番外:長万部と渡島半島=山越郡長万部町字長万部(北海道)台風による函館本線不通で変更した2016年未達プランに再挑戦 [番外]
長万部へは2011年と2012年にやってきていた。2016年09月にも、ここを目指して開通してまださほど間もない北海道新幹線に乗って新函館北斗まではやってきたものの、そこから先の道内のJR線が台風の影響で不通になっていて、急きょ計画を変更せざるを得なかった。しかたがないので函館北斗から木古内まで戻って、江差経由で奥尻島へ渡り、また帰ってきたので、そのときはJR北海道は函館北斗と新青森の間しか乗らず、まったく北海道全線フリーの意味がなかった。
今回は留萌までJRに乗る計画にして、同じく「大人の休日倶楽部パス」、JR東日本全線とJR北海道全線5日間乗り放題のフリー切符を利用した。この切符も人気が高く、とくに北海道へ向かう東京駅06:32発の「はやぶさ1号」の座席指定券は、すぐに満席になってしまう。ようやく利用期間ぎりぎりの出発最終日に「一席だけ空いています」という指定をどうにかとって、4時間20分かけて新函館北斗までやってきた。
前にも書いたことだが、この新幹線の設計は感心せん。当然、窓際の席がとれないと、それ以外の席では車窓の景色などはほとんど望めない。窓側でも目の前にあるのは柱のような壁であって窓ではない。景色を見るために首を45〜90度に曲げなければならないのは不自然で、座席を倒せば…と設計者は言うのだろうが、顔の向き斜め前に展望は開けてほしいものだ。それが自然だろう。これじゃ長時間の乗車はしんどい。やっぱり北海道は飛行機のほうが…。
それはともかく、まずはそのときに計画していて行けなかった渡島(おしま)半島西海岸の岬で残っているところをめぐる。その拠点というわけではないが、公共交通機関で回るでんでんむしの岬めぐりでは、どうしても長万部を通らなければならないことになる。
新函館北斗から道内北部に入って行くには、まずなにはともあれ噴火湾の西岸を走る函館本線に乗り換えなければならない。新函館北斗の駅では、北へさらに向かう人と、南の函館へ向かう人と、観光客の流れはごったがえしつつ徐々に二分されていく。
駒ヶ岳を眺めながら大沼公園を過ぎ、森から噴火湾(内浦湾)岸を北西に進むとあの木彫のクマを生み出した八雲、そこからは北北東に進路を変えて長万部に着く。この間、スーパー北斗だと所要時間は1時間と10分。ここからは、函館本線は北西に向かって山の中に入っていき、室蘭本線は北東の湾岸沿いに伸びていく。
ダイヤは、圧倒的に千歳を経由する室蘭本線が中心で、倶知安、小樽を経由する函館本線は、「本線」も名ばかりで完全に支線である。もっとも、小樽や札幌から旭川へ行くのも函館本線だから、このルートも一部ではまだかろうじて「本線」の命脈を保っているのだろう。
せたなと島牧に2日に日を分けて行く行程なので、初めて長万部に1泊しなければならないことになったが、宿も駅前にビジネスホテルがあるというような町ではなく、この温泉郷に泊まるしかない。駅を出るとそば屋が一軒あるだけ。このそば屋にも2回くらいは行っているが、それもほかに選択肢がなにもないからだ。最近では、スーパー北斗の車内販売商品もこの店が提供しているらしい。
少し歩いて跨線橋を越えたところにある長万部温泉のいちばん近い四国屋(左の白い建物)に宿をとったが、歩いてもうら寂しいさびれたという印象が強い町で、温泉の立派な金文字石碑とアンバランスである。
細くて高い跨線橋が、函館本線と室蘭本線の何本もの線路を跨いでいる。引き込み線や今はあまり使われていないような線路も何本かあるので、跨線橋の長さは140メートルもある。
これが駅前と温泉地区を結ぶ近道とされているが、歩行者専用(自転車は押して渡ることができる)、車は通れないのでぐるっと大回りをしなければならない。この事情は、駅の南側でも同じようで、要するに駅と線路が町を東西に分断しているのだ。
それも、かつては何本もの線路が、それぞれに重要な役割を果たしていた時期があったわけで、鉄路のさびれが町のさびれにもつながったのであろうか。東京理科大学を誘致したのも、再び町に活気を呼ぶ若い力をという考えからだろうが、その効果はどうなのだろう。
長万部からは、函館バスのせたな線に乗り、国道5号線を南に国縫(くんぬい)まで進んで行く。
