1479 マッカ岬=増毛郡増毛町岩尾(北海道)かつては連絡船がつないだ断崖の沿岸を今ではバスがトンネルと道路と橋でつなぐ [岬めぐり]
日方岬から東北東へ3.4キロの位置にあるのがマッカ岬。そこから少し内陸に入った山の中を突き抜けるマッカ岬トンネルは、680メートルほどの長さしかないが、そこから東にはペリカトンネル390メートル、そして約2キロ弱の大別苅トンネルが続いている。
3つのトンネルの間には、尾根の切れ目の谷間があり、そこを国道は橋で渡っている。
マッカ岬トンネルの南西側では谷というより、標高100メートルほどの開けた海の見える山腹上を横切って通る。その1.2キロの間は、歩古丹橋、望洋橋、涛景橋など6つもの橋が続いているが、橋といっても下を川が流れているわけではなく、尾根の切れ目で谷になっている部分を橋でつないで、道路を平らに保っているわけだ。
この国道を、車でバンバン走り抜ける分には、なにも関係ないし気がつかないのだが、地図を見ると西の涛景橋を渡った辺り(つまり、日方泊トンネルの出入口の手前付近)から、国道から分かれて東の山にヘアピンカーブを繰り返しながら登って行く道がある。
どうやら、これがトンネルができる前に実際に使われていた旧道らしい。くねくねと山肌に沿いながら、できるだけ等高線に逆らわないようにして延々と続く山道は、マッカ岬トンネルとペリカトンネルの南を大きく回りこみ、大別苅トンネルの上を抜けると下り始め、大別苅川を横切ったところ、大別苅トンネルの孔口近くで国道231号線に合流している。
その付近の標高が100メートルくらいで、そこからマッカトンネルの西側の孔口を出て、いくつもの橋を通る付近までの間は、途中ペリカトンネル付近で130メートルと高くなっているが、トンネルと橋と道路で通るこの道は、ほぼ同じ高さといってもよい。
日方泊トンネルの東側開口部付近の涛景橋の辺りは50メートルくらいで、そこから300メートルもの高さを登りまた100メートルまで降りていた旧道の山道に比べると、いかにもありがたいものであろう。
ここの3つのトンネルができたのは1990年代の初頭だから、それ以前はもっぱらこの旧道ルートが唯一の道であったのだろう。それも歩古丹(あゆみこたん)にまだ集落があった頃までのことだろうが、この辺の事情は、ちょっと通りすがりにはなかなか全容をつかみにくい。だが、この旧道は冬季には閉鎖された。
増毛まではまだ鉄道が通っていたが、雄冬へ行くには冬には陸路では行けず、増毛から雄冬へは小さな連絡船が通っていた、という。それも厳しい気象条件のなかではしばしば欠航した。
その連絡船は、この次のカムイエト岬、このマッカ岬、前の日方岬の断崖絶壁を見ながら、雄冬まで辿り着いたのだ。1日1往復の「雄冬丸」は、増毛=歩古丹=岩尾=毛間振(ケマフレ)=雄冬と途中の断崖に張り付いている小さな集落にも寄りながら、2時間近くかかって運航していたらしい。
それも、1992(平成4)年のマッカ岬トンネル・ペリカトンネル開通までのことだったようだ。
ところが、国道231号線の開通・全通は、雄冬岬トンネルが開通した1981(昭和56)年ということになっている。この10年間の経緯が、通りすがりにはわかりにくいとところなのだが…。
2時間かけて連絡船がつないでいた区間を、現在ではその名も沿岸バスという会社の大型バスが30分ちょっとで走り抜ける。
だが、その日に3便のバスの利用者は、当時の30人乗り1日1便の連絡船の乗客よりも、はるかに少ないのであろう。
ここにもあったマッカ岬
712 マッカ岬・ビヤノ岬=積丹郡積丹町大字幌武意町・大字美国町(北海道)美国から黄金岬と宝島の間にどうにか見えた
▼国土地理院 「地理院地図」
43度49分16.09秒 141度25分26.08秒
北海道地方(2017/07/02 訪問)
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