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1409 小崎=敦賀市沓(福井県)気比神宮と一対の常宮神社もある海岸線を走りながら眺める沓の先に飛び出た小崎 [岬めぐり]

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 縄間(のうま)まで走ってきた県道33号線は、西へ折れて馬背峠トンネルへ行ってしまうので、ここから先、敦賀半島東岸を北上する道は、県道141号線となる。
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 常宮(じょうぐう)に入ると、海岸のそばにこんもりとした森が道路にかぶさってくる。ここが常宮神社。この神社は、実は昔は気比神宮と一対で遇されていたこともあり、本宮・摂社、上社・下社の親子関係でなかなかの由緒があるらしい。
 伝説によると、仲哀天皇と神功皇后が気比に詣でて三韓征伐にいくときに、皇后だけはなおこの常宮に留まって外征の計画を練ったという。集落と神社の名になっている「常宮」の読み方だが、“つねみや”ではなくて音読みである。古くは訓で“つねみや”と読んでいたらしいが、それも神功皇后の神託(つねに宮居し…)にちなんでの命名だった。それが、後世に音読みに変わったらしい。
 この神社が安産の神としても信仰されているのは、神功皇后がこの常宮で腹帯を付け、遠征中の筑紫で応神天皇を出産したからだという。こうした伝説がここに残るのは、先にもちょこちょこ記してきた、敦賀湾沿岸の古墳群とも無関係であるとは思えない。そして、この神社の奥にも、古墳時代後期の横穴群があるという。
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 気比神宮が海に近いのも、理由があってもことだろう。その前の海は敦賀の津であったし、常宮神社の前の入江も船を寄せ錨を下ろすところだったのだろう。
 この神社へも、それからずっと長い間、海岸伝いにというよりも、船を寄せてくるという形でのアクセスのほうが、陸路よりもはるかに多かったのではないか。
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 縄間や常宮の海岸にある桟橋状の構築物は、名子のとは違って、ずっと本格的である。これは海水浴客のため、とは言えそうにない。
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 海からやってくる人が多いのに、この付近の海岸はずっと砂浜で、港もない。そのために、たくさんの桟橋がつくられるようになったので、名子とはいささか様子が違うのも、そう考えれば納得がいく。
 例によって、自分勝手な御託を並べております。「そりゃアンタちがうんだよ」といったことをご存じの方があれば、ご教示いただければありがたい。
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 常宮の北が沓という集落で、ここもなんでこんな名前なのか知りたくなるが、よくわからない。
 小崎のある小山が、半島からぽこんと飛び出た形になっており、上から見れば沓(くつ)のように見えるから…というのはどうだろう。ただ、上から見る方法は、神様ならもっていただろうが…。
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 128メートルのピークをもつ小島を、むりやり半島にくっつけたようになっているが、この周囲はこの北の鷲崎までずっと断崖に囲まれていて、人家も何もない地域が続く。
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 小崎の出っ張りのところだけ、またもっと小さな小山がくっついているように見える。
 長い海岸線を弓なりに走ると、景色も小崎の形もちょっとずつ変わっていく。だが、変わらないのは、対岸で目立っている火力発電所の建物である。その左が田結崎で、セメント工場を挟んで右側に鴎ヶ崎が位置するわけだが、なんとなくわかる。
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 沓の集落を過ぎると、道はバイパスのような最近開かれたような道路に入り、その先にはこれもまたまだ白さを残すトンネルが現れる。
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 鷲崎トンネル。このトンネルとバイパスは2015年に開通したが、原子力防災道路(身も蓋もなく言えば、原発に事故が起こったというときに、避難するための道路)としてその建設費は、全額日本原電の寄付によるものらしい。
 原電? そう、原発です。なにしろ、ここは福井県も西の端。いよいよ、日本有数の原発銀座に入ろうとしているところですよ。
 そしてそして、“沓”の向こうにあるのは“手”です。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度41分29.45秒 136度2分37.56秒
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dendenmushi.gif北越地方(2016/07/18 訪問)

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タグ:福井県 歴史
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