函館本線と国道5号線が並走する噴火湾岸は、道南の大動脈というか、要するに唯一の幹線といってよい。大沼国道とも呼ばれるその道路脇には、長万部と国縫の間で、いささか奇妙な光景が見られる。国道沿いにいくつものドライブインのような大型の建物が並んでいるが、そのどれもが廃墟化が進行しつつあるその途中、という有様なのだ。なかでは、名物の「いかめし」の看板を掲げた建物だけが、今も稼働中のようだったが、ほかはすべて夢の跡だ。
さびれているのは長万部の駅前周辺だけではないらしいが、問題はかつては競ってこの道路脇に大きな建物を建てるというビジネスプランが成立したのに、それがどうしてこんな状態になってしまうのか、ということだろう。
国縫からは国道230号線で今金町、そしてせたな町に向かって渡島半島を横断する。標高150メートルほどの美利河(ぴりか)峠を越えると、ダムから先は後志利別(しりべしとしべつ)川沿いにゆるやかに下っていく。
この道も、かつては鉄道が走っていた。約50キロ足らずの瀬棚線は1987(昭和62)年に廃止されていて、その代替としてこの函館バスが走っているわけだ。
北檜山というのは、その廃止された終着始発駅の名前で、その名はせたなの一地域の名として、駅跡地はバスターミナルとして残っている。
渡島半島のこの付近では、山越郡長万部町、瀬棚郡今金町、久遠郡せたな町と行政区域は分けられ、今金町からせたな町に入ったあたりに位置する檜山北高校が、「北檜山高校」ではないのは、こうしたいくつかの町を広く学区にしているからだろう。
さて、でんでんむしがせたなへやってきたのは二度目で、前回の2012年の行程では、木古内から松前へ行き、松前からは追分ソーランラインという道道229・227号線を北上してやってきた。
そのときにも、久遠や太櫓の岬と、三本杉までは行ったのだが、富磯と須築地区にバスの便の都合がうまく合わなくて行けないまま残っていた岬があった。2016年の計画ではそれをめぐって、せたなから船で奥尻島へ行くつもりだったが、それが函館本線不通で果たせなかったので、まずそれから片付けよう、という計画である。
せたな町のバスルートは、メインの長万部=上三本杉路線のほかに、瀬棚の港があるせたな市街からさらに南の鵜泊へ行く太櫓・鵜泊線があるが、そこの岬めぐりはもう済んでいる。バスの終点から水垂岬までは歩いて行ったが、そのさらに先の日中戸岬は、遠くから見た、または奥尻島から眺めたということで、お茶を濁している。
そして、その先も南へ行く道はあるのだが、バスが通っていない。南は、北桧山から大成や富磯へ行く若松・久遠線というバス路線がいちおうある。
前には、大成も小歌岬までは行ったつもりだったが、その北に連なる帆越岬も、フェリーから見たということにしていたが、そこまでの間にもいくつか岬が残っていたので、これも片付けなければならない。
どうしてこういうややこしいことになっているかと言えば、816メートルの毛無山の山塊が、海岸にどーんと張り出しているからだ。
同様に、せたな市街から北側でも、狩場山1520メートルの巨大山塊が、せたな町と島牧村の境界線をつくっている。その西端に飛び出ているのが茂津多岬で、そこも長いトンネルがいくつもあって、道路は通っているがバスは走っていない。
茂津多岬の南部では、せたな町瀬棚区北島歌の須築(すっき)という港がある集落まで、瀬棚須築線という路線がある。この路線は函館バスの採算にのる路線ではないらしく、町では地元の東ハイヤーに委託して運行している。
前振りが長くなってしまったが、どこにそうある岬か道をどう走っているのかを理解するためには、こういった概念図をあらかじめ頭に置いておく必要もある。
では、三本杉から北の岬を確認しながら、茂津多岬の南、終点の須築まで行くルートから出発!
ちなみに「三本杉ってナニ?」という人は、こちらのリンクを辿ってみて、また戻ってきてね。
▼国土地理院 「地理院地図」
42度30分58.23秒 140度22分30.68秒
北海道地方(2017/06/30〜07/01 訪問)
42度30分58.23秒 140度22分30.68秒
北海道地方(2017/06/30〜07/01 訪問)
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