったいここはなんだろうと思っていた。
バスのルートはこの山の北側を大きく迂回して、半島の東海岸に出るので、段山は遠望で見る長者鼻の付け根につながる山という認識しか持ち合わせないのだが、ネットで調べてみると意外にも「段山遺跡群」という文字に遭遇した。おやっと思ったが、これは実際に遺跡があるのではなく、三都半島の各所で展開されているアート活動のひとつで、架空の設定で作家が作品展示をしているというものらしい。
休耕地を活用し、材料は金網とネットなどで表現された大きなものだというが、こちらはそれを見ることはなく、段山の下をぐるりとバスで回るだけ。
その段山から、西南西方向にゆっくりと流れ落ちる尾根があり、鉾のように突き出た長者鼻の出っ張りにつながっているので、沖の鼻や観音崎の付近からの遠望に目立っている。長者鼻には集落も平地も周回道路もなく、かといって断崖が連なるというわけでもない、いかにも内海風の穏やかにずんぐりむっくりした岬のようだ。
バスが吉野の集落に入る前には、その吉野の海岸越しに、長者鼻が西へ向いて突き出している。
バスは吉野から東に向きを変えて海岸から離れて行く。半島の山に入り込んだところで今度は南に向かい、段山の東にある蒲野の集落と海岸に出る。
地図で見ると、吉野からそのまま南に進む道もあって、この道は吉野からどんどん高度を上げ、120メートルの富士峠を越えて神浦へ降りて行く。地図だけ見ていた時には、この富士峠を越えるのなら、峠から権現崎や崩鼻も俯瞰できていいだろうなくらいに漠然と考えていた。
ところが、バスは富士峠は越えて行かない。段山の半分くらいの高さまで登って降りなければならない山道の峠越えは、やっぱり無理なのだ。
バスもできるだけ山道坂道は避けたいのだろうし、最短距離よりはできるだけ多くの集落を経由して行くというほうが、その使命からも優先されるのだろう。
蒲野、目見ヶ谷、吉ヶ浦、市神子といった半島の東海岸の集落を拾いながら、バスは再び西海岸に戻り、神浦の港がある入江に出る。そこから、今度は長者鼻を南側から眺めることができる。こじつけだが、こうしてみるとどことなく長者の風格もある岬と言えそうだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度26分18.73秒 134度13分26.79秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1564 吉野崎=小豆島町二面(香川県)吉野にはなくて二面(ふたおもて)にあるのにその名は吉野崎 [岬めぐり]
小豆島町の二面(ふたおもて)は、三都半島の北部、ウシの前足で言えば太ももに当たる部分で、東海岸と西海岸にまたがっている。吉野崎はその西海岸の二面の南部で、その名は南隣りにある字地名からきている。つまり、この岬は吉野崎なのに、吉野にはなくて二面にある。
「ふたおもて」の名の由来もよくわからないが、半島の東西両面に面しているから、ということなのだろうか。案外に、そういうのが当たっていたりすることもある。
境界線の境になることも多い岬では、その岬をどこから見るかでその名前が決まったり変わったりする。ここでは境界線が南にずれているため、さほど大きく目立つ岬ではない吉野崎の所在は二面になっている。
その吉野崎は、二面の集落からは家々の屋根の切れ目に見えていたのだが、その写真はなかなかうまくタイミングが合わない。二面の集落では道路が海岸からは三筋も内側を通っているためで、わずかに屋根の間に見えたところでは、吉野崎とそこから2.3キロ先の長者鼻が重なっている。
南へ向かうバスの車窓から、二面の集落が切れるところで、川の河口を橋で渡る。そこで防波堤の向こうに突き出しているのが吉野崎だが、この後は道路が岬の出っ張りに沿って回り込んで行くので、岬ともわからぬうちに岬を通過してしまう。
吉野崎を過ぎると吉野の集落で、その南には段山という200メートルを超える山があり、そこから西へ流れ出す尾根の先が、長者鼻になっている。吉野からはバスは東に向きを変えると、段山の西にある80メートルほどの峠を越えて、半島の東側に出る。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分19.73秒 134度14分18.58秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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34度27分19.73秒 134度14分18.58秒
四国地方(2018/10/11 訪問)
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タグ:香川県
1563 あさぎ岬=小豆島町蒲生(香川県)国道436号線からは見えなかった岬は三都半島からの遠望で [岬めぐり]
小人の三角帽子を逆さにしたような小さなあさぎ岬は、飛岬よりも西側にある。その岬を、飛岬からは東、三都半島に入ってその西岸を南下中の途中で、項目を割り込ませたのにも理由がある。あさぎ岬は、結局この三都半島西岸から、飛岬越しにわずかにかろうじて見えるという程度にしか、確認できなかった。
本来ならば、国道を東へ西へ向かう途中で見えてもおかしくないのだが、どうも建物などに邪魔されて、436号線を走りながらでは見えなかったのだ。
あさぎ岬は、せいぜい高度も高いところで20メートルくらいしかなく、もともとあまり目立つ岬ではないのだが、それにしても国道の位置など条件がうまく合わなかった。
そこで、止むを得ず、観音崎や吉野崎のある小豆島町二面付近を走るところの車窓から、北西側を見渡したところで、これを捉える。二面の道路から弁天島、飛岬、そしてあさぎ岬が一直線に並ぶ。
あさぎ岬は4.4キロも離れているので、飛岬の向こう側に少し黒っぽく見える薄べったい出っ張りとして、やっとどうにかそれとわかる。その上に大きく高くあるのは皇踏山394メートルで、その左手下の低く切れたところが土庄町の中心市街地にあたる。
薄いあさぎ色にも見える池田湾の海を越えて、さらに左手(南側)に目を移していくと、高見山と大深山がボコボコと連なり、その先端が黒崎となるが、ここがウシの例えた形でいうと頭の部分になる。そこから南には高松沖に散らばる島々があり、その向こうに直島がある。
その手前に、少し濃い目の島影が平たく見えるのは、土庄東港の大余島と中余島となる。
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