1508 松ヶ崎=むつ市脇野沢(青森県)石神様を祀った松の岬の台地はこの付近では小さいながら目立っている [岬めぐり]
国道を北東に歩いて行くと、緩い上りになって道と海が高く離れ、その間に松が何本も並んでいる、そんな景色がつぎつぎと展開する。
さてはもはや松ヶ崎かと思えば、それはまだ先。道が10数メートルの高みで松が切れたところでは展望スペースもある。
西には鯛島が見え、蟹田からむつ湾フェリーがやってくる。
松ヶ崎は、そこから北向きに若干下ったところにある。尾根からはぐれてひとりだけゴロンと海岸に転がり出たかのような小山の岩体が、そこだけ海に突き出して松を茂らせている。国道はその付け根をよぎって行く。
道の脇に小さな赤い鳥居があり、「松ヶ崎石神邨社」と書かれた標柱が立っている。「邨社」というのは「村社」と同義で、神社の社格のうえではそう高いほうではなく、まあいわば「村の鎮守の神様」のような位置づけだと思っても間違いはあるまい。
だが、ここは脇野沢港のある本村からは東北東に2キロちょっと離れた場所で、村の鎮守としてはいさかか人里からは離れすぎていて、不便な位置という見方もできる。したがって、ここに神社ができたのは、もっぱらこの松ヶ崎のこの付近では明らかに目立っている岬のロケーションが先にあって、そのロケーション優先で神様が配置された、というのが真相ではないだろうか。
ここに神様を誘致するには、それなりの由来が必要だ。ここには、それをちゃんと記した立派な説明板が建てられている。それを建てたのは「本村能舞講中」と末尾にある。本村というのは港のある脇野沢集落の中心地で、古い港町には能舞が伝わっており、それを守ってきた講中がこれを建て、神社も祀ってきたということなのだろうか。
では、きれいな文字で記された、その由来を読んでみよう。
慶長年間、能登出身の漁師喜右衛門がナマコ漁操業中、笊網に一〇貫目の石が掛かり、幾度投げ捨てても掛かることが数日続いたので、不思議を感じ、この松ヶ崎の磯に揚げたところ、白髪の修験者が現われ「その石は神石である。岬の台地に神として祀れ」と言って姿を消した。
喜右衛門は早速、岬の台地である現在地に「揚神石」として小祠を建て祀ったところ、漁運に恵まれ好漁するようになった。さらに参拝の都度、この石が成長していることに気づき、「成長する神石」として村の旦那衆と相談し、堂宇を建て、邨社石神様として祀るようになった。以来、この石が大きくなり、屋根を破るたびに堂宇を建替えてきたものだと言われている。
この石神様は縁結びの神様であり、石のイボに恋の願いを書いて結ぶと思いが叶うという。又、石神様の右脇に一体の観音様が祀られている。この観音様に米を入れた袋を二袋供え、一袋を持ち帰り、粥に炊いて食すると産婦の乳の出が良くなると言われている。
この由来でも「岬の台地」というロケーションが強調されている。
そして、ここの神様は、よくある単なる弁天様や明神様ではなく、「石」をご神体とした石神様という点で特異なのだ。
だたし、石がご神体で、その石が成長するという、似たような来歴を持つ神様は、ここだけではない。全国各地にけっこうあるようだし、同じ青森県内でもほかに二か所はある。
ここでは「能登出身の漁師」というのも、ちょっと気にかかる。なぜ能登なのだろう。なぜ一漁師の出自がわざわざ明記されるのだろう。だが、それについては語らない。
漁師の網にかかって…というのも、浅草の観音様を筆頭によくあるパターンのひとつで、豊漁を願うというのが、いわば最初からのメインで、縁結びや乳の出の話は後からくっつけたものだろう。こういう場合、ほかの神社の縁起や由来が伝えられて活用流用するということもあり得たことだろう。ほかの石神様には女性の守り神という色合いもあるようだし…。
ナマコ漁というのがおもしろいが、そんなに需要があったのだろうか。タラでは網に石は掛からないし、ホタテはずっと後のことだからここはナマコになったのだろうか。
松ヶ崎の南側には、国道338号線の標識と並んで「赤坂海岸」と記された標柱も建てられている。こういうのがまた悩ましい。「赤坂」という地名や字名など、地図上で見る限りはどこを探してもないし…。
…と首をかしげて標識を眺めていると、バスが通りすぎて行った。これが脇野沢に行って、また次の便で折り返してくるJRバスになるので、どこかでそれに乗らなければならない。
この松ヶ崎、こうして逆光でみると岬の上半分は、松の枝の隙間から光が漏れている。なるほど。こうしてみると、確かに由来が言う「岬の台地」の意味がよくわかる。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度9分20.58秒 140度50分48.12秒
東北地方(2017/09/05 訪問)
タグ:青森県
同じ下北半島に十数年前に越してきましたが脇野沢にはまだ一度も行ったことがないので楽しく拝見させていただいております。
能登の漁師云々は北前船の影響ですかね?
むつ市関根にある石神温泉も何か関係あるのかなぁ
by 青い森のヨッチン (2017-12-02 11:13)
@青い森のヨッチン さん、コメントありがとうございます。
そうですか、下北に十数年住んでいても脇野沢には行ったことがない…そういうものかもしれないですね。とくに用事があるわけでもなければ…。
人的交流が北前船の回航で促進されたということはあるでしょうね。
下北の温泉は、下風呂は通っただけで、薬研温泉に行ったことがあるくらいですが、関根にもあったんですか。
by dendenmushi (2017-12-03 06:55)
なぜ、脇野沢に来ないのですか?下北の祭り毎は北前船により伝承されてます。ちなみに石神邨社の御祭礼は十月十七日四時祈祷にて祭礼される予定です。
by 本村能舞保存会 藤江 (2020-07-08 20:21)
@本村能舞保存会 藤江さん、当ブログは岬めぐりがメインテーマですので、神社に行くのも岬があるところだけになっています。
脇野沢は何度か通りましたが岬がないので船を乗ったり降りたりしただけになっています。
by dendenmushi (2020-07-09 08:58)