1460 芝崎=三浦郡葉山町一色(神奈川県)もう古い話になったが御用邸をも恐れず憚らぬ埋立地はいかにしてできたか [岬めぐり]

でんでんむしが初めて“葉山”という地名を意識したのは、いつなんでだったか、そのことは前に書いたような気がして、長者ヶ崎でSo-netブログの検索欄から探してみても、出てこない。あれ、おかしいなと思ったら、“長者ケ崎”として項目をあげていたからだった。気が利かない検索だ。それを書いた当時の表記が「ケ」だったのでそうしたはずだが、今見ると地理院地図も「ヶ」になっているので、修正しておいた。これで検索でも出てくるようになったはずだ。

長者ヶ崎は、南の秋谷方面から順光で眺めるのが、いちばんきれいに見え、しかも堂々とした岬であることがわかる。森戸神社も葉山マリーナのところも岬ではないし、北の逗子市との境界にある鐙摺(あぶずり)も岬ではなくなっているので、葉山の岬は横須賀市との境界になる長者ヶ崎しかないと、そのときにも判断していたのだが、実はもうひとつあった。
それが芝崎なのだが、以前は単なる埋立地だと思っていたところに、ちゃんと“芝崎”と斜体の岬名表記で明示されている。そこで、遅ればせながら葉山のふたつめの岬としてカウントすることにした。

今回は、立石海岸を通ってきたバスを葉山で降り、ここで海岸周りの別のバス路線に乗り換える。停留所は御用邸の門を挟んで離れているので、警備の人が立つ御用邸の門の前を通り過ぎる。すると、そこに立っていた警備の人から、思いがけず「こんにちは」と挨拶をされた。ちょっと驚きつつ、こちらも挨拶を返す。海岸回り線のバス停に置かれた、葉山ロータリークラブが寄贈したベンチに座って、あれはあの警備の人だけの個性なのだろうか、それともマニュアルなのだろうか、と考えた。

葉山の海岸は、南の長者ヶ崎から北の鐙摺まで直線で3.5キロしかないが、その間には葉山御用邸をはじめとして、一色海岸、県立近代美術館、森戸神社、森戸海岸、葉山マリーナといくつかのポイントが並ぶ。そのなかにあっては、芝崎はやはり単なる埋立地以外のなにものでもなく、コンクリート護岸に囲まれた住宅団地に過ぎない。その北側の一角は、飲食店なども並んでいるが、大半は高級住宅地である。
高級住宅地というものは、持たない者からみればひがみの対象にしか過ぎず、こんなところへ家など建てた日にゃ塩害でたちまち困ったことになるのが関の山だなどと、しきりに陰口をいわれてしまう。
実際、それへの対策から、徐々に個人住宅は減り、高い壁をめぐらしたマンションが、ここでは幅をきかせるようになっている。
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そもそも、公有財産であるはずの海面を埋め立てて誰かの私有物にする権利というのは、いったいどういうものなのか、なかなか納得がいかない。漁業補償をしたといっても、海や海岸は漁師だけのものではない。当然ここでも、そのときには埋立反対運動も起こったらしい。このとき、おかしなことに町の教育委員会は、海岸を“保護指定から除外するよう”申請を出していたという。
東京オリンピックを口実にしつつ、船舶振興会に笹川サンや児玉サンといった毎度おなじみのフレーズや名前が交錯し、森戸神社の宮司だった町長の辞職にまつわる奇妙なウワサなどからみつつ、町の大ボス小ボスにフィクサーとゼネコン、お決まりの構造のなか、既得権益層お得意の手法で、“粛々と”埋め立ては運んでいったようだ。はじめは児玉サンの豪邸もここに建ったらしいが、今は大きなマンションが建っている。

“葉山”といえば、御用邸のおかげもあって、全国的にもなんとなく高級そうな良いイメージ、おしゃれな感じが先行しているが、町の内実はこの真名瀬の埋め立てに象徴されているように、古い田舎町の一面が支配していた。今はどうなっているのだろう。

埋め立て後の現在でも、埋立地の南西部には岩礁が残り、鮫島という岩島群が潮の満ち引きによって現れたり沈んだりしている。その残った岩礁の部分を、葉山町ではこれも遅ればせながら町の天然記念物に指定して保護しているようだ。荒崎などでは生物相が乏しいと書いていたが、葉山の磯ではいろいろな生物が見られる。

でんでんむしも、以前この西海岸ではウミウシだかアメフラシだか、そんなのが浅瀬の岩の間にたくさんいるのを見たことがある。そういえば、昭和天皇も御用邸滞在中にはよく磯を歩かれていて、新種のウミウシだかなんだかを発見されたというのを、新聞で見たような記憶もある。
それらの生物の採集や、この場所での釣りも禁じられているようだ。

そうしたルールを守ることを条件に、シュノーケリングなどの磯遊びはできるようだが、駐車場やトイレなどの設備はなにもなさそうだ。ここで磯遊びをするにはそれなりの覚悟と準備も必要なのだということは、この人たちをみればわかる。
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芝崎から富士山のほうを見れば、菜島と裕次郎灯台が右手に浮かぶ。この灯台ができる前には、でんでんむしもこの辺りの海をボートで漕ぎ回り、五目釣りを楽しんでいた時期もあったが、それも遠い昔のことだ。


では、森戸の青い屋根の「デニーズ」にでも寄って、お昼をいただいて帰るとしようか。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度15分59.42秒 139度34分5.32秒


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さて、10年前から改めて全国の岬をめぐることにしてリスタートしたときに、まずは足元からと三浦半島の岬をめぐるところからやりなおし、So-netブログへの掲載を開始した。
それから10年を経過したところで、また三浦半島の落穂ひろいを何回かに分けて訪問してきたが、それもこの芝崎で終わる。東海岸は付け加えるべき漏れている岬、以前はなかったのに岬名が加わったというのがないので、西海岸ばかりになった。
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2016年の終わりから、 ずっとほぞぼそと引き延ばし作戦で続けてきたが、いよいよ在庫整理も底をついて終わりになった。
だが、仕事はまだまだ終わらないし、次の岬めぐりはまだ残っている靑森のむつ湾と十和田湖で計画する心づもりはあるものの、いつ出かけられるかもわからない。
したがって、これからしばらくは新規項目のアップはできない。ちょうどいい機会なので、このままナニもせずにほっておくとどうなるのかも確かめてみたい。
やっと、地域ブログのわけのわからないランキングからもはずれることができるだろう。 (2017/04/12 記)


タグ:神奈川県
かつて入会地として誰もが入ることができた海岸が、入れないようにしてしまう埋め立て-何とかならないものでしょうか。
「みんなのもの」を大切にしてほしいと強く願います。
by ハマコウ (2017-04-13 18:45)
@ほんとにそうですね。いちおうの規制はあり、かつてのようなことはもうないとは、思いたいのですが…。どこでなにやってるか、わかりませんからね。
by dendenmushi (2017-04-14 06:25)