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1475 白糸岬=島牧郡島牧村字持田(北海道)もうほとんど人の記憶には残っていないトンネル崩落事故を記録から掘り返してみる [岬めぐり]

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 木巻岬を過ぎてなおも南西へ走るバスの前方車窓には、小田茜と栄浜が見えてくる。このときにも左手に大きな山塊がせり出しているのがわかるが、そのてっぺんは見えない。
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 茶色のひときわ大きな建物が辺りを圧しているが、これがただ一軒の温泉宿らしい。何度も何度も計画を立てたり棄てたりしている途中では、ここに泊まることも考えてはいたのだが、なかなかうまくいかなかった。
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 でも、ここに泊まれば、あるいは島牧で一台のタクシーがどこか遠くへ行っていなければ、白糸岬のそばまで寄れ、白糸の滝も間近で眺めることができたはずだ。これは繰り言を言っているのではなく、公共交通機関でめぐる岬めぐりの実態を冷静に見つめているに過ぎない。
 それでも、茂津多岬でも一晩須築で一軒だけの旅館に泊り、栄浜でも一軒宿の温泉に入ることにすれば、どちらも可能だったわけで、不可能なわけではない。
 ただ、それではあまりにも日程が延び延びになり、時間と費用がかかり過ぎるという難点が、そういう計画を可能にしていないだけの話だ。日本全国の岬を回ろうというこの岬めぐりの趣旨では、早回りというわけではないが、交通機関のダイヤ任せで、できるだけ効率的に先へ進むことを主眼とせざるを得ないのだ。
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 栄浜のバスの終点は、郵便局の付近で、集落の中ほどではあるが、漁港にはまだ少しある。漁港の向こうに見えている急峻な崖は手前のだが、その向こうに白糸岬の崖も一部重なって見える。
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 国道229号(と276号)の先には、トンネルの入口が見えている。地理院地図では名前の表記がないが、栄浜トンネルという。このトンネルを抜けると、白糸岬もその全貌を現すはずである。だが、220メートルのそのトンネルを抜けて行く時間的余裕がない。折り返すバスがその発車時間を待っているからだ。
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 トンネルの先には人家はなく、ここが袋小路(公共交通機関では)の行き止まりなのだが、栄浜トンネルの先には白糸トンネル1,806メートル、兜岩トンネル1,371メートル、狩場トンネル1,648メートル、そして茂津多トンネル1,974メートルでせたな町の須築へ抜けるまで、長いトンネルが4つも連続している。
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 地理院地図をよく見ると、この北部、白糸トンネルから狩場トンネルに至る海岸線にも、旧道または旧トンネルの存在を示すような表記がある。
 ここにまた、事件は隠れていた。1997(平成9)年)8月25日(もうすぐ丸20年目)第2白糸トンネルが崩落するという事故が起こっていたのだ。
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 トンネルの崩落事故といえば、すぐに1996年豊浜トンネルの崩落が思い浮かぶのだが、ここの事故はそれから1年半後に起こっていた。20人の死者を出しバスが押しつぶされるという衝撃的な豊浜に比べると、この白糸のほうは幸い誰もいないところで崩れたためか、あまり注目されなかった。
 しかしながら、崩落した岩盤の総体積という点で見ると、実に豊浜トンネル崩落時の約5倍の量であったという説もあるくらいだから、まったく想像もできないような大規模崩落だったらしい。
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 事故調査にも加わっていたという北海道大学大学院の渡辺輝夫氏が発表している論文によると、崩落した第2白糸トンネル東方には第四紀更新世のカンラン石玄武岩からなる穴床溶岩が300メートルもの台地をつくっているという。海岸から台地のの先端までは400メートルで、平均傾斜36度という急傾斜だという。一方、海のほうも、22キロ沖合の水深は3,000メートルで海洋性地殻の海底に達している。日本の海岸線でこれほど海岸近くに深海が発達している例はない、というのだ。
 つまり、事故現場付近の海底から山頂までの地形の急峻なことは、日本では他に例をみない、世界的にみても急な地形の上にトンネルを掘り、道路をつけていたことになる。
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 豊浜と違ってテレビが中継することもなかったし、誰も見ていなかったわけだが、その後何年かこのルートは通行できなかった。ただ一本の道路の復旧が急がれ、このときに二本あった白糸トンネルは一本にして、旧道・旧トンネルは放棄し、これを避ける内陸寄りに新たなトンネルを通した。1999(平成11)年には白糸、2001(平成13)年には兜岩、2002(平成14)年には狩場の現在の各トンネルが開通している。
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 なお、1,974メートルの茂津多トンネルは、この事故には影響がなかったので、1974(昭和49)年の開通以来のまま。(開通年と長さの数値が同じなのは、開口部のトンネルの覆いを延長してわざわざその長さに合わせたと思われる。)
 白糸岬のあるところを通っていたのが第1白糸トンネルでその南が第2白糸トンネルだったようで、事故現場は地図で白糸ノ赤岩、女郎子岩とある付近だったらしい。
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 地理院地図で旧トンネルの位置を確認しているうちに、また変なことに気づいた。
 白糸の滝のところは「島牧村-」という表記になっている。「-」が「1」なのかそれとも記号なのかわからないが、地理院地図では茂津多岬を含む狩場山地のほとんどをこの表示にしている。
 けれども、白糸の滝からほんのわずか海岸に寄ると、そこは「島牧村字持田」となるのだ。白糸岬を含め、旧道・旧トンネルの海岸線はすべて「字持田」なのだ。これは崩落事故となにか関係があるのだろうか。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度39分56.34秒 139度52分9.11秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/07/01 訪問)
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