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1428 クズレ岬(北追岬)=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)今もなお崩れ続けているような断崖の上にある彫刻群とは? [岬めぐり]

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 温泉ホテル緑館のある丘は、南に大きく広がっていて、西に張り出した緩いでこぼこの突端が、地理院地図でクズレ岬と表示されている岬になる。
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 それは、神威脇の漁港からでも、防波堤の向こうに目立っているが、名前の通り、今もなお崩れ続けているような断崖が周りを取り巻いている。これは南側から見ても特徴的で、まさにクズレ岬そのものである。だが、ChinchikoPapa さんのコメントでは、「クズレ」はkusur(クスリ)が訛ったもので、そのまま「湯治場」「温泉場」の意味ではないか、という。なるほど、まさにここは温泉がある。
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 これは、1724(享保9)年に神威山が噴火したという記録とも、神威脇北の崖などとともに関連があるのだろうか。ワイナリーもあるという温泉ホテルの下から、この岬へ行く破線の道が描かれているが、どうやら岬の上一帯は公園になっていて、遊歩道などもめぐっているらしい。
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 “らしい”というのは、ここは北の漁港からの眺めとあとはバスで通り過ぎながら南からの車窓だけになったからだ。
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 温泉ホテルに泊まる計画では、クズレ岬の突端まで歩いて行くつもりだったが、それは実現しなかった。
 バス道路はクズレ岬の450メートル内側を通るので、そこから岬は見えないが、バス停は“北追岬公園”となっている。あんれ? クズレ岬じゃないんだね。
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 奥尻町が立てた標識や看板にも、あるのは“北追岬”ばかりである。念のためにMapionを見ると、バス停のほかに“北追岬公園キャンプ場”とあって、岬表記はクズレ岬と地理院地図に準拠している。
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 その看板や標識もかなり古いままで、震災で消えた“幌内温泉”という表記もそのままなので、これは震災前からずっとそこに立っていたものだろう。ということは、“北追岬”も昨日今日ではなく、ずっと前からその名を使ってきた、ということだ。
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 奥尻町や観光協会などが、復興のために力を入れてつくっているパンフレットなどの観光情報にも、“北追岬”はあってもクズレ岬はない。
 いったいこれは、なにを意味しているのだろうか。
 パンフなどをめくってみたが、なにもわからない。ただ、この“北追岬公園”には、流政之作品の彫刻による8つのモニュメントがあるのだという。流政之と島の関係は、書いてないのでわからない。公園散策には1時間ほど、と書いてあるので、結構広い公園らしい。
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 ハゲ落ち錆びが広がっている古い標識には、“彫刻公園北追岬”という文字もあるし、その下のほうには“メーン彫刻北追岬”のほか3つの彫刻の名が記されているようだが、はっきりわからない。
 そこで町のサイトの北追岬公園のページで確認すると、その名は北追岬のほかは、回天が原、神威流という流作品のようだ。
 彫刻まで行って見てもいないのに、それについてあれこれ書くのもはばかられるが、なにしろ町が発信している情報は充分でない。標識だけは見たので、そこからさらに納得のいくまで推測の糸をたぐりよせてみる。
 流政之作品のリストから、彫刻公園北追岬に収められた作品を拾いだしてみると、以下のようになる。
  1981 "北追岬"を制作
  1984 "はぐれ鳥"を制作
  1987 "神威流・回天が原"を制作
  2004 "島へっちょ・よくきたさ・恋のつぎめ"を制作
 つまり、1993年の震災後に制作されたのは、2004年のものだけで、ほとんどはそれ以前からで、流作品は北海道各地にもあるが、ここほど集中しているところはない。
 では、なぜここと流政之が結びついたのだろう。それは、町のサイトでもまずいちばんにふれるべきことだと思われるのに、なにも書いていない。
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 実は、初めに島を概括していた「1424 奥尻島の岬」の項のなかでは、神威脇について、「戦後すぐには、千島列島国後(くなしり)島の1郡2村の住民280人が入植した、という場所である。」と紹介していた。
 どうやら、それが流政之作品がクズレ岬の上に並ぶことになる発端だったのだ。その理由については、ご本人のインタビュー記事がある。日本経済新聞社が「戦後70年インタビュー」として、元零戦パイロットである彫刻家として流政之氏の話を掲載していた。(「攻撃の美学」好きになれぬ(戦争と私) 2015/8/12付
 
 「学徒出陣した戦没者を追悼する作品を東京・明治神宮に作ってほしいという依頼もあったが、これは断った。東条英機の主導で、学生たちが行進した明治神宮外苑競技場は、ふさわしくない。これとは別に高知県大月町に学徒出陣した戦没者を鎮魂する作品『雲が辻』を作った。
 北海道奥尻島には、北方領土の国後島を脱出した人々が入植した歴史がある。あまり知られていないが、戦争による『難民』が日本にもいたんだ。望郷のモニュメントを奥尻島の北追岬公園に作った」
 
 どうして、町はこういう肝心なことを、積極的に情報提供しないのだろう。「北追い」にはそういう意味があったのだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度9分51.92秒 139度24分21.49秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/03 訪問)

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タグ:北海道
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