列島の輪郭をなぞって電車とバスと徒歩で知らない土地を通り過ぎていく…=記憶遺産Part2-10 [ある編集者の記憶遺産Part2]
なぜ「岬めぐり」などということを始めることになったのか、それについては、2009年に
番外:なぜ「みさき」なのか?
という項目を立てて書いていた。このボタンを押してもらえばいいのだが、こう書いていてもリンクページに飛んで読んで、また戻ってくる人はおそらく10人に1人もいないだろう。
番外:なぜ「みさき」なのか?
という項目を立てて書いていた。このボタンを押してもらえばいいのだが、こう書いていてもリンクページに飛んで読んで、また戻ってくる人はおそらく10人に1人もいないだろう。
そこで、これもまた重複感はあるが、要点だけをかいつまんでいうと、最初からはっきりとした動機やきっかけがあったというわけでもなくて、ただ漠然とした想いが積み重なって、だんだんと固まっていった結果、というしかないであろう。その漠然とした想いの中では、ふたつのことが大きな要因となっている。
そのひとつが岬とは名前がついていない福井県の東尋坊であり、もうひとつが和歌山県の潮岬であった。これらについても、それぞれ項目を設けて書いていた。
053 潮岬=東牟婁郡串本町潮岬(和歌山県)いつかはきっとやってくる…
726 東尋坊・雄島=坂井市三国町安島(福井県)「岬めぐり」の原点は“岬”はつかないココでした
東尋坊も潮岬も、その場所との最初の接近遭遇は、まだでんでんむしが10代の終わり頃のことであった。北アルプスの山行きから広島へ帰る途中に芦原温泉に泊まり、翌日おまけで訪れた東尋坊の岩峰に荒波が打ち寄せる様は、瀬戸内海しか知らなかった身には、極めて感慨が大きかった。
また、同じ頃、乗組員の一人だった叔父のつてで、特別に宇部セメントのタンカーに便乗させてもらう機会を得て、太平洋を行く船の上から遥かに小島のような潮岬を眺めていた。その時に考えたのは、自分の人生の中でこれから先、あの岬の上に立つようなことが、果たしてあるのだろうか、ということだった。
それがとにかく岬への興味の始まり・原点で、後にくっついてくるいろいろな理屈は、すべて後付けのものだと言える。
日本地図を眺めていると、大きく目立つ出っ張りには、みなちゃんと名前がついている。街からは遠く離れた最果てのようにも見えるそこは、どんなところなのだろう。もっと細くみると、日本列島の海岸線にはもっともっとたくさんのでこぼこがあって、それぞれにまた名前がついているが、ついていない出っ張りの方がもっと多い。
そうした岬の出っ張りの多くは、ほとんど誰も知らないし、誰も行かない。人が寄ってくる観光地のようになっているところもあるだろうが、そのほとんどは、人知れずそれでも常に風雪に耐え波浪にあがらいながら、そこで出っ張っている。どうしてそこだけ出っ張って、そんなに頑張っているのだろう。
「ここに地終わり、海始まる」というロカ岬は、ヨーロッパの人にとってみれば確かに大陸の果てであり、自分たちの領分がここで終わってしまう感が強いのだろう。だが、周囲を海に囲まれた小さな島国である日本では、それともちょっと違うような気もする。
岬の多くは、固い岩石が壁となり大きな塊となって、絶え間ない波浪の侵食に耐えているからで、その周辺に伴っている岩礁地帯や広く大きく湾曲した砂浜や断崖絶壁や段丘などとともに、日本列島の輪郭を形づくっている。
そう思ってみると、岬をめぐるということは、この国の国土の形をなぞって歩くということで、知らない土地を初めて通り過ぎて行くという旅人感とともに、なかなかの味わいがある。
なぜ岬めぐりなんですか?という質問については、個人的な想い入れの強い東尋坊や潮岬を持ち出して答えようとするよりも、単純に「列島の輪郭をなぞって電車とバスと徒歩で知らない土地を通り過ぎていくのがとてもおもしろくて楽しいんですよ」、というほうが、納得性が得られるかも知れない。
