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1513 鴨ヶ崎=十和田市奥瀬(青森県)この岬の下から千丈幕は湖の中にも何段か階段をつくっているような… [岬めぐり]

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 日暮崎に続いて、すぐ南東にちょこんと、小さく飛び出ているのが鴨ヶ崎で、その上には千丈幕がまだまだ長々と続いている。
 十和田湖は、三本指の恐竜かなにかの足跡のような形になっている。下(南)を向いている三本指は、それぞれ東側から東湖(ひがしのうみ)、中湖(なかのうみ)、西湖(にしのうみ)という名がついている。東湖の側には、どういうわけかひとつの岬もないので、御倉山を回り込んだ日暮崎・鴨ヶ崎は、真ん中の指の跡、中湖の東岸にあたる。
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 地理院地図では、薄青く表示された湖面の上に水深の等深線も示されている。パッと見てすぐわかるのは、十和田湖全体のうちでも中湖がいちばん深いということだ。それも、かなり極端にこの卵型の中湖だけが深くなっている。
 鴨ヶ崎からその岬の延長線上に沿って、湖の底深く入っていく。すると、50メートルの間隔をおきながら、階段状にストンストンと湖底が落ちていく。この等深線から読み取れるのは、湖の中にも千丈幕のような断崖が何段かできているのではないかと想像できることだ。
 そして、300メートルの深さまで達するとそこからは落ち込みは緩くなり、深目の皿を湖底に沈めこんだような感じになる。
 ちょうど、鴨ヶ崎の対岸にあたる千鶴崎の中間付近には湖底の小山のようになっているらしく円が描かれている。そこから380メートル千鶴崎のほうに寄っていったところに「・327」と最深部が表記されていた。この等深線からはなかなか想像しにくいのだが、320メートルより深い湖底が、中湖の中央に広くあって、そのなかにさらに2メートルほど深く凹んだ場所があるということだろう。
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 十和田湖全体でみると、平均水深は71メートルしかない。東湖も西湖も20〜60メートルの深さしかない。広い北側の部分が60〜100メートルなので、そういう結果になっているのだろう。
 そもそもこの場所にこんな湖ができたのは、いったいどうしてなのだろう。その答えは、今は湖になっているこの場所は、昔々の大昔には活発な噴火を繰り返していた火山だったからで、その爆発で生じた穴というか、凹みに水が溜まったのが十和田湖だというのだ。
 こういう凹みをカルデラといい、そこに水が溜まってできたのをカルデラ湖という。
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 十和田湖はまぎれもないカルデラ湖なのだが、この湖底をもう少し念入りに想像してみると、三本指の足跡全体でいうと平均水深前後の深さのところが広がっており、いわばこれが最初にできたカルデラ湖になる。そして、その中でも中指の中湖だけが極端に深く、300メートルを越える深さまで穴が開いているわけで、これはその後に新たにできた火山爆発によって陥没した噴火口の跡ではないかと想像できる。つまり、十和田湖のカルデラは、二重になっていることになる。これは、日本ではここだけとしている情報も多い。だが、実は他に青ヶ島があるのだが、あまり例を見ないことは確かのようだ。
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 十和田湖の一体が大きな火山だった時期は、八甲田火山の活動が始まった後に続く約20万年前頃といわれ、最初のカルデラ湖ができたのは5万5,000年~1万5,000年前(幅ありすぎやろとツッコミたくなるところだが、もっと何十万年何百万年単位で幅がある地質関連ではこれくらいごく幅が少ないほう)で、中湖ができたのは約4,000年前頃(これも1,100年前という説もあり、どこの時点を最終的なカルデラの形成ととるかで異なる)とされている。
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 たとえば1,100年前ということにすると、それは平安時代ということになり、地質史的にはついこの間、ごくごく最近ついこの間の出来事なのだ。
 鴨ヶ崎の上にそびえる御倉山と千丈幕は、中湖をつくる一連の火山活動に伴って噴出した溶岩ドームだった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度27分18.64秒 140度54分24.65秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/06 訪問)
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