1466 小歌岬2=せたな町大成区都(北海道)2012年の前回訪問から5年も経っていれば忘れていることもあるけれど… [岬めぐり]
小歌岬2として、またこの岬をとりあげるのは、前回の2012年の訪問では、実は小歌岬の上までは行ったのだけれども、どうもその全体の姿が見えなかったからだ。確かにそこには「小歌岬」という小さな杭の標識やこれまた小さな灯台のようなものがあるにはあったのだが、バスの時間があるのであまり周辺を歩き回ることもできずに、畑の中の袋小路に入ってまた引き返していた。
そのときの経緯は、
に詳しく書いている。今回は、大成学校前で降りずに、そのまま第二富磯の終点まで行くのだが、小歌岬は大成の市街地を抜けて、再び海沿いに県道が出る上浦付近から、バス車窓の後方にどうにか見える。
白い灯台もはっきり見えるし、灯台の丘が切れて、その下の海に落ちるところが、細長い大きな岩礁になって伸びている。
地理院地図では、小歌岬の名はこの岩礁の先端に付けられているが、それはただ単に地図上の文字記載位置の都合であって、岬が灯台のある丘の出っ張りと下の岩礁を一体化してとらえたものであろうということは推測できる。
これでやっと小歌岬もちゃんと確認できた。これも、その上に行っても岬がどうなっているのかよくわからないという例で、遠く離れたところから眺めてみて、初めてその全貌がわかる。
こうして、二度目の訪問にさいして、前に来たときの昔の記録をひさしぶりに開いて読んでみると、「ああ、そうだったのか」と新鮮な気持ちで読めてまたおもしろい。
すっかり忘れていることも多いもので、若松ルートの国道の元になった道は商人たちが切り開いたという話などは、さっぱり記憶になかった。5年前に自分で調べて書いていたものを「へーそうだったんだ」と、感心して読んだりしている。
5年前の行程も、どこをどう通ってきたのか、かなりうすぼんやりとしている。もともと、この岬めぐりは記録も何時何分にどこから何に乗って何時何分にどこに着いたというような旅行記録はほとんど気にせず、それは記録していない。おまけに項目は岬中心でその掲載順も行動順ではないこともある。なので、「あれっ、このときはどうしたんだけっ?」というようなこともたまにある。
その「たま」が、ここであった。前項では、
「実は2012年にやってきたときには、南の乙部町から八雲町の西海岸線を北上してきた。ポンモシリ岬を過ぎたところからせたな町に入り、親子熊岩を経てツラツラ岬を過ぎ、その日は貝取澗のあわび山荘に泊まった。
翌朝、朝食もとらずに宿の車で宮野まで送ってもらって、なんとか宮野早朝発の北檜山行きに間に合った。」
と書いていた。
の項を読み直してわかった(思いだした)のだが、実際の行動は、いったんバスに乗ったまま貝取澗を通り過ぎて終点の大成学校前まで行っている。そこから引き返して貝取澗へ戻ってあわび山荘に泊まっていたのだ。つまり、乙部から小歌岬までの岬は、このときの函館バス檜山海岸線の北の端を往復することで記録していた。
*江差町がリンクしているPDF(檜山海岸線)
このルートの路線バスは、やはり函館バスではあるものの、若松・久遠線とは別の長距離路線。江差=大成の間を走る路線だった。これが日に3便走っていて、ここにも大成から乗り継いで富磯へ行く便が早朝と午後ある。なかなかややこしい。函館バスのPDFでは、これが微妙に違うのだが、製作時期の問題もあるのだろう。
*函館バス檜山海岸線の時刻表
5年前のとき、運転手さんが「富磯行きに連絡するよう待つように言いましようか」と言ってくれたのは、その乗り継ぎ便のことで、これは現在でもあったのだ。
えーっ! なんのこっちゃ! それを忘れずに覚えていれば、計画もまた組みやすくなったかもしれないのに…。せたな町の掲出している函館バスの時刻表で、第二富磯へ行くのは夕方の1日1便のみとばかり思っていたのだ。
*せたな町が掲げている若松・久遠線の時刻表
若松・久遠線ばかりでなく、こっちのほうのダイヤをみていれば、第二富磯行きは日に夕方1便だけでなく、大成学校前で乗り継げば、早朝と午後と合わせて日に3便になるのだ。
しかもそれが、せたな町の若松・久遠線の時刻表には一言もふれられていないで、第二富磯行きは夕方1本だけになっているのは、いったいどういうわけなのだろう。なかなかミステリアスであります。
*函館バスの久遠線の時刻表PDF
誰が悪いのかミスなのかそうではないのかよくわからないが、北檜山から函館まで、亀田・松前・渡島と半島が3つもの名をもつくらい広範囲な営業エリアをもつ函館バスは、ひょっとしてどうやら総身に知恵が回りかねる状態になっているのか?
▼国土地理院 「地理院地図」
42度13分20.35秒 139度48分52.74秒
北海道地方(2017/06/30 訪問)
タグ:北海道
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