いつもご自身のブログに「読んだ!」ボタンの返信コメントを書いてくださるChinchikoPapaさんからは、今回もまた、「既存の交通機関のみを活用して、日本全国の「岬」をめぐる旅というのは前人未踏のオリジナルテーマで、誰にもマネのできない偉業だと思います。ぜひ、これからも日本中の「崎」「碕」「岬」「鼻」を、ときに埋め立てや開発、自然災害などで失われてしまったそれらも含めて、探査ご紹介ください。」との励ましをいただいた。ありがたいことだ。
偉業かどうかは甚だ疑問だろうが、前人未踏のオリジナルテーマでありそうなことは、どうやらそう言えるかも知れない。ただ、全踏破ではない、行けないところもある、遠くから眺めるだけの遠望でもOKなどと、不徹底なところも多いので、マニアック度も減点されそうだ。
しかし、岬めぐりだからと言って必ずその岬の上に立たなければならないということはない。むしろ遠望でないと岬の姿形もわからない、ということも多い。
岬なんてただの出っ張りに過ぎず、それを写真に撮って見たところで、どれもこれも似たようなもので、大した違いはない。それでも大きな岬の場合には、灯台があるとか、周辺が公園になっているとか、観光施設があるとかの違いもあるが、中小の岬になると実際、ぱっと見に見える形には大差がないように見える。
だが、周辺の地形やその地の人との関わり方や、地域の歴史にも絡んでいたりして、よく見ていくとさまざまなことに思いは飛んでいき、書くことにはそれぞれ困らない。
人との関わりが薄いところでも、その岩や石や地質に注目してみると、いろいろなことを雄弁に語っていたりする。ただ、残念ながらこちらの知識が充分でないため、理解が不足していて、どうしても中途半端ななまかじりになってしまう傾向がある。それでも、素人ながらにそういうことにも触れてみるのはおもしろい。
そのようにして、有名な岬や観光地でもない、一見なんの変哲もない出っ張りにも名前がついているというその一事に着目して、その岬に注目してみよう、というのが岬めぐりの精神なのだ。
とはいっても、ほとんどの岬が有名でもなく、都合よくエピソードや物語や伝説を秘めているわけでもないので、まるっきり書くネタがないというごくフツーの岬も多いのが実情だ。
当岬めぐりでは、それでも強引に無理矢理一項目は設けてしまうのが方針なので、それを何を書いてどのようにして切り抜けるか、それに四苦八苦するのもまた一興かも。
(2018/08/25 記)
そのひとつが岬とは名前がついていない福井県の東尋坊であり、もうひとつが和歌山県の潮岬であった。これらについても、それぞれ項目を設けて書いていた。
053 潮岬=東牟婁郡串本町潮岬(和歌山県)いつかはきっとやってくる…
726 東尋坊・雄島=坂井市三国町安島(福井県)「岬めぐり」の原点は“岬”はつかないココでした
東尋坊も潮岬も、その場所との最初の接近遭遇は、まだでんでんむしが10代の終わり頃のことであった。北アルプスの山行きから広島へ帰る途中に芦原温泉に泊まり、翌日おまけで訪れた東尋坊の岩峰に荒波が打ち寄せる様は、瀬戸内海しか知らなかった身には、極めて感慨が大きかった。
また、同じ頃、乗組員の一人だった叔父のつてで、特別に宇部セメントのタンカーに便乗させてもらう機会を得て、太平洋を行く船の上から遥かに小島のような潮岬を眺めていた。その時に考えたのは、自分の人生の中でこれから先、あの岬の上に立つようなことが、果たしてあるのだろうか、ということだった。
それがとにかく岬への興味の始まり・原点で、後にくっついてくるいろいろな理屈は、すべて後付けのものだと言える。
日本地図を眺めていると、大きく目立つ出っ張りには、みなちゃんと名前がついている。街からは遠く離れた最果てのようにも見えるそこは、どんなところなのだろう。もっと細くみると、日本列島の海岸線にはもっともっとたくさんのでこぼこがあって、それぞれにまた名前がついているが、ついていない出っ張りの方がもっと多い。
