番外:熊野の鬼ヶ城=熊野市木本町(三重県)リアス式海岸も終り熊野路の岬めぐりもここで一段落 [岬めぐり]
猪ノ鼻と小さな湾を挟んで西にある丸い出っ張りには、岬の名がついていない。そのかわりに、ここには国指定名勝の∴マークがついていて、「熊野の鬼ヶ城」となっている。地図上でちゃんと「熊野の」とつけているのは国土地理院のみで、他のネット地図では単に「鬼ヶ城」としているが、全国に「鬼ヶ城」「鬼ケ城」と称する場所は、岡山県備前市、京都府福知山市(大江山の大江町)、鳥取県若桜町、福岡県朝倉市など20近くもあり、「鬼ケ城」だけでは名称として特定に至らない。
実際、1958(昭和33)年指定の国名勝の正式名称も、「熊野の鬼ヶ城 附 獅子巖」となっている。「附(“つけたり”とはまた、随分なご挨拶だが、そう読むらしい) 獅子巖」というのは、ここから南西に2キロちょっと離れた七里御浜で飛び出している、ライオンの形をした岩のことだが、そこまでは今回は行けない。
ここだけでなく、奇巌が重なり合い、洞窟や砦のような様相を示す場所を、人々が“鬼の城”だと考え名付けたのには、自然の造形への恐れもあったのであろう。ここは山の中ではなく、地震によって隆起した海食洞が、波打ち際に荒々しい景観をつくり出している。
国土地理院の電子国土ポータルとMapionでは、この鬼ヶ城を経由して熊野市街へ通じる細道が記されている。早朝、ホテルを出て、朝食前の散歩がてら、七里御浜が見えるところまで歩いて行くつもりだったが、なんと、その道は途中で通せんぼの柵がしてあり、通行止めになっていた。道が崩れ落ちてしまっている。
しかたがないので、七里御浜はここから見るだけにして、そのかわりに桜の帯がたなびいている鬼ヶ城の上に登ってみることした。
登り口に自転車でやってきたおじさんと挨拶を交わしながら聞き出したところ、ここの桜は4種類の木が下から順に開花していくように植えられているので、今は中腹から上あたりが見頃だという。
なるほど、吉野ではないが、花期を長くするように工夫したわけだ。下のほうでは多くのピンクの花びらが、散策路や周囲の斜面を埋め尽くしている。その上に行くとまだ満開の枝が重なって立っている。
その向うには、猪ノ鼻が朝日の中に浮かんでいる。
誰もいない桜の美林に囲まれて、しばらく朝日が地上を温めるのを見守っている。
鬼ヶ城と桜がある標高150メートルほどの小山状出っ張りの付け根を、紀勢本線の木本トンネル、311号線の鬼ヶ城隧道、それに一方通行らしい旧道トンネルがあり、その上を熊野古道の松本峠が通っている。
伊勢神宮のほうから熊野大社への長い長い参道路も、ここまでいくつもの峠を上っては下りしてきた。でんでんむしが、そこを歩いてきたわけではないものの、熊野古道は常に意識しながらここまできたのだが、連続峠越えの難所は終り、ここから南西へは七里御浜の長い砂浜に沿う平坦な熊野街道である。
つまり、志摩半島のでこぼこをそのまま延長しつつ、ここまで続いてきたリアス式海岸も、いったん終了というわけである。つまり、ここから南西方向に向けては、しばらくは「岬」もないわけである。
2011年7月の末には、各地を豪雨が襲った。熊野市ホームページによると、ホテルからその入口までの道で崖崩れが起り、鬼ヶ城に入る道は、全面的に通行止めとなり、閉鎖された。復旧の見込みはたっていないというから、当分鬼ヶ城へは行くことができない。
この日は大泊から二木島と九鬼を経て、また熊野市駅に戻ってきて、南紀特急に乗って帰ってきたのだが、この駅だけはなぜ「熊野市駅」と、わざに“市”を駅名にくっつけているのだろう。
「市駅」というのは、和歌山にもあるが、ここはJRのほかに南海線があり、ふたつの駅が離れているので、私鉄のほうが「和歌山市駅」を名乗っている。熊野ではそういう事情はない。
また、得意の憶測を働かせてみれば、「熊野駅」とした場合には、周辺各地、各市町村などとの折り合いがつけられなかったのであろう。それくらい、「熊野」という名は広いだけでなく大きかった、ということではないだろうか。
ここでは駅からは出ないまま。ホームで待っていると、ハトが何羽も歩き回っている。なかに一羽、ほとんど動かないでホームの端にうずくまったままのハトがおり、もう一羽がそのハトを気づかうように寄り添っていた。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度53分25.39秒 136度6分57.73秒
東海地方(2011/04/14 訪問)