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1393 柳ヶ崎=大津市柳が崎(滋賀県)JR湖西線の“大津京”という駅名は妥当か否かの歴史論争も [岬めぐり]

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 東海道新幹線を降りた京都では、すぐに湖西線に乗り換え、大津京駅までやってきた。京都駅が始発の、この路線に乗るのもひさしぶり。記憶ではかつてはさびれた支線の一つに過ぎなかったが、敦賀までの直通快速もあるらしいし、今では湖西線の存在感は大きいものがあるようだ。敦賀方面に出るには、距離的には米原を回るより多少短縮される。
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 昔から、数少ない京阪のスキー場として、比良やマキノがあったが、なんといっても湖西線を変えたのは琵琶湖西岸で進んだ宅地開発で、完全に京阪への通勤圏になっているのだ。
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 大津へは何度かきているが、大津京(以前は西大津)で降りたのは初めてである。いつもは京阪の浜大津や石山寺、東海道線の大津駅のほうばかりだったから。
 湖畔でひときわ高層で目立っているびわ湖大津プリンスホテルに泊まったこともあるが、あれはにおの浜にある芭蕉ゆかりの義仲寺を訪ねたときだったか。
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 そうそう、もうひとつの問題ね。それは、このJR湖西線の“大津京”という駅名をめぐる問題である。
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 実際に遷都して天智天皇として政務を行なっていたのだから、そこには「宮」と呼ばれる場所があったことは確かなのだろう。それが“大津の宮”である。その場所は、京阪近江神宮前駅の北西すぐにある大津宮錦織遺跡とされている。周辺一帯はぎっしりと民家が立ち並ぶ住宅街である。ということは、これ以上は、周辺に発掘調査を広げることができない、ということである。
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 JR西日本が湖西線の西大津駅の名称を“大津京”に変更したのは2008年だったが、これは地元の強い要望によるもののはずであった。が、逆に今度は「存在しない歴史的な名前を使うことは、観光・文化行政の信頼を失墜させる」として改称に反対する運動が起こった。
 つまり、“大津の宮”はあったが、“大津京”があったという確証はなにもみつかっていないというのだ。「京」というのは、宮殿を中心に碁盤目状に区画された律令制に基づいた都市全体のことを言うわけだが、ここ大津ではそういう本格的な都市遺構は発見されていない。これ以降発見される可能性も低い。(周りの住宅を全部立ち退かせて発掘調査でもすれば別だが…)
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 したがって、わが国初の“京”は、694年の藤原京とするのが今も“業界”では定説となっているらしい。では、西大津を“大津京”へ改称しようとする、歴史的な根拠はなんだったのだろうか。
 錦織遺跡を発掘した研究者らは、日本書紀に「近江京」の名前がある、というのだ。また、藤原京以前の記述にも「倭京」「京内」の文字を使っているので、本格的な都市でなくても当時は「京」という言葉を使っていた、と主張していたようだ。
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 一方、別な研究者は、“京”というのはあくまでも中国の唐を手本にした律令国家の完成以前にはあり得ないので、“大津京”と名乗るのはこれまでの歴史研究を無視したものだ、とこれに反論している。日本書紀の“京”という記述については単に都を意味するもので、律令政治のもとで造営された“京”と混同してはならない、という。
 歴史論争には、これという決め手が出てこないと、いつまでもずるずると尾をひくものだが、前者の立場をとる市は、一度決めたものはもう変えないと監査請求も退け、異論には柳に風でいくつもりであるらしい。むしろ、積極的に大津京の存在をアピールするかのようだ。
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 錦織遺跡の東1.3キロのところで出っ張っているのが、柳ヶ崎である。ここには川はない。だが、かつてはあったのが埋め立てられたようにも見える。岬と園周辺には競輪場、浄水場、滋賀県琵琶湖環境技術研究センター、ヨットハーバー、びわ湖大津館、柳が崎湖畔公園と県や市の施設などが集まっているので、広い官地だったものだろう。
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 だが、その一角には広大な敷地をフェンスで囲った宗教法人の豪壮な施設もあったりして…。まあ、はるやまもあればMEGAドンキもあるのだから…。
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 湖畔公園に入らないと柳ヶ崎へは行けないのかと300円也の切符を買ったが、切符がなくても回り込む道を行けばよかったのだ。
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 丸い出っ張りの先端も、ぐるっと遊歩道があり、道のすぐそばが湖面である。こういう岬は湖ならではであろう。
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 茶ヶ崎から見ると、柳ヶ崎はこんなふうに見えるが、逆に柳ヶ崎から茶ヶ崎のほうを見ると、ほとんどわからない。マンションを目印にして、あそこかとやっとわかる程度だ。
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 冒頭の写真は、柳ヶ崎にある柿本人麻呂の歌碑である。万葉集の266首目、「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ」が漢文で彫り込まれていたが、こういう「おうみのみゆうなみちどりながなけば…」というような有名なフレーズは、なぜかしっかりと意識と記憶のなかに定着している。
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▼国土地理院 「地理院地図」
35度1分35.59秒 135度52分11.08秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2016/07/16 訪問)

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タグ:滋賀県 歴史
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