1535 塩崎=姫路市家島町宮:男鹿島(兵庫県)家島十景のひとつ「淡賀楯崎」はここなのか [岬めぐり]
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岬名の拾い出しと表記は、国土地理院の地理院地図に拠っているのだが、Mapionも併せてみるとときどき発見がある。男鹿島のこの塩崎も、Mapionでは塩崎ではなく「淡賀楯崎」と表記されていた。どういう理由と経緯によるものか、ちょっと好奇心を刺激される。
というのは、「淡賀楯崎(たんがたてざき)」とは、そもそも18世紀の播磨国の地誌に表れる家島十景のひとつの呼称だからだ。その十景からして、現在ではほとんどその面影を留めてはいないと思われるが、岬でこの十景に入っているのは、このほかに「観音崎月」というのがある。観音崎も地理院地図にはないのだが、その場所が「家島本島南端の観音崎」というのだ。ならば、それはどうやら地理院地図でいう堂崎のことらしいとわかる。
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「淡賀」というのは当然「男鹿」の音を当てたものであり、一説には「賀」には「崖」という意味があるそうで、「淡く白い崖がある島」が「淡賀」と称されていたという。「男鹿」と書いて「たんが」または「だんが」と呼ぶのと、どっちがどうなのだかはわからないが、こちらシカのほうは播磨国の飾磨(しかま)にいたオスとメスのうちのオスジカが海を渡ってこの島に辿り着いたところから、男鹿島という名になったという説が一般的らしい。
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なんだか、利尻島に渡ったクマのことを連想してしまったが、ありえないことではなかった。利尻島と北海道本島の間はおよそ20キロ、飾磨から男鹿島までは16キロである。利尻島のクマはメスを求めて渡ったとされるが、ここのシカはメスを本土に置いて海を渡ったことになる。しかとはわからぬが、いろいろ事情があったのだろう。
それにしても、姫路市のサイトが「観光スポット:淡賀楯崎(あわがたてざき)」としているのはいただけない。どうしてこういう間違いが堂々と市のサイトに載ったままになっているのだろうか。(それとも姫路市の「あわが」のほうが正しい読みだとでも?)
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その昔、島の特徴として白く淡く輝いていたであろう崖は、今はもうなくなったことであろう。それは花崗岩の崖で、この島では全島に渡って採石場があり、島中いたるところで山を切り崩しているからだ。
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採石の後も生々しい風景の中に、岩が塔のように立っているのが目立っている。この塔がこのように見えるのも今だけで、前はもっと大きな山だったろうし、この後はやがて塔もなくなってしまうだろう。
淡賀楯崎がなぜ塩崎になったのか、それともまた両者は微妙に別々の場所を指しているのか、それもよくわからない。だが、その場所も大きくその風景を変えてきたことであろう。
姫路市がサイトで言う(あわがたてざき)淡賀楯崎を「観光スポット」としてあげている理由は、どうやらここに鹿公園なるものがあるためらしい。聞くからに侘しさと物悲しさが募るような感じしかしない「鹿公園」。船からではわからず見なくてすむのが、幸いというものであろう。

坊勢島へ行く船は、男鹿島へ寄港する便もある。船は宇和島という二つの小島を見ながら島へ寄る。宇和島の向こうに見える島は太島とクラ掛島という無人島。
船は塩崎を見ながら桟橋へ横付けされるが、乗る人も降りる人もいなかった。

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