1536 ヒシノ鼻=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)通りすがりながら採石場を眺めながらの想いも広がる [岬めぐり]
男鹿島の地図を眺めて特徴的なことは、採石場の石切のために無数の崖があることと、いわゆる通常の道路にあたるものの表記がどこにもないことだろう。全島が私有地で、公道にあたるものがまったくない、というのがその理由ではないかと想像できる。
島内にあるのは、二本の破線で描かれた道ばかりで、これは地理院地図の記号では「庭園路」を示している。いわば、庭の中にある道と同じというわけだ。公道ではないから、島内にある自動車にはすべてナンバープレートもついていないという情報もあった。ということは、免許なしでも走れるのかな。この辺は、車にも免許にも縁がないでんでんむしにはよくわからない。
でんでんむしのように、雨の中を走ってきた船に乗ってちょっと桟橋に寄っただけですぐまた島を離れて行くような、文字通りのほんの通りすがりではなく、実際にこの島に上陸して歩き回っている人たちが残している記録も結構あった。釣り人もいるし採石場の写真を撮りに来る人、かつて山のてっぺんにあったという旧石器から縄文の遺跡を尋ねて来る人もいた。それらによると、採石場が休業しているときには島内を一周することも可能なようだ。
島の住民は数十人ほどで、みんな採石に関わっている人たちばかりのようだが、島の所有者など、詳しい実情もよくわからない。しかし、この島で採石が始まったのは150年くらい前からで、最盛期には100軒もの業者があって、それぞれこの島から石の切出し、決められた大きさに砕石する加工、石材の運搬などの仕事を分担してやっていたという。
国全体が近代化を目指して右往左往していた明治期には、阪神地区の近代的な港湾の建設と整備のために、大量の石材が必要とされたことだろう。また、近年でも関西国際空港や神戸空港などの、大規模な埋め立て建設現場への積み出しが行なわれてきたはずであろう。
現在では、そうした大規模需要も一段落したのか、かつての盛業時のような活況はなさそうだが、重機など採石の道具の進化は、島の形そのものを大きく変えながら、その作業自体をも変えてきたに違いない。
軽視できないのが運搬で、ガット船と呼ばれるクレーンなどを備えた無数の船が、賑やかに往来して石材を運んでいたのであろう。それは、船の停泊や修理保全の仕事も生み出し、家島の港の繁栄にも一役買っていたはずだ。
男鹿島の最西端にあたるヒシノ鼻から南にかけての一帯は、大規模な採石場が広がっている。雨に烟るその露出した岩肌の風景を眺めながら、そんなことにも想いは広がっていく。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度40分6.75秒 134度33分43.30秒
近畿地方(2018/10/10 訪問)
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