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さてそれからというものいったい何台のMacを買ってきたことだろう=記憶遺産Part2-05 [ある編集者の記憶遺産Part2]

 スティーブ・ジョブスとその仲間たちのガレージから起業したというアメリカン・ドリーム話に魅せられたわけでもなく、自分がスカウトしてきたスカリーに、ジョブスがAppleを追い出されるといういかにもアメリカ的なエピソードに興味をもつわけでもない。
 ただ単純にMacintoshという新たな道具に感心して、惚れ込み入れ込んできただけの極東の一ユーザーにもただ迷惑な話だった。Appleの上層部のゴタゴタは、経営方針や製品ラインの混乱となって、ユーザーにも直接影響してくるからだ。
 記憶では忘れていることも多く、整然としていないので、ここは記録で振り返ってみると、1986年から1997年までは概ね以下のような新製品が立て続けに出されている。その多くはスカリーの指揮下によるものとされるが、彼はジョブスに言わせると「砂糖水を売って」いたわけで、もともと技術屋でもなんでもない。
■1986年 Macintosh Plus 日本語システム 漢字Talk1.0。
■1987年 初のカラー対応Macintosh Ⅱ、ハードディスク内蔵Macintosh SE。HyperCardを発表。
■1990年 Macintosh Classic、LC、llsiなど。Power Book。
■1991年 新OS System7、QuickTime。
■1992年 Apple DuoDock。
■1993年 Macintosh Centris 610、 PDA(携帯情報ツール)NewtonMessagepad、Macintosh Quadra 610、Macintosh PowerBook Duo 210。
■1994年 Power Macintosh6100/60,7100/66、Performa 630。 QuickTake 100、150。
■1995年 Power Macintosh 9500/120 。
■1996年 Newton MessagePad 130。
■1997年 Macintosh PowerBook 1400cs。20th Anniversary Macintosh。
 この頃は、矢継ぎ早に新製品が出たものの、あまり統一性や一貫性は感じられなかった。このリストの中で自分で買ったものはMacintosh ⅡやMacintosh Classic、Apple DuoDock、PowerBook Duo 210、Macintosh Quadra 610、タワー型のQuadra 950などくらいだっただろうか。
Quadra cx.JPG
 キャノンに先手を取られたApple も、漢字Talk1.0という妙な名前で日本語のサポートに本腰を入れざるを得なくなったが、ユーザーとしては遅ればせながら歓迎すべきことだった。
 Macintosh Ⅱは、大学入学祝いにと娘に買ったもので、当時「最高を最初から」とのキャッチで宣伝していたが、カラーというのがここで一時代を開いている。ノート型も PowerBook Duoで試して、タワー型のマシンまでいったのがこの時期だったような気がするが、名前を見てもすぐに姿形が思い浮かばないものもある。スカリーの置き土産と言われたNewtonには手を出さなかった(出せなかった)。
SEmacOS.JPG
 HDを内蔵したMacintosh SEは、業務用にかなり普及したと思われるが、それらが代替わりするときに廃棄されるものをもらってきた。
 HyperCardは素晴らしいもので、部品を選んで組み立てることで、自分なりのアプリ(HyperCardではこれをカードを積み重ねたスタックと呼んだ)を作ることができる。天才プログラマーと言われたビル・アトキンソンのこの名作にも感動したでんでんむしは、自分でも自己紹介用のスタックを作ったりしていた。
hCmybook.jpg
 「My Book」と名付けたそれは、ダブルクリックで本を開いて、矢印をクリックすれば次のページが開くという設計にして、疑似的に画面上で一冊の本をめくってみるような感じにした。もちろん、ページごとに絵が動いたり音が出たりというカードの機能も盛り込んで遊び心で、大真面目なものではなかった。ただ、それが自分の工夫しだいで誰でも比較的簡単にできる、というところが HyperCardの優れたところだった。
 手前味噌で少々味付けをすれば、これは漠然とながら頭の中にあった今でいう電子書籍のイメージを、形にしてみようと思ったものであった。
 他の人が作るスタックも、みんな楽しく遊んでいるなと思ったが、アトキンソンもAppleを去り、これもNewtonと同じく、その後のMacの流れの中にやがて消えていく運命だったのが残念だった。
quickTalk150.jpg
 1994年のQuickTake 150も、あまり世間には知られていなかったはずだが、記念すべきものだった。デジタルカメラといえば、カシオのQV-10が最初だと思われているようだが、実はそれより1年以上も前にこれが出ていた。Macintoshだけでしか使えない専用のデジタルカメラだったから、世間が知らないのも無理はないのだ。
 ディスプレイもなく、双眼鏡のように覗いてシャッターボタンを押し、ケーブルでMacに転送することができた。でんでんむしもこれでホームページを作ったりしていた。フィルムからデジタルへ、その後の写真環境の流れを大きく変えることになる、最初の一歩だった。
 また、DTPの実用化を開始したのも、1990(平成2)年頃からだった。DTPソフトウェアのQuarkXPressは、当初はFDで何枚もあり、20万円を超える高価なものだったが、日本の組版に適合していて、これなら使えると思った。そこでテストを重ねて実用化に踏み切った。
 その後10年くらいはDTPと言えばMacであり、そのソフトはと言えばQuarkXPress、という時代が続くことになる。印刷所の対応は決して早いとは言えなかったが、その分を一時期雨後の筍のように現れた出力センターがカバーしていた。
 世に中変われば変わるもので、現在ではアドビのInDesignにすっかり取って代わられていて、クオークの影さえ見えない。これほど見事な主役交代劇はなかなかないと思うくらいだ。それはInDesignがよほど優れているからというのならまだよかったのだが…。残念ながら、そういうわけでもなかった。
20th Anniversary.JPG 20th AnniversaryHN.jpg
 タワー型のQuadraをデスクトップで使うのは邪魔すぎるので、専用のパソコン台を置いたりしていたが、 1997年にAppleが創立20周年を記念して、世界で12,000台のみ限定生産予約制という触れ込みで出した20th Anniversary Macintoshはそのコンパクトさも気に入ったので予約して購入した。BOSEのウーハーと電源部がちょっとかさばりはしたが、インテリアとして並べておいてもなんら違和感がないくらいで、音楽を聴くという用途も兼ねて2004年頃まで愛用していた。
 創業以来の虹色のリンゴマークも、製品についたのはおそらくはこれが最後になったのではなかろうか。

dendenmushi.gif(2018/08/10 記)

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タグ:MAC
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