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番外:浅虫温泉=青森市大字浅虫(青森県)アサムシってどんな虫って思った人必読そんなん知ってらぁの人はムシしてよし [番外]

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 東北本線時代に何度か「浅虫温泉」駅を通り過ぎ、アサムシってどんな虫なんだろうと漠然と思っていた。今回は初めて青森市営バスでやってきて、帰りは青い森鉄道で青森に引き返した。
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  ここへきて初めて知ったのだが、浅虫はムシではなかった。ムシではなくて、「アサをムス」ことから転じて「麻蒸」→「浅虫」となった名であった。では、なぜ「麻を蒸す」のかといえば、麻の繊維を取り出すためで、それには長時間水につけて発酵させるか、熱を加えるかして、皮を剥ぎ取る必要があったからだ。
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 その筋からしっかり目をつけまわされて、今ではすっかりワルモノ扱いになっている感がある大麻も、もともとは日本人の、とくに木綿が手に入らなかった北の人々にとって、貴重な衣料原料であったから、戦前までは広く栽培していたのだ。ここでは、麻の木から繊維を取り出すための工程に温泉の熱と水を利用していたというわけだが、そもそもそれはいつ頃のことだろうか。
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 いちおう876(貞観18)年に、円仁がこの温泉を発見した、ということになっている。慈覚大師円仁が、開山・再興したと伝わる寺はやたら多くて、関東で209寺、東北ではなんと331寺余もあるとされている。そのうちには、山形の立石寺、松島の瑞巌寺などの有名ドコロもあるのだが、徒歩で一日約40キロを踏破した人だというから、拡大解釈やあやかり組が多いとしても、あながち事実無根とは言えないかもしれない。
 最後の遣唐使船で唐に留学し、苦労して帰国した円仁が旅の記録を残した日記は、日本で最初の旅行記だったとされる。その足跡は北海道にも及ぶというから、浅虫で温泉を発見するなどは朝蒸前…いや朝飯前だったのかもしれん。
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 しかし、Wikipedia がいう浅虫温泉の歴史によると、円仁の発見にも触れているが、麻を蒸したという話をその理由には触れないままに続いて、「1190年にこの地を訪れた法然が温泉への入浴を広めてから、入浴用途にも使われるようになった」としている。ということは、この温泉は発見されてから300年間にわたって、その用途がもっぱら麻を蒸すためにのみ使われてきたということになるが、これはかなり怪しく思える。
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 実は、この温泉の歴史は、浅虫温泉公式ページにもまったく同じことが、しかも念入りに「布を織る麻を蒸すためだけに使われていました」と明記されているので、そういう伝承があることは事実なのだろう。
 だとしても、発見から300年以上もの間、この温泉では入浴が行なわれることなく、もっぱら蒸していたのは人ではなく麻だったことになるのは、いささか腑に落ちない。そう思うのは、でんでんむしだけなのだろうか。せめてもうちょっと、根拠のある史料が示されるとか「なるほど」と思うような説明をしてくれるといいんだけど…。
 日本の入浴習慣は、6世紀にもたらされた仏教の沐浴からとされているので、始めは蒸し風呂だった。これを寺で僧侶たちが修行の一環として、また七病除七福得という利益として広めたといえる。
 したがって、円仁の時代9世紀にはかなり広まっていたはずで、彼がそれを知らなかったとは考えにくい。だから、それからさらに300年経ってやっと法然がやってきて入浴を奨めたというのは、いかに東北の端っことはいえいささか間が抜け過ぎている。
 それに、1190年といえば法然上人(1133〜1212)57歳の頃で、この頃の法然は、対抗する南都各宗派を意識した浄土三部経の講説や問答などで忙しくしており、とても津軽の地まで足を運ぶことはできなかっただろうし、浄土宗のサイトを見てもそういう記録もない。
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 かつては東北の熱海と言われるほどの繁栄期があったことは、Wikipediaでは、「浅虫温泉駅を中心に、大型ホテルや旅館などの宿泊施設約40軒が営業している」としていることからも想像できるが、40軒というのはいったいいつのことだろう。現在の観光協会と旅館組合のサイトによると11軒が登録されているだけだ。
 駅から歩いて海岸に行く間にも、廃業して閉めたままのホテルの建物があった。歓楽街型温泉地としては、もはや立ちゆかなくなり、近年になって急速に衰退したのだろうか。
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 今、浅虫温泉といえば、水族館と道の駅(兼立ち寄り湯)が二大看板である。それでも、温泉の人を呼ぶ魅力は侮れない。団体御一行様用の大型旅館ホテルは、何軒かその威容を示しているし、その広い駐車場には観光バスが何台か停まっている。それを横目に、でんでんむしが選んだ浅虫の宿は、そうした大型旅館に挟まれるようにして、母娘が営む川縁に細長い小さな旅館だった。
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 棟方志功の絵を飾り、千鳥をシンボルにした旅館の横の小川には、いろんな種類の鳥がやってくるのだという。たまたま宿泊客はほかになく、のんびり悠々と個室しつらえの温泉に浸かってくることができた。
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 浅虫温泉が水族館と道の駅のほかにもうひとつ力を入れているのは、海岸の人工砂浜による海水浴場や海釣り公園の整備だったらしい。湯ノ島を中心として、南には善知鳥崎と鼻繰崎、北には裸島という岩島と八大龍王を祀る小山がある海岸は、なかなかきれいだ。
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 験潮場と青森県名産のヒバの木を使ったモニュメントがある海岸のプロムナードをほたて大橋にむかって北へ行くと、青森市から平内(ひらない)町に入る。
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▼国土地理院 「地理院地図」
40度53分37.77秒 140度51分34.82秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/04 訪問)
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タグ:青森県
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