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1449 矢越岬=知内町字小谷石・福島町字岩部(北海道)郡と町との境界線にある岬の周辺はちょっとした秘境のようだが… [岬めぐり]

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 矢越岬はなかなかの景観といってよい。小谷石からクルーズ船も出ているらしいし、最近ではテレビでも何度か取り上げられているようだ。なので、船で行けばもっとそのそばから、形のよい岩の岬の上に神社の鳥居や灯台がのっかっているのが見えるのだろう。
 こちらは、小谷石の無名岬からの遠望のみである。そのクルーズ船から見た写真などは、たくさんネットにあるので、そちらを参照してくだされ。
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 木古内を出るお昼すぎにはまだ晴れていたお天気も、バスで南に下るうちにどんどん雲が出て広がり、小谷石ではすっかり薄暗くなるほど怪しくなってきた。
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 怪しいといえば、古い昔の記録もかなり怪しい。「知内町史」の年表は『大野土佐日記』のほかにも『北海道巡回紀行』や『松前落穂集』などいくつかの記述を抽出して併記してあるのだが、それぞれの史料でずいぶん違いがある。
 たとえば、荒木大学の没年は、前項では『大野土佐日記』によって1260(文応元)年の蝦夷蜂起によるとしていた。ところが、年表では“建長年間(文応より前です)”の蝦夷蜂起で「荒木大学頭及ヒ官吏等皆殺サレ」という『北海道巡回紀行』の記述や、1428(正長元)年の蝦夷蜂起のため「荒木大学が討ち死にした」という『松前落穂集』の記録が並べられている。
 つまり、この「知内町史」の年表のうえでは、荒木さんは都合3回死んでいることになるのだ。
 古い怪しい資料の見方・扱い方はなかなかね、悩ましくむつかしいところです。
 それに負けず劣らず怪しいのが、もちろんネット情報ですね。
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 “矢越”という名前からはまあだいたい想像できる状況はあるのだが、念のために探ってみると、「コトバンク」の「矢越岬」の項には、“日本大百科全書(ニッポニカ)の解説”として、“江戸時代に幕臣荒木大学が武運長久を祈って放った矢が大岩に突き刺さり、そこを矢越と名づけたという伝説がある”と、堂々と書いている。
 ヤヤヤ!?…ですよね、これは。あるいは同名異人がいたのかもしれないけど、ここでいう荒木大学は鎌倉時代の話で、江戸時代じゃないし幕臣でもない。いろんな情報がこんがらがっているのを、適当につなぎ合わせた結果そんな解説ができてしまったようだ。「コトバンク」も「日本大百科全書」もあまり信用ならんということですかね。
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 伝説と言えば、ここにも義経伝説はある。伝説は伝説という見本のように話はいろいろで、ひとつは“東北から逃れてきた義経が、この岬にいた妖怪に矢を放って追い払った”というもので、またひとつは“この岬周辺で大荒れの天候に見舞われ、岬に向けて矢を放ったところ、岬を越えて矢が飛んでいき、天候が回復した”というもの。
 まあ、どちらでもお好きなほうを…。
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 ほかに矢越について知内町史の年表に出てくるのは、1655(明暦元)年に“松前藩の家老蛎崎広林が矢越八幡宮を建立し弓矢を奉納。[祭神記・社掌大野重教]”とある。
 知内町のサイトでもこれを補足して、“松前家老蛎崎光林が、蝦夷蜂起による出征の際、武運長久を祈願して建立し、弓矢を奉納したと伝えられている神社で、ここより南西に見える矢越岬におかれています。”としている。ここでいう「ここ」とは、でんでんむしが矢越岬を眺めている小谷石の無名岬と同じ場所のよう(集落からは見えないので)である。
 音が同じなのでどこかで違ったのだろうが、“広”か“光”か、どっちが正しいんでしょうね。古い資料には写し間違い書き間違いも多いので、まあどうでもいいんだけど。
 知内町史の年表には、もうひとつ矢越について別の記述がある。
 1205(元久2)年の項に、“七月廿三日海上安全にして當國矢越迄無着於此處為武運長久の矢二筋さし上る…」[大野土佐日記]”とあるのだが、主語が欠落しているのでピンとこない。年号から見ると荒木大学が上陸したときのことらしいが、このときとするとその前には“舟漂流に及び、日久しくやらで、舟中の水相切らし…”という記述があるので、とても海上安全どころではなく、どうもわからない。
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 和人の感覚で矢越の漢字を当てはめたのは、後からのことであろう。別の情報によると、“矢越”は、アイヌ語で「ヤクシイ(内陸を通るところ)」が語源だという。矢とも弓とも関係がない。その音で「ヤクシイ」が「ヤコシ」に聞こえたとしてもおかしくはない。どうやらヤクシイに矢越という字と読みを当てたことから、矢に関した話が創造されたとみて間違いあるまい。
 では、アイヌ語の意味がわかれば納得かというと、多くの場合これがまた簡単にそうはいかないのでヤヤコシイ。
 ただ、この場合の(内陸を通るところ)というのは、海岸を通ることができないから…という意味なのだろうか。そうであれば、確かにそのとおりでわかりやすいし、納得もできるのだが…。
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 確かに、道路も新幹線もここを避けるようにして内陸を通っている。上磯郡知内町と松前郡福島町の境界線となる尾根が下る大きな山塊が、人を寄せつけない。断崖絶壁が連続している海からもまた、人が入り込むのは容易ではない。
 だがまた、そういうところへ入り込んで、八幡宮を建てようとした人も、この岬の上に灯台をつくろうとする人間の努力も、まことにたいしたご苦労なことである。
 1845(弘化2)年に矢越岬を踏査した松浦武四郎という人は、幕末から明治にかけて蝦夷地調査に活躍した。われわれがなにげに使っている「北海道」の名は、実はこの人が考え名付けたもので、自らの号も「北海道人」と称していた。
 1957年に点灯した矢越岬灯台は、小谷石の側からでは見えないが、反対側の南からだと遠望でも白くはっきりと見える。しかしまあ、すごいところに建てましたねえ、この灯台。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度31分2.17秒 140度24分31.85秒 41度31分0.73秒 140度24分29.61秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/05 訪問)

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きた!みた!印(43)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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コメント 1

tanukyan

ご訪問とNiceを有難うございます。
by tanukyan (2017-01-28 11:37) 

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