1459 諸磯崎=三浦市三崎町諸磯(神奈川県)地図にない岬を探し訪ねてやってきたのは油壺の南ここは浜諸磯 [岬めぐり]

「三浦市」よりも「三崎」のほうが名が通っているように思われると、前に書いたが、それは京浜急行の「三崎口行き」の特急や快速が、都心の地下を南北に通り抜けているからで、それを見ている知っている人は東京には多いはずだ。

なにしろ明治からの構想を引き継いでいるという都営1号線と呼ばれたその地下鉄路線は、結構複雑な歴史をもっているようだ。その線に京急が乗り入れを開始したのは、1968(昭和43)年頃だったと思われる。(違う鉄道会社の相互乗り入れでは、1962(昭和37)年の日比谷線と東武伊勢崎線のほうがだいぶ早かったが、もっと早いのあるのかな)
それ以降は、相互乗り入れは盛んに当たり前のようになり、この都営浅草線などは京急線のほかにも京成線や北総線も乗り入れているので、なかなか電車の種類も多くてにぎやかだし、今でもその実態は複雑なのだ。

京急の線路自体は北は本線が泉岳寺までで、東は羽田空港まで、西は新逗子まで、南は浦賀と支線があり、本線は三崎口まで(久里浜線という言い方も残っているのか? 鉄オタではないので細部に突っ込まないで)となっている。だが、三崎口駅は終始発駅としてのバックヤードのようなものをもたないので、それは京急久里浜駅がカバーしているのだろう。

京急電鉄が経営するマリンパークもある油壺は、いちおう観光地であるが、別荘地でもあった。でんでんむしはそういうものとは縁がないが、ここに別荘をもって、マリーナにヨットが置いてあれば、それは大変なステータスということになるのであろう。
京浜急行としては、かなり早い段階から、この油壷まで線路を引き電車を走らせるつもりであったが、結局それは断念せざるを得なかったようだ。1975(昭和50)年開業の三崎口駅で線路が終わっているのは、その機を逃した残念さの象徴のようなものだ。それは、三崎口駅の駅前に立ってみればそこはかとなく感じられるはずである。

「諸磯崎」という岬は地理院地図やMapionにも載っていないうえに、三崎口駅の観光パンフからももれている。にも関わらず、ここで一項目を立てた理由にはふたつある。ひとつは三浦半島で有名な油壷に岬が全然ないので淋しいこと、もうひとつは地質学がらみでは歴史的にも有名な無視できない場所が近くにあったからだ。

北から小網代湾、油壷湾、諸磯湾と深く切れ込んだ入江が連続する一帯は、いわゆるリアス海岸でもあり、湾があるということは岬もそれぞれにあるのだが、なぜかこの付近の地理院地図には、岬の表記が見当たらない。
諸磯でも“油壺”を名乗る施設や建物が多く、それには別荘ではなく老人施設が多いのがわかる。まあ、老人施設もある意味別荘のようなもんだが…。

さらに西へ歩いて行くと、ダイコン畑やキャベツ畑も広がる三浦半島らしい風景が続き、それが終わって海岸へ出たところが浜諸磯。



諸磯崎は神社の横を進んでから細い横道を抜けたところに、海食台が開けたところで、白いスタイリッシュな灯台が立っている。この岬の北側が、油壺湾と諸磯湾への入口になっている。

ここまでは、三崎層の特徴を示す互層になった岩があるが、油壺から北へは砂岩と礫岩からなる初声(はつせ)層に変わる。

諸磯崎のすぐそばまで別荘らしい建物が、わが物顔に迫っている。

岬の南側に回ると、高く崖が切り立っている。


浜諸磯からは南に三崎港を回って三崎口へ行くバスがあるので、それに乗ると海外町の漁港を通る。このとき、道路を切り開いた切り通しの崖が露出しているが、ここは神奈川県の天然記念物に指定されている地層がある。

地層が大きく波打った曲線を描いて、うねっているような模様があるが、これも城ヶ島の灘ヶ崎の項でふれたスランプ構造なのだ。

この付近には、ほかにももっと地質学上の見本になる露頭がたくさんあるらしいのだが、まあシロウトの知ったかぶりもいいかげん適当にしておかないとイカンしね。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度9分19.97秒 139度36分27.65秒




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