番外:立石岬灯台と原発=敦賀市立石・明神町(福井県)国策による灯台と原発がならんでいる半島の北から見える島は… [番外]
敦賀半島の先端は、大きな山の北端ではなく、北西から南東に伸びる161メートルが最高点の、長さも200メートルに満たない小さな尾根の先である。その北端の100メートルくらいのところに立っている立石岬灯台は、通せんぼのところからいきなりの急坂を登って行ったところにある。
驚いたのは、この急坂を登って灯台を訪ねてくる人が、意外に多いことだった。休日とはいえこの暑さのなか、なんでだろうと不思議に思うのは、もちろん自分のことは棚に上げてのこと。登るときにすれ違った中年の夫婦に「クマは出ましたか」というと「クマは出ません」との返事。灯台の日陰でゆっくりおにぎりなどを頬張りつつひと休みしている間にも、3組ぐらいが登ってきてまた降りて行った。
滞留時間がみんな短いのは、せっかく灯台まで登ってきたのに、周囲はヤブで、敷地内の隅にベンチがあるだけで、海は見えるとはいえ見どころにはいささかもの足りないからであろう。いわゆる“展望台”的な要素にはちょっと乏しいのだ。
それでも、ここからは干飯(かれい)と越前岬が重なりあっている北の海が美しく見える。おや!? 遠くにはぼんやりとだが島影も見えるではないか。若狭湾の北の海に、島なんてあったっけか?
まさか竹島ではないから、どうやらこれは西北西250キロほど遠くの隠岐の島ではなかろうか。西の島前はさらに遠いうえに標高が高くないのでわからないが、東の島後が見えているのだろう。こういうのって、なかなか自信を持ってそう言えるまで、時間がかかる。
そして、さらに西のほうには丹後半島の経ヶ岬も…。おおっ、これで自信をもって言えるな。隠岐の島です。それ以外には考えられないけど、意外に近くに見えるものだ。
帰りの降りでも登ってくる2組くらいがあって、「灯台はまだですか?」と聞くので、「まだまだですよ。あと半分がんばって。」と返す。
この人たちはバスで来たのではないから、車でやってきたわけだが、別に灯台めぐりの趣味があってのことではなさそうだ。道が通せんぼになっていたので、しかたなく坂道に誘導されてきたものだろうか。
この灯台ができたのは1881(明治14)年のことで、ちょうど敦賀港と長浜の間に鉄道が敷かれたのと同じ時期である。いろいろ変なこともやったけれど、明治の指導者には近代国家の建設に向けて、巨視的なプランももっていた。敦賀に目をつけたのは、日本海と太平洋を結ぶ最短ルートであるからで、後にはこのルートで伊勢湾まで運河を通すという計画まであってしばらくはくすぶり続けた。
明治になってから、お雇い外国人の手になる洋式灯台が、各地で次々に建てられた。しかし、それらは半分は外圧によるもので、外国の貿易船の都合で立地が決められていた。が、この立石岬灯台は日本人の考えで、その計画と設計により日本人技術者によってつくられた、初めての灯台だったのだ。その意味では、歴史的な灯台だと言える。つまり、当時の国策によってつくられた灯台第1号なのだ。
シベリア鉄道と結ぶ航路ができ、当時の4大貿易港に発展した敦賀の行く手を示すシンボルとして、現在の敦賀市の市章にもこの灯台が示されている。
現在の敦賀市のシンボルというには、3.11以降あまりにもマイナスイメージが強烈で大きくなってしまった原発も、国策といえば国策なのか。灯台のある尾根と南に続く半島主尾根の間に、隠れるようにしてある日本原子力発電の敦賀発電所は、その1号機が、日本最初の商用炉として発電を開始した東海村に続くものであり、原発銀座福井県(といっても県西部のみに集中)の最初の原発でもあった。
国策にしたがって、敦賀市議会が原子力発電所の誘致決議をしたのは、1962(昭和37)年のことである。
別に詳しいことが知りたいというわけでもないが、なぜかここには日本原子力研究開発機構の新型転換炉「ふげん」が隣接している。これは平成15年までは動いていたが、すでにもう廃炉になっている。そのためか、地図などでは表記されていないが、名称も原子炉廃止措置研究開発センター(略称:ふげん)というらしい。
大量の水を必要とする原発は、海岸でなければならない。人里からもできるだけ遠くはなれているほうが望ましい。ふたつの尾根に挟まれ、猪ヶ池を抱え南側の明神崎を先端とする長い岬に囲まれた入江の奥の谷間は、いちばんに適地とみなされたのだろう。
この原発の所在地は、敦賀市明神町である。“町”がつく地名は敦賀市街地では当然普通に多いが、半島で“町”がつくのはここだけである。
半島でほかにはない“町”が、ここにだけにあるのは、どういうことだろうか。まさか、この谷間には町があったのを立ち退かせたということはないだろうし…。(そんなところは最初から選ばないはずだから)
立石岬を西に回りこんで行く破線の道も、地図には描かれているが、おそらく崖崩れがなっかたとしても、この道は歩くことはできなかっただろう。
というのも、西海岸も大きく原発エリアで、敦賀原発の西に広く白いままの埋立地が広がっているのも、原発用地らしい。
そして、その南には、かの有名な高速増殖炉もんじゅ発電所が控えている。「もんじゅ」のあるところは敦賀市白木で、ここも“町”ではない。敦賀半島の先端は、隣の美浜町と半分コではない。685メートルの蠑螺(さざえ)が岳まで半島を分けてきた境界線は、そこから急に西に向きを変え、半島西海岸の門ヶ崎南の崖まで降りているからだ。
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