1481 黄金岬=留萌市大町二丁目(北海道)留萌パワーはすごいが単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか [岬めぐり]
黄金岬はめずらしく市街地にある岬で、JR留萠本線の終点になってしまった留萌駅からは2キロほど、留萌中心市街地の十字街からは1キロちょっとくらいのところにある。
かつては列車から直結していたであろう港を南側から囲うようにして伸びている丘の西の端は、合同庁舎やハローワークなどもある大町のはずれで公営住宅が立ち並ぶ。その西端の崖の上が、元々の岬であったのだろうが、現在では、黄金岬といえばその崖の下の岩場の出っ張りをさしているようだ。
そこは、観光スポットというほどではないにしても、ある時期、多くの人が集まってくることを想定し、かつそれを期待したと思われる痕跡がいろいろ残されている。痕跡しか残っていないということは、その思惑は失敗したのであろう。
海岸の道路脇の狭いスペースには、何軒もの食べ物屋だったらしい建物が閉ざされたままになっており、岬の出っ張りには園地やベンチや岬の名を刻んだモニュメントとか、岩場に降りて歩く遊歩道のようなものまでできている。キャンプ場や海水浴場もあったようだが、今もそれらが機能しているのかどうかは定かでない。
食べ物屋は閉じていても、園地を整備して植えたハマナスは花をつける岬の周辺で車を停めて、岬の海岸を歩く人もちらほらとある。
丘の上から見下ろすと、黄金岬が海岸の岩場の出っ張りだけではないことが改めて感じられる。20メートルくらいの崖の上は、そこがかつては日和山と呼ばれた見張り所であったという石碑がある。
日和山というのは、現在の地図に残る名ばかりではなく、その昔そう呼ばれた丘や小山や岬の上が、あちこちにたくさんあったと思われる。
海を見渡して、魚群を探知したり、天候や風や浪の様子などを見張る場所としての役割があったが、この場所になぜ「黄金」のような名前がついたのかはわからない。
あるいは、留萌港が繁栄した頃の名残りなのであろうか。
初めに留萌に降りた日は雨だったし、時間的にも初山別方面に行くバスに乗る都合があって、この日はとりやめ、黄金岬へは帰りの途中で留萌に戻ったときに行った。
JR留萌駅前には黄色いタクシーがたくさん停まって客待ちをしているのだが、たまたまその時は黒いタクシーだけがいた。運転手さんに海のふるさと館までと行き先を告げると、俄然反応してきた。
ちょうど今、佐藤勝の展示をやっている入場無料だから是非寄ってみてください、と言う。この作曲家は留萌の出身なんですが、ご存知でしたか、と続ける。ご存じない。その名前からしてまったく記憶になかった。
留萌出身の人にはほかに森田公一もいます。ああ、それなら知っている。
とにかく熱心なので、岬を眺めるついでだし、そこにあるのだから手間も足もいらない。ちょっと展示室に寄ってみることにした。
そしたら、佐藤勝という作曲家は、映画音楽の分野で幅広く活躍した人で、黒沢映画の音楽を始め、たくさんの映画音楽をつくってきた人だった。映画の題名は、あれもそうかこれもそうかという有名ドコロが並んでいるが、残念ながらメロディーが思い浮かぶことはない。
日本映画の場合、監督やついでにちょっとだけ脚本家の名が知られることはあっても、作曲家が脚光を浴びることはあまりない。木下忠司や林光のような人もいることはいたが、それでもいくつかの曲が思い浮かぶようなことはあまりない。(木下忠司の♪おいら岬の〜の『喜びも悲しみも幾歳月』や、テレビ『水戸黄門』の♪人生楽ありゃ苦もあるさぁ〜のような例外もあるにはあるが…。)
けれども、外国映画の場合には、その映画のテーマ曲や主題歌がたくさん残されており、そのいくつかはシングルカットされてそれ自体が単独でヒットしたりしている。今やポピューラーのスタンダードになっていて、逆に「なにこれ映画音楽だったの」という人がたくさんいるくらいだ。
そういえば、もう遠い昔、青春時代の真ん中のでんでんむしも映画音楽に興味を持って、ドーナツ盤のレコードを何枚か買っていたが、それも全部外国映画に限られる。その曲名を並べてみると、あまりにもあまりにも…で、へそまがりの看板に傷がつきそうなので、やめておこう。
露骨なメディアミックス戦略を押し、映画と歌をセットにし宣伝費をつぎ込んで流行らせようとした角川映画のような例もないことはないが、日本映画も映画音楽をもっと工夫してもよいのかもしれない。佐藤勝のような人に、ほんとうはもっと光があたってもよいのだが、それにしても映画音楽作曲家の展示って、困るよね。結局並んでいるのはビデオやDVDの箱ばかりなのだから…。
海のふるさと館というのは、いかにも自治体がブームに乗って建物を建てたのはいいが、その後の運営維持管理に行き詰まって閉めてしまったのか…という見本のようなものだった。
ハコモノ行政の失敗を、教訓として忘れないために残してあるといういうわけでもなさそうで、上の階にあるレストランや豪華な展望ラウンジなども、すぐにでも客を迎えられそうな雰囲気だ。つまり、実質的に閉鎖してまだ間がないのだろう。その処分も行く末もこれからなのだろう。結局、崖の下の食べ物屋の建物と崖の上のハコモノも、いずれは取り壊されることになるのだろうか。
黄金の岬は、単に黄金の夢を見ただけの岬だったのだろうか。
あまり時間に余裕もないので、歩いて十字街に出るのはやめて、留萌駅までまたタクシーを呼んだら、やってきたのは来るときと同じ運転手さんだった。見てきましたよ〜佐藤勝。そうですか留萌出身にはね、音楽家ではほかにもあがた森魚とかね、ダン池田なんかもそうなんですよ。へぇーそうなんですか、すごいですね留萌パワー。
運転手さん、肝心な人を忘れている。この人もすごい人です、宮川 泰。その人にはでんでんむしは二三度ばかり会ったことがある。たまたま転勤族の父親の赴任先留萌で生まれたというだけの縁なので、あまり地元でも意識はないのだろうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
43度56分48.18秒 141度37分44.57秒
北海道地方(2017/07/03 訪問)
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