1391 クラマ根・三池港=三宅村坪田(東京都)三宅島一周の輪を閉じるここから雄山山頂までは真西に4キロくらい… [岬めぐり]
「1377 サタドー岬」から始まった、三宅島の岬めぐりも、やっと逆時計回りで一周の輪を閉じる。この項目も、その輪を閉じるためにむりやりつくったことになるのかもしれない。
ここはクラマ根という表記はあるが岬ではない。しかしこの根はここだけ大きく長く東海岸で飛び出ていて、しかもその岩根をフル活用してつくられたのが、三池港であるらしい。
ここは結局実際に足を踏み入れることができなかったので、写真もサタドー岬からの遠望のみになる。(ベンケ根岬からは、見えるところまで歩いて行かなかった。この見えている崖も、自然のままなのか、何かの工事が施されているのか、よくわからない。)
したがって、厳密には輪を完全に閉じてはいないことになるのだが、だからこの項目が必要なのである。
ここまで行けなかったのを他人のせいにすると、ひとえにそれは三宅島村営バスの運行ダイヤのせいで、なぜかバスはこの三池付近で切れてしまい、右回りも左回りもうまく乗り継いで行くことができない。わざと意地悪をしているかのように、この間の連絡は悪いというかできないようになっている。このことは三宅島シリーズの最初でもふれたが、村営バスとしてはそもそもぐるっと周回することの意義を認めていないようで、それには錆ヶ谷港発の「橘丸」への連絡のこと、以前は三池に車庫があったこと、サタドー岬から釜尻までの間がほとんど住民のいない地帯であることなどの理由もあるのだろう。
そして、なによりも三池港がもうずっと長い間、実質的に使われていないという現状がそうさせているのかもしれない。島の東側にある三池港は、西風の影響を受けないために、2000年噴火まではメインの玄関口であった。帰島第一陣の船も、実は三池港に着いていたくらいだ(ということは、噴火で壊滅したというわけでもなさそうなのだ)。このため、三池周辺にはさまざまな施設も寄り集まっていたのだが、それらもみんな廃墟状態になりつつあるのでは、と想像される。火山ガスの影響が尾を引いて、それが影響したようにもみえる三池港閉鎖後は、メインの玄関は錆ヶ浜港に移っているようだ。
ただ、三池港が公式に廃港または閉鎖になったというのは、どうやら明確ではないらしく、東海汽船などはずっと、「どちらかに寄港」という玉虫色の態度を変えていないようだし、国土地理院も、地図上の航路表記は三池港にしたままで変える気配はない。
う〜ん、こう考えてくると、ここもなんか不思議な場所だ。地図でみるとクラマ根という根は300メートル以上も突き出た幅のある岩根で、船が着くはずの岸壁は、その北側に飛び出している。そのなかに池と島のように岩礁の一部を残したまま、ぐるりを岸壁と道路で囲んでいる。これも不思議な形だ。
三池港の西にあるのは沖ヶ平という字を持つ集落で、そのさらに西には雄山の東麓にこれも出来損ないのマールのような斜面が続き、そこから雄山の噴火口の南端につながっていく。
三池港から雄山南の噴火口729メートルのピークまで、真西へ3.7キロ。
現在の地図では、雄山噴火口の多くはこの火口南の端に集中している。雄山の噴火口については「1383 大鼻」の項でふれたが、大きくて古い桑木平カルデラと、それよりはぐっと小さく新しい八丁平カルデラの、いわば時代の大きく離れた二重カルデラになっている。現在の山頂噴火口のカルデラは後者のほうで、それも2000年噴火で大陥没を起こした火口が南に移動するなど、大変動している。
立入禁止が続いている山頂付近には、誰も入れないので、現在の詳しい様子はわからない。
ちなみに、これまたZENRINソースに依存しているGoogle Earth(左)では、雲でさっぱりわからないが、地理院地図の航空写真では噴煙が上がっている位置もよくわかり、火口の内部もきれいに写っている(右)。きれいすぎて、なんか内臓の写真でも見ているような気がしてくる。
が、航空写真などをみても、真上からでは深さまではよくわからないのだ。観測をしている地理院地図では、火口のいちばん低い底のところで260メートル。カルデラの縁のいちばん高いところが北の775メートルとしているから、実に515メートルもの深い穴になっているわけだ。
考えてもご覧よ。“直径150メートルもあって、500メートルもの深い穴”って、通常は目にし想像できる風景ではない。
その風景が、雄山に登山してくる一般人の目にふれて、みんながそれを眺めて驚くような日は、いつかやってくるのだろうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
34度4分47.61秒 139度33分59.76秒
関東地方(2016/05/19 訪問)
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