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1570 蕪崎=土庄町小江(香川県)野菜とは関係なくて神功皇后伝説に由来する名前だという [岬めぐり]

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 蕪崎はここでは「かぶらざき」と読むようだ。字面からは「かぶざき」と読むほうが自然のように思える。野菜の「カブ」が日本の地名になることは、あまり普通とも言えないはずなのだが、その形からいかにもカブを転がしたような岬もないわけではない。
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 蕪崎という同じ名前の岬が、ここから北へ11.7キロの岡山の牛窓にもあるが、そこはまさしくカブのようだった。それに比べると、ここはダイコンに近くてカブらしくはない。しかし、それは横から眺めた場合で、もし上空から眺めれば、あるいはカブのように見えたかもしれない。
 確かに蕪の別名はカブラではあるけれども、それよりも可能性としてよくあるのは、「かぶら=鏑」のほうではないだろうかと思えたりする。蕪になるのは、最終的にそういう文字を当てるというケースだ。
 ここではどうだろうか。ここでは野菜は関係なく、「かぐら=神楽」が「かぶら=蕪」になったものだという。それには、神功皇后伝説が絡んでいる。
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 神功皇后は三韓征討の帰路に、筑紫国から畿内に向かうのに、海路をとって瀬戸内海を東に進んで行った。伝説ではその途上では各所でさまざまな出来事があったとしているが、ここでも「岬の沖合で暴風雨により難破しそうになったが、そこでその付近に上陸して神楽を奏し舞うと嵐もおさまった」といい、神楽崎がその由来なのだという話がある。
 また、黒船騒ぎで世情騒然としていた嘉永年間には、この蕪崎から一枚の古代鏡が発掘されたので、これこそ神功皇后の神器であろうと埋めなおして神鏡塚として奉った、ともいうのだ。その鏡は現在はいくつかの破片に割れているようだが、土庄町が蕪崎神鏡塚出土鏡として保管しているようだ。
 こうした神功皇后伝説は、讃岐にもあるので、想像するとその船団が讃岐から北上して小豆島の北側に回り込んでいることになる。これは、当時の船と航海術からすれば、島伝いに陸地を見ながら進むのが基本で、そう考えると島もない広い播磨灘に漕ぎだすよりも、小豆島の北側に回り込んで、吉備の国との間の比較的狭い水域を航路に選ぶのは当然だったのだろう。
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 細く長く突き出しているが陸繋島ではなく、岩石の部分が浸食を食い止めて残ったという感じだ。この蕪崎では1987年度版の「二十四の瞳」の撮影も行なわれたという。
 長浜、渦江といった海岸の集落を通り抜けながら、北に向いて出っ張っている蕪崎を眺めるとき、ちょうど潮汐の加減なのか干潟が広がっていた。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分42.75秒 134度10分19.44秒
スクリーンショット 2019-02-06 16.47.42.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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タグ:香川県
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