1501 アモ十太岬=むつ市脇野沢(青森県)名前からするとなにやら曰くありげなのになんにも情報がないので [岬めぐり]
「断層海岸」については、「1499 焼山崎」の項以来ずっとしつこく追いかけてきたのだが、その用語の使い方に偏りがある原因は、どうやらひとつの学説としてはあるものの、定説として学会に定着していなからではないのだろうか。(ただ、断層の存在自体は一部最新の探査技術を使った調査の結果でも、明らかにはなっているらしいし…。)
大間原発にからむ地質調査などの結果が、断片的にネットで検索でき、それをシロウト目線で拾い読みしてみると、そんな印象も受ける。
こういった事例は結構多くて、ある学者の著書に書いてあって、へーそうなのかと感心していると、ほかの学者はまったくそれを評価していない。学説が定説になり一般人の常識になるには、何万年単位の地質年代ほどではないにしても、相当の時間が必要なのだろう。
これまで、下北ジオパークの説明に書かれている「断層海岸とも呼ばれ」「断層海岸といわれる」というほかではあまり使われていない表現の背景を、僭越は承知でシロウトがいろいろ勘ぐってみたが、果たしてどの程度あたっているのだろうか。もし、まるっきりの間違い見当違いというのであれば、情報提示のしかたにも問題があるということになろう。
専門家の提供する情報が、一般人の知りたいこと、普通のシロウトにも理解できるような状況にないことは、この分野に限らずどこでも共通してある。そんなことは専門家や研究者の仕事ではない、という主張も一部あるのかもしれないが、それは考え違いだろう。ジオパークそのものの趣旨がそうであるように、一般への知識の普及活動は、専門家や研究者の重要な仕事、義務と言ってもいいことのひとつではないのか。
常々そんなことを思っているでんでんむしは、ジオパークについてもその想いをところどころで書いてきた。
番外:地層切断面=大島町野増(東京都)ジオパークは日本列島の断面をどう切り取って魅せることができるか
とはいえ、何百万年何千万年前になにがどうしたか、そんなことが簡単にわかるわけもないし、言えるわけもない。この分野のむずかしいことは、充分に理解できるが、それでもこれまでに多くの専門家研究者のおかげで、いろんなことがだんだんにわかってきている。その一部でいいから、あるいは基本のところだけでも、普通の人々の関心にフィットするように伝えることはできるはずなのだが…。
仏ヶ浦・新山崎・焼山崎・大崎と続いてきた断層海岸と海蝕崖は、まだまだ南へつながっていく。大崎の南1キロちょっとのところには、面木(おもぎ)という表記のある崖が続き、その上では山が切れて鞍部になっている。そこまで脇野沢に通じる面木沢に沿って林道があり、破線の山道が鞍部を越えて崖を降りている。
面木からまた1キロ南には、青石という表記が付けられた崖がある。また、材木岩とか穴間というのもあって、そこにも林道が延びてきている。300メートルの穴間山の南西がアモ十太岬と名付けられた50メートルの断崖で、この辺りまでくると等高線の間隔も少し広がって、崖の傾斜はゆるやかになってくる。
アモ十太岬というのも、なにやら曰くありげな名前なのだが、それについての情報はまるで得られない。アモ十太岬で出てくるのはただ地名を並べただけの場所取りサイトと、わずかな釣行記録のみである。脇野沢付近ではいわゆる遊漁船や渡船はないので、ここまでやってくる釣り人は、漁師さんに頼んで漁船を出してもらう、とあった。
見た目よりはアモ十太岬付近の足場はいいようだが、それにしてもよくこんなところまでと、日本中どこへ行っても、釣り人のあくなき執念には毎度感心させられる。けれども、アモ十太岬まで船を出してもらってやってくる釣り人も、そこらの岩や崖がなんでどうしてできたのか、そんなことには興味がないのだろうか。おそらくないのだろう。一般人の興味と言っても、それを平準化するのもむずかしい。
アモ十太岬から南へは、屏風岩を挟んで遠くに貝崎が見えてくる。この岬を回り込むと、もう脇野沢港も近い。
▼国土地理院 「地理院地図」
41度9分38.03秒 140度46分2.31秒
東北地方(2017/09/05 訪問)
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