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1384 今崎=三宅村阿古(東京都)1643年(寛永20)年の噴火でできた溶岩扇状地の海岸はたくさんの“鼻”が集まって… [岬めぐり]

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 今崎は、錆ヶ浜港の南に見えている、平たくて大きく丸い岬である。西へ張り出したその先端部は、三宅島の最西端でもある。夕景浜から錆ヶ浜まで、1.5キロにわたって続く断崖の海岸は、今崎海岸として括られ称されることが多く、今崎という岬をひとつ特定して取り上げることはあまりなさそうである。
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 三宅村の釣場案内によると、地理院地図が「今崎」ひとつの表記で済ませているところを、いちばん北の崩鼻から、ダイザブロウ、ハツリ鼻、潮の鼻、ワシ鼻、高鼻、平鼻、中鼻、オヨギド、メガネ岩と、さまざまな命名が記してある。
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 今崎海岸の出っ張りは、1643年(寛永20)年の記録に残るなかでは古い噴火によるもので、阿古の後ろのコシキ火口から大量の溶岩を押し出して、この海岸をつくった。
 寛永といえば、でんでんむしのようなこども時代に浪曲や講談や落語をラジオで聞いて育った人間には、寛永三馬術(有名な曲垣平九郎の愛宕山の話はつくり話)などという連想がすぐに浮かんでくるが、春日局がぼつぼつ引退、徳川家光やその異母弟にあたる保科正之が出てきて、狩野探幽が活躍し、市井では幡随院長兵衛や由井正雪が出てきた、この海岸に溶岩が流れ下ったのは、そういう時代のことである。
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 コシキ火口は海岸に比較的近いスコリア丘で、地図でもよく目立っている。右手の少し小さい塔のようなものが立っているところもそうだろうが、この付近に現在の阿古の中心集落や役場などがある。
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 この火口から噴き出した溶岩は一面に広がり、溶岩扇状地の景観をつくりだしたと、ジオスポットの説明は言う。
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 この少し赤みがかった溶岩と、黒い溶岩流の溶岩の違いと関連は、ここまでまだわからないのだが、今崎海岸の溶岩は、全体的に赤みが勝っている。なかに白い骨のようなものが見えるが、恐竜の骨などではなくて立ち木が仮死した枯れ木なのだが…。
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 道路が一本通るばかりの広い溶岩台地の上は、370年以上経つ今でも植生も繁茂することなく、溶岩がつくった扇状地をそのまま残している。すると、この枯れ木も370年以上前のもの?…とは思えないので、これは2000年噴火時の阿古地区のものだろう(か)。taikenyuuhodou-3.jpg
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 それ以来の溶岩流はないままなので、海岸の波打ち際は波浪の絶え間ない活動によって削り取られ、海食崖をつくっている。
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 メガネ