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1390 ベンケ根岬=三宅村坪田(東京都)三宅島空港の東に張り出した広い溶岩台地…という表現は順序逆だけどね [岬めぐり]

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 ツル根岬や大路池に行ったのは「橘丸」に乗って芝浦桟橋に帰る日の早朝であり、ベンケ根岬へ行ったのは「橘丸」で錆ヶ谷港に着いた日の午後になった。
 したがって、実際に歩いて行ったり来たりした順序とはこれも逆になるのだが、ここでは逆時計回りに三宅島の岬を繋いでいる。実際には大路池からは、次のバスでまた引き返して、伊豆岬入口まで行ったのだが、そのてん末は「1382 伊豆岬」の項で述べたようなこととなった。
 この帰りのバスでおもしろいことがあったので、ついでに前項の続きとして書いておきたい。ほんとうであれば、その子ともっと話をして友達になればよかった。いろいろ話をして、ブログの名刺(つくってはあるんです。めったに使うことはないけど)も渡しておけば、その子に興味があれば見てくれるようになるかもしれなかった…のだが。
 結局、挨拶はかわしたが話はせず、その子とは一緒のバスで大路池までやってきて、同じバスでまた帰ってきたというだけの話で、そんな話のいったいなにがおもしろいのか。
 ずっと観察していた結果、どうやらこの日は三宅島小学校の社会訪問学習の日(のようなもの)だったのではないか、というのがでんでんむしの導き出した答だ。
 大路池でバスを降りたとき、こちらが池への道へ入ろうかというとき見ると、ジャージ姿がバスできた方へひょこひょこ都道を戻って行くところだった。いったいどこへ行くんだろうと思ったものの、そのまま忘れていた。
 帰りのバスに乗ろうと大路池バス停で待っているところへ、その子がまた現れた。ちゃんした挨拶ができる、かしこそうな子だ。どこへ行ってたのとか、家はどのへんなのか(この島ではこれ重要)とかも聞きたかったが、どうも近頃の事件や世の風潮を考えると、そういう行為さえも躊躇して引いてしまう。そういう自分が情けない。
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 少し疲れたのかな。帰りのバスが阿古の集落に近づくにつれ、だんだんと仲間が乗り合わせてくる。みんなてんでんに行く場所が違っているようで、にぎやかになる。ははーん、なるほど。
 …と、ここらで答えが出てくるのだが、すると、その子が学校からいちばん遠いところまで行ってきたわけだ。島の北側にある三宅小学校から島をほぼ半等分するように線を引くと、南の端が大路池。そこで降りると、行く場所は「アカコッコ館」か例の火山ガスを計測する会社しかない。「アカコッコ館」にはでんでんむしもいたわけだが、その子の姿を見た覚えはない。
 さて、この推理、答えは当たっていたのでしょうか。(そんなことのどこがおもしろいのかって? おもしろくないですか?)
 こどもたちの日常の足でもある村営バスは、本数も少ない。自然、どこへ行っても同じバスに乗り合わせざるを得ない。しかも島を左回り右回りに回っているだけ。それを使って島のいろんな職場を訪問させる。そのアイデアもおもしろいと思ったし…。
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 さて、本件に戻って先へ進まないとね。坪田港の上に立つと、こんな看板があった。どこを探してもその岩は見つからなかったが、まあそれはいい。伊ヶ谷の生島も、バスを降りなかったのでパスして、東への道を探すが、やはりここでも繋がっていない。
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 遠回りしてやっと港の東海岸に出たかと思ったら、そこはなんと小規模な別荘地のプライベートビーチの行き止まりであった。
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 また迂回して次に出た海岸は、「ジオスポット」案内板によると“沖原海岸”であるという。その名前は、地図にも載っていない。三宅島観光協会のマップにも載っていない。こういうのってちょっと困るが、この付近の海岸の溶岩も2500年よりも前の古い溶岩で、流れてきてここでたわみをつくっているというのだが、それがどうもよくわからなかった。
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 地層のほうは、下のほうに溶岩の“しぶき”ともいうべきスコリア層があり、その上に何層かの火山灰が降り積もっているさまはよくわかる。また、この上には黒土層があり、そこから弥生時代中期の大黒東遺跡がみつかっているという。
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 東屋の付近にあるというみさきカフェも休業とかで、ランチを食いっぱぐれたが、そのまま東に続くのは釜方海岸。釜方というのは、三宅島空港の滑走路の南端にくっつくようにしてある集落の名である。高く造成された滑走路の東を回りこんで北へ進むと、ベンケ根岬が大きく広く突き出ている。
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 岬の上は溶岩ばかりで、草は多少生えているが木の一本もない。
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 ジオ的にはここはネタがないのか、地質的にもおもしろいこともないのか、釣場案内の案内板はあっても、ジオスポットにはなっていないようだ。
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 その釣場の案内図では、空港の滑走路東に飛び出たこの岬は、「ベンケイ根」と名をふっている。「ベンケネ」は「ベンケイネ」だったのか。
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 三宅島空港ができたのは1966年だから、1983、2000と二度の閉鎖を経験している。帰島がかなって後に全日本空輸(ANA)が羽田と結ぶ定期便を飛ばしていた時期もあるが、やがてそれも廃止され、その後を調布飛行場を基点に主翼が上についたドルニエ機を飛ばして、1日3往復6便を運航しているのが新中央航空である。今回は、縁がなかったけど…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度4分9.09秒 139度33分44.31秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/05/19〜20 訪問)

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