1509 殿崎=むつ市川内町蛎崎(青森県)JRバスが走る国道を松林がきれいに茂る岬を眺めつつ [岬めぐり]
現在では「JRバス」は路線も少なくなっていて、「ええっ? JRはバスもやっているの?」という人さえあるのかもしれない。でんでんむしなどは、ボンネットバスが走っていた「国鉄バス」時代から、ずいぶんお世話になっていた。鉄道は山陽本線と山間部へ入る芸備線・可部線しかなく、平地の狭い広島では、公共交通機関といえば市電とバスで、バス会社は何社もあり路線は縦横に走っていた。当然国鉄バスも山陽本線に並んで呉線分岐の海田市まであり、車体に描かれた丸にツバメのマークも懐かしい。今のマークは丸のない横に細長いスマートなツバメが描かれているのが多くなっているようだ。
ヤクルト球団がなんで「スワローズ・つば九郎」なのかといえば、この球団の初代は「国鉄スワローズ」であったから(当時の花形特急が「つばめ」だったから)で、セリーグの草創期においては、広島カープといつもブービー争いをしていた。
ここではジェイアールバス東北株式会社という別会社になって、田名部と脇野沢の間を下北線としてバス運行しているものの、上り早朝を除けば日に3便しかなく、それぞれの便の間には4時間近くもの間隔が開いている。
そもそも国鉄がバスを走らせるようになった背景には、当初はいずれ鉄道路線を通すまでの代わりとしてという鉄道の先行・代行という考え方があった。現在では、その色合いはとうに消えていて、高速道路網が広がったことにより、鉄道の補完路線として高速バスを走らせるケースのほうが目立っている。
この下北線が、かつては脇野沢からさらに北西に伸びていて九艘泊まで走っていたのが、脇野沢で打ち切られ短縮されたためむつ市が廃止代替路線として九艘泊線をなんとか維持していることは、前にふれた通りだ。大湊までは鉄道が来ていた(大湊線)ことを踏まえてそのルートを考えると、下北線というバス路線は、当初はさらに大湊から先に延びるかもしれない鉄道の先行または代行の意味があったのかもしれない。
そう考えると、半島一円に交通網をもっている赤いラインの下北交通ではなく、ここだけ青いラインのJRバスが走っている理由がなんとなく見えてくるような気もするのだが…。
松ヶ崎からは東北東に4キロ弱離れているが、殿崎は浅い湾をつくるように緩く南に向いて飛び出しているので、国道からはずっとそれを眺めながら歩いて行く。
歩いているところは、この先の小沢まではむつ市脇野沢だが、殿崎のあるところは同じむつ市でも川内町蛎崎となる。合併するときに村だった脇野沢と町だった川内町の差が、ここでつけられている(のか?)。
殿崎には高い山もなければ、長い尾根もないし、断崖も岩場もなさそうだ。傘松という地名もあるので、それらしい松もあるのだろう。広い松林がこんもりと海岸にせり出している。南西側から眺めていると、細長く出っ張った岬のように見えるが、幅のあるふたこぶからなっているのが殿崎なのだ。
深石のバス停が近づいて、いよいよ小沢の集落に入ろうかというところで、前方の国道をなにやら小さな塊が転がるようによぎっていく。
急いでカメラを構えたが、その茶色の塊が青い網で囲った柵をよじ登ろうとしているところだけやっと捉えた。すぐに、民家の垣根をなんなく越えて姿を消していった。
サルの消えた先の殿崎の向こう遠くに見えているのは、下北半島のまさかりの柄にあたる部分で、いちばん殿崎寄りのところではその幅は東西9キロしかない。
小沢は街道沿いに細長く広がった集落で、旧道の両側には民家が固まっていて狭いので、バスは海岸側にできたバイパスを通るようになっている。まだ次の停留所まで歩いてもいいが、あまりメリットもなさそうなので、小沢のバス停で脇野沢フェリー前16:38発の最終バスがやってくるのを待つことにする。
そのバスに乗ると、大湊駅に着くのが17:39で、この訪問時夏の終わりでももう薄暗くなりかけの時刻になるが、まだそこでは一日の行程は終わりにならない。三沢から十和田市へ、そして翌日は十和田湖へ向かうためにまたJRバスに乗らなければならない。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度9分48.96秒 140度53分24.24秒
東北地方(2017/09/05 訪問)
タグ:青森県
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