1450 マツクラノ岬=松前郡福島町字岩部(北海道)小谷石から岩部までおよそ10キロ弱くらい断崖の無人の海岸線 [岬めぐり]
前項の矢越岬は、北東側の小谷石からの眺め、つまり知内町の領域だけだったが、南西側の福島町からの遠望も最後につけていた。
矢越の白い灯台が見えるのはこれだけだ。といっても、それは写真を拡大してみてはじめてわかるのであって、なにしろ15キロも離れているのだから、よーく見ると白いものが…という程度だから、見えないというわけではないものの、肉眼でも見えると言い張るにはちょっと苦しい。
矢越岬灯台の点灯は1957(昭和32)年で、海面からは96メートルのところにある。ここに灯台を建てるために、小谷石から山の中を電柱を立てケーブルを引いた。あれっ! そういえば、地理院地図には矢越岬灯台のマークが付いていませんね。この付近では白神岬灯台に次ぐ、重要灯台のように思えるのだが…。
この灯台とマツクラノ岬の写真は、その日のうちに小谷石から知内出張所のバス停に引き返し、そこから松前に行くバスに乗り換えて、福島の海岸に降りたときに撮ったものだ。このときには、小谷石で今にも降り出しそうだった天気が、ほんの少しの間だけ晴れ、沈む夕日が照らす矢越海岸を浮かび上がらせていた。これはまさに奇跡的であった。
というのも、その宵の口から雨が降り出し、翌日は豪雨のようになってしまい、二度とこの景色も見えなかったからだ。
福島町は、本州の地名を冠した町のひとつで、福島出身者が多く移り住んだからだろう。こういう例は北海道にはいくつもある。札幌と千歳の間にある北広島などはそういう町のうちでは大きいほうだろう。その町には「◯◯カープ」と付く名前の少年野球チームが8つもあるという。
福島町には、横綱千代の山・千代の富士記念館があるし、青函トンネル記念館がある。いずれも町立。予定を変更したので、時間調節のために降りて見学しようと思ったら、どちらも休館日であった。
ついていないときはしかたがないもので、マツクラノ岬へも翌日にコミュニティバスのようなもので岩部まで行くつもりだった。その道中の海岸線からは、もう少し近くからマツクラノ岬を望むことができるはずであった。
それがダメになったので、マツクラノ岬もこの次のツバクラ岬も、このほんの僅かな間だけ弱い夕日に薄ぼんやりと浮かびあがった遠望だけになってしまった。
したがって、だいたいのところしかわからないが、まあいたしかたない。
矢越岬の西2.6キロのところにあるマツクラノ岬は、南西寄りから眺めると少し左寄りという位置にあたる。
山むこうの知内町との境界になる尾根が、左手に高く伸びていく。その下の海岸線は断崖がむき出しになっているのがわかるが、どこが沢なのかまではわからない。
地理院地図では、矢越岬の西にはツヅラ沢川と船隠の川、タタミの川が記されている。このうち船隠の川が流れ下るところに船隠島があり、その河口左岸の端がマツクラノ岬となっている。
船隠の川は狭い谷を流れているようで平地はないが、矢越岬寄りのツヅラ沢川の河口付近はほんのちょっとだけ開けている。そこは船着場用に四角く掘られたような形跡もあるのだが、ここには戦後の一時期には樺太からの引揚者の集落があったのだという。
なんでこんなところに…と思いをめぐらせていくと、引き揚げてきた人をすぐに受け入れるような態勢は、その当時に整っているはずもなく、仮設住宅もなかっただろう。
引き揚げてきても、そこは見知らぬ土地。しかたなく、誰も見向きもしないような場所を見つけて住もうとしたと考えると、哀しくて胸が詰まる。千島列島の国後島からの引揚者が、奥尻島でいちばん辺鄙な神威脇に移住したというのと合わせて…。
(誰ですか、お先マックラ…なんてダジャレでまとめようというのは…。でもね、そうでもしないとなんか気分も晴れませんしね。)
▼国土地理院 「地理院地図」
41度30分54.25秒 140度22分36.48秒
北海道地方(2016/09/05〜06 訪問)
タグ:北海道
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