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1531 藻振鼻=たつの市御津町室津(兵庫県)西国大名の参勤交代ルートの重要拠点だった室津 [岬めぐり]

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 大浦行きのハスを降りたのは、室津西口というバス停。25メートルくらいの高さのところを走る国道250号線から急な坂道を階段で降りて、さほど大きくはない港を取り巻いている室津の町中に入って行く頃から、ポツポツと雨が落ちはじめた。
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 藻振鼻は、この室津の港のさらに南に伸びる尾根が、西に突き出しているところにある。港の南の小山の上に、賀茂神社があるので、そこに登って藻振鼻を見るのが一番いいのではないかと、石段をあがってみたが、展望がな誘うなうえに工事をやっていたので早々に降り、その下の小学校の裏に出てそこから見ている。
 なにやら思わせぶりな名前だが、いたって小さな岩場が飛び出した上に植生が茂っているだけの岬のようだ。朝はもう8時なのに、まだ夜が明けきらないかのように暗い。
 藻振鼻の南、1.5キロから2.5キロの海上に3つの島が並んでいる。
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 地ノ唐荷島、中ノ唐荷島、沖ノ唐荷島という名前がついているところをみると、貿易船が出入りしていたようでもある。難破した唐船の荷物が流れ着いたので、その名があるという。
 今は静かな漁港だが、実は室津の港はかつては大変に殷賑を極めた港であったらしい。(一説によると、遊女の発祥の地でもあるというのだが…。)
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 その名残りは、今も町の通りを歩けばあちこちに残っている。港のそばから古い造りの建物が軒を連ねていて、ところどころには石標が立っている。そこは本陣の跡だったことを示していて、それらの道案内をする石柱もある。なんでも室津の本陣は6軒を数え、その数は箱根に並ぶほどのものだったという。
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 本陣というのだから、大名や公家、身分のある幕府役人などが宿泊した公的な旅宿で、それがここに何軒もあったということは、室津が参勤交代などの際には重要な宿場であったことを示している。多くの西国大名が、参勤交代で往来するときに、ここが船に乗り、また船を降りるときに使われたことだろう。
 姫路藩御茶屋跡という石標がある建物は、たつの市の室津出張所になっている。一瞬、姫路藩はここを通らないだろうと思ったが、その横にある説明の石板で納得がいった。そこは姫路藩が設けた朝鮮通信使のための宿舎があったというのだ。
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 そこには屏風絵の一部が彫り込まれていて、「宝暦14年(1764)第11次通信使一行が江戸への途次、室津に入港したときの様子」と説明がある。
 通信使一行も西国大名の参勤交代の行列も、江戸へ向かうときにはここまで船でやってきたわけだ。では、彼らはどこから船に乗ってここまできたのだろう。ここから先へは、陸路で行ったのだろうか、それともまた船に乗って兵庫、大坂まで行ったのだろうか。
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 もちろん、いろいろなケースやコースもあっただろうが、まだ明石海峡の安全性が確立されない当時の一般的なルートとしては、室津から山越えで揖保川の正條宿へ向かう室津街道があったらしい。また、西へは牛窓や鞆の浦など瀬戸内海の浦々をつないで渡海することも多かったのだろう。
 藻振鼻は、その室津の港を抱え込むようにして、西に向くかぎのようになって出っ張っている。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度45分43.57秒 134度30分7.74秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2018/10/10 訪問)

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タグ:兵庫県
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