1455 お仙ヶ鼻=横須賀市長井六丁目(神奈川県)尾を引いているモノもちがいい横須賀市の説明看板と“お仙”って誰? [岬めぐり]

この横須賀市の案内板の説明文で、「黒くて硬い凝灰岩と、白くて軟らかい砂岩・泥岩」というのはわかりやすくてよい説明だ。そのふたつの層が洗濯板のようにでこぼこしているのは、侵食作用だけではないと踏み込んだ説明、「水分を吸収して膨張収縮しやすい砂岩・泥岩層が、水分を吸いにくい凝灰岩層との間で長い年月をかけて変化してきたためと考えられています。」というのもよい。たいていの人は、これでなるほどとうなづけることだろう。

だが、残念ながらそれだけでは、肝心のプレートの移動で海底の堆積物が削り取られてきたという説明が抜けてしまう。確かに堆積ではあるのだが、三浦半島が海にあった頃に堆積したというわけではない。やさしく説明するというのは、むずかしいものだ。
また、堆積したというだけでは、この付近の海岸の岩の層が陸に向かって斜めに傾きながら飛び出しているのをみれば、なかなかすんなりとは腑に落ちないであろう。
堆積するときは上下に順に堆積していたはずだが、その堆積層がプレートに押し出され押し付けられて、陸地側に乗り上げるように重なっていった…そう考えるとなんとなく「そうかあ」という気にもなるのだが…。ところが、たいていの本の付加体の説明図では、陸側が沈み海側が持ち上がるように描かれ、これと逆向きの傾斜で示されている。その矛盾を説明した本はない。
とにかく、それだけではなく、もっと激しく複雑な力がさまざまに交錯していたことだろう。想像もつかないようなエネルギーが働いて、変成し変形した。そのことはこの岬の地層にもうかがえる。
幾重にも折り重なる砂岩と泥岩の互層を眺めていると、想像はとうてい及ばないながら、不思議な気持ちになる。

…あれっ。ちょっと待てよ。横須賀市がこれを建てたのは…昭和52年?
1977年だなあ。プレートテクトニクス理論が発表されてから10年近く経っている頃だけど、まだそれが広く浸透していたとは言い難いから…。これが書かれたとき、どの程度それを踏まえたのか踏まえてないのか、よくわからない微妙なところだ。というのは、日本の学会がプレートテクトニクスの受容でまとまるまでには、10年以上の歳月を必要としたからだ。
首都圏から至近距離にあり、各大学の地質学研究室の実地研修なども盛んに行なわれている場所を抱えながら、とにかく40年前の説明をそのまま使っている横須賀市は、実におおらかでのんびりしているというか鈍いというか。

荒崎の弁天島をさらに東へ行くと、小さな浜と急にびっくりして飛び出たような小さな岬がある。ここがお仙ヶ鼻なのだが、その名は地理院地図には載っていない。載っていないが、ネット情報では釣り情報などたくさんの項目が拾い出されるくらい、よく知られている岬らしいので、項目を追加することにした。

お仙ヶ鼻は植生に覆われていて、三崎層の崖の周囲は歩けないので、これを石段で乗り越えなければならない。小さな岬と書いたのは、地図を見ての印象で、実際にそばに寄ってみるとなかなか大きい。ちょうど先端部の岩棚に立っていた釣り人を見てそれが実感できる。

その東に出ると栗谷浜(くればま)漁港があり、特養老人ホームのでかい建物が目立っているが、この上がソレイユの丘で、その下の先が佃嵐崎(つくたらしざき)となる。
このあたり、項目の順序は、地図上の順にはなっていないで、行ったり来たりしている。実際の行動も、北から順に南へとか、きれいに計画的に動けなかった。何日かに分けて、あっちへ行ったりこっちへ来たりしているのは、近場だからとぶらり散歩のつもりで飛び出して、バスの都合その他で細切れになったからである。
また、歩いているうちにおやこんな岬もあった…。じゃせっかくだから、ついでに入れておこうと、ずいぶんラフで無計画な出たとこ勝負になっている。
お仙ヶ鼻もそんななかで“発見”してしまった岬なのだが、この名前の由来もあまりはっきりしない。“お仙”さんという女性にまつわるな何らかの話があるのだろうとは想像できるが、その確かな情報がどこにもないらしい。
このテでよくあるのは、その女性がこの場所で不慮(あるいは覚悟の)の死を遂げた…という話だから、ここももしあるとすればそんなところだろう。が、そういう話の多くは事実に基づくものというより、誰かが思いつきで喋ったのが、だんだん尾ひれハヒレが付いて、もっともらしくなっていってしまう。…というのもある。
地図には載っていない名前が、ネット情報などではどんどん広がって膨らんでいくというのも、なにかおもしろいのを通り越して、ちょっと気味が悪く思えたりする。
そんなん感じもしながらお仙ヶ鼻のネット情報をみていると、釣り情報などに混じっていた、「nagainokaze」という人が書いているページに目が止まった。その人は、このお仙伝説は、房総の“おせんころがし”の話を伝え聞いた、ただその「背景は移植されないまま」の連想から生まれたのではないか、というのだ。
なるほど。それはあり得る。案外、そんなところが正解だったりして…。

この岬の西には、昔の“火サス”に出てきそうな白亜の豪邸(いかにもいわくありげな)とその敷地が広がっている。その敷地とお仙ヶ鼻の境にあるツワブキか何かの黄色い花も咲く細い階段を登って…。


▼国土地理院 「地理院地図」
35度11分38.57秒 139度36分29.62秒




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