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番外:井上茂美旧邸跡=横須賀市長井六丁目(神奈川県)わざわざ探して行かなかったその場所に今度は行ってみた [番外]

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 環境省と神奈川県が建てた荒崎の案内看板には、城山からの眺めは「眼下に松の青と砕ける波の白さが調和し、遠く相模・伊豆の連山や富士の容姿がすばらしい」と形容している。
 絵葉書的な説明はともかく、“調和している”という点では、三浦半島自体がある種の調和を保っているような気がするのは、単なる身びいきであろう。けれども、高くて大きな山も長い川もない半島では、どこまでも似たような台地がでこぼこと続き、崖も浜もある海岸線は、だいたいぐるりと周回することができる。そのため人が暮らす集落も海に近く、視界は常に広く開けている。
 こういうところに住むのもいいなあと思う人も多く、ちゃんとそれを実現している人も何人か知っている。が、ちょっと都会から世間から離れて、それでいてあまり隔絶された感じはないところは、通勤マイホームというよりは、半分隠居のような理想の隠遁生活に向いているような気がしていた。
 それに憧れる気持ちも強かったが、東京へ通勤するという現実が切り離せなかったでんでんむしは、中途半端に半島の付け根にかれこれ数十年も居を置いてきた。そこへやってきたときには、まだ京浜急行も三崎口まで延伸していなかったのだが、そんなときに見た地方版の小さな新聞記事で、井上茂美(しげよし 1975(昭和50)年に没)の消息を知った。
 そのことは、2007年初めのブログで、
として書いていた。
 それから数えて10年も経つので、今回また再再訪し、中途半端だった荒崎についても「荒崎2」を加え、まだ探さないままになっていた井上茂美の家があった場所も確かめておきたいと、これを書いている。
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 でんでんむしがこの人に興味をもつ理由は、“最後の海軍大将”であったからでもなく、海軍内でも少ない開戦反対派だったからでもない。
 ただ、元高位の海軍軍人としての敗戦後の日本における身の処し方、という点においてのみ。
 旧軍幹部や戦争指導の関係者が続々と自衛隊などに復帰し、大企業からの誘いに応じて戦後社会にうってでるのを、苦々しく思っていたらしい井上自身は、いっさいの誘いを断り、近所の子供に英語を教えて過ごし、この海を望む台地の上からあまり出なかったといわれる。
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 “一億総懺悔”などというお題目にごまかされて、戦争責任をあいまいなままにしてきた結果、戦前の思想や体制が復古するがごとき現象がちらちらとそこかしこに目につき、それを公然と主張する勢力や団体が政権を支援し動かしているような光景がだんだん増え、いや大手を振ってまかり通っている。そんな現在を、井上は想像していただろうか。
 そのすばらしい教育方針に感銘を受け夫もそうだという首相夫人が、名誉校長を引き受けた(疑惑が発覚してから辞任)という、幼いこどもに教育勅語を暗唱させる私学の要求に応じて、政治家や官庁と役人がせっせと便宜をはかるようになってしまっている。結局、この騒動も「適切に処理」されて、うやむやなあなあでごまかして逃げ切り可能にしてしまう。この政権になってから続く、もろもろのことにも、大多数は怒ることもなく、暗黙のうちに了解させられている。そうしていく先に、われわれは何を失っていくのだろうか。
 少なくとも、あるべき国のかたちをどう考えるかについては、われわれは戦後からずっと調和を欠いたままの混沌のなかでもがいていて、その答えをみつけられずにいる。そうこうしているうちに、いつの間にか過去の亡霊がゾンビのように蘇って、すでに政権に影響を与えている、いや政権を支えている、いやいやそれらが政権をつくっているというべきだ。「日本をとりもどそう」というのは、そういう意味だったのだ。それでも、世論調査では半数前後の支持率を維持しているというのも、実に不思議なことだ。
 話がそれた。もっとも、井上は自身の生き方や考え方について、自分で語ることはなかったらしいので、その戦後の去就についても、他の情報の断片から伺うだけ。かなり上っ面だけの、数十年前と同じ個人的な感想の範囲に留まり続けていて、進歩も発展もない。(それでも、その間にずいぶん昔仕事で新宿御苑前の雑居ビルを訪れたとき、その一室に井上の伝記刊行会かなにか、そんな表札を掲げてあったのをみたという偶然もあった。)
 したがって、書くこともあまりないのだが、前にはなんとなくそっとしておいてあげたほうがいいのではないかと、わざわざ探して行くことをしなかった。その後、この場所にも変化があったらしい。
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 縁者があとをついで、一度は“井上茂美記念館”もオープンしたともいうが、今は閉館状態になったままのようだ。もともとの住居だった建物は、もう取り壊されてないようだが、わずかに古い門柱がその跡を示すものとして残っているだけだ。
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 勝手に入ってきてうろうろする人間も多いらしい。そこで、“私有地立入禁止”と“記念館は閉館”の張り紙がぶら下がることになったのだろう。個人の記念館など、維持するのも大変だろうと想像はつくが、なにかこのままでも気の毒なような気も…。(阿川さん印税の一部でも…^_~。) 
 そう思いながらも、荒崎の上の台地から海を眺めてみる。
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 この海が、広く太平洋へと続いている。千島、ミッドウエイ、ハワイ、硫黄島、サイパン、グアム、フィリピン、ニューギニア、パラオ、そしてでんでんむしの父親も眠るソロモンとガダルカナルの海へも。
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 毎日、それを海軍の拠点であった横須賀のここから眺め暮らしながら、なにを思っていただろうか。
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 もし、彼がここに立っていれば、いまどきの芸も能もないお馬鹿なインタビュアーなら、マイクを向けて「今のお気持ちは…?」と空疎な決まり文句を言いそうなところだが、でんでんむしにはそんなことを聞くのは無用で失礼だろうと思える。
 それは戦後の伝え聞くその生き方を知れば、それだけで充分、それがすべてなように思えるからだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度11分44.15秒 139度36分24.78秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/11/29 訪問)

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コメント 6

ハマコウ

半藤一利さん 保坂正康さんの書籍等から
戦争時の話を知ります。
戦争指導者とされる人々の 戦後の過ごし方から
いろいろなことを考えます。
このごろの報道から「日本をとりもどす」という言葉の怖さが増してきました。
隠すことができることの恐ろしさも感じます。
by ハマコウ (2017-03-04 06:28) 

dendenmushi

@半藤さん保坂さんの世代が、かろうじて戦争を知っているくらいでしょうね。加藤陽子さんの本も、ためになります。
大手新聞の半分が政権支持なのですから、まともな反対意見や正当な批判が与論を動かさない届かないことになっている、そのせいもあるのではないでしょうか。
どうしてこんなことになっちゃったのでしょうね。
by dendenmushi (2017-03-05 07:52) 

kazg

>いつの間にか過去の亡霊がゾンビのように蘇って
あの偏向幼稚園の「教育」への批判に、「何が悪い」と開き直ってわめき立てる野次を国会中継で聞いて、心が凍えました。ここまでゾンビに制覇されている国会状況に、改めて唖然とします。
いたわしいまでに潔い、井上氏の戦後の処し方。その思いを酌んで日本は戦後を歩むべきでしたね。いや、今からでも遅くはないのですが。
by kazg (2017-03-05 10:07) 

dendenmushi

@「いたわしいまでに潔い」まさしくそういう感じですね。国会中継は、もう何十年もみたことないです。目の汚れになる、こころのとげになる、へどがでそうになる、そんなことしか思えないのです。
それではいけない、というのは正論なのでしょうが。「正論」も「公明」も右翼とそのサポーターに取られてしまい、その本来のことばも輝きを失ってしまいましたし…。
by dendenmushi (2017-03-06 05:25) 

kohtyan

阿川弘之の「井上成美」を読みました。子供たちに英語を教え
清貧を貫いた人でしたね。井上記念館が、閉館とは残念です。
いまの安倍内閣は、少し危険な方向へ、行っているのではないかと
危惧しています。
by kohtyan (2017-03-08 11:23) 

dendenmushi

@記念館とは言っても、そんなに大がかりなものではなかったらしいです。旧宅の一室に、写真や遺品などを置いていたのではないかと…。
ほんとに、どこにもチェックしハンドルを切り替える機能がないのは、非常に心配ですね。
by dendenmushi (2017-03-09 04:39) 

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