そうした岬の出っ張りの多くは、ほとんど誰も知らないし、誰も行かない。人が寄ってくる観光地のようになっているところもあるだろうが、そのほとんどは、人知れずそれでも常に風雪に耐え波浪にあがらいながら、そこで出っ張っている。どうしてそこだけ出っ張って、そんなに頑張っているのだろう。
「ここに地終わり、海始まる」というロカ岬は、ヨーロッパの人にとってみれば確かに大陸の果てであり、自分たちの領分がここで終わってしまう感が強いのだろう。だが、周囲を海に囲まれた小さな島国である日本では、それともちょっと違うような気もする。
岬の多くは、固い岩石が壁となり大きな塊となって、絶え間ない波浪の侵食に耐えているからで、その周辺に伴っている岩礁地帯や広く大きく湾曲した砂浜や断崖絶壁や段丘などとともに、日本列島の輪郭を形づくっている。
そう思ってみると、岬をめぐるということは、この国の国土の形をなぞって歩くということで、知らない土地を初めて通り過ぎて行くという旅人感とともに、なかなかの味わいがある。
なぜ岬めぐりなんですか?という質問については、個人的な想い入れの強い東尋坊や潮岬を持ち出して答えようとするよりも、単純に「列島の輪郭をなぞって電車とバスと徒歩で知らない土地を通り過ぎていくのがとてもおもしろくて楽しいんですよ」、というほうが、納得性が得られるかも知れない。
いつもご自身のブログに「読んだ!」ボタンの返信コメントを書いてくださるChinchikoPapaさんからは、今回もまた、「既存の交通機関のみを活用して、日本全国の「岬」をめぐる旅というのは前人未踏のオリジナルテーマで、誰にもマネのできない偉業だと思います。ぜひ、これからも日本中の「崎」「碕」「岬」「鼻」を、ときに埋め立てや開発、自然災害などで失われてしまったそれらも含めて、探査ご紹介ください。」との励ましをいただいた。ありがたいことだ。
偉業かどうかは甚だ疑問だろうが、前人未踏のオリジナルテーマでありそうなことは、どうやらそう言えるかも知れない。ただ、全踏破ではない、行けないところもある、遠くから眺めるだけの遠望でもOKなどと、不徹底なところも多いので、マニアック度も減点されそうだ。
しかし、岬めぐりだからと言って必ずその岬の上に立たなければならないということはない。むしろ遠望でないと岬の姿形もわからない、ということも多い。
岬なんてただの出っ張りに過ぎず、それを写真に撮って見たところで、どれもこれも似たようなもので、大した違いはない。それでも大きな岬の場合には、灯台があるとか、周辺が公園になっているとか、観光施設があるとかの違いもあるが、中小の岬になると実際、ぱっと見に見える形には大差がないように見える。
だが、周辺の地形やその地の人との関わり方や、地域の歴史にも絡んでいたりして、よく見ていくとさまざまなことに思いは飛んでいき、書くことにはそれぞれ困らない。
人との関わりが薄いところでも、その岩や石や地質に注目してみると、いろいろなことを雄弁に語っていたりする。ただ、残念ながらこちらの知識が充分でないため、理解が不足していて、どうしても中途半端ななまかじりになってしまう傾向がある。それでも、素人ながらにそういうことにも触れてみるのはおもしろい。
そのようにして、有名な岬や観光地でもない、一見なんの変哲もない出っ張りにも名前がついているというその一事に着目して、その岬に注目してみよう、というのが岬めぐりの精神なのだ。
とはいっても、ほとんどの岬が有名でもなく、都合よくエピソードや物語や伝説を秘めているわけでもないので、まるっきり書くネタがないというごくフツーの岬も多いのが実情だ。
当岬めぐりでは、それでも強引に無理矢理一項目は設けてしまうのが方針なので、それを何を書いてどのようにして切り抜けるか、それに四苦八苦するのもまた一興かも。
(2018/08/25 記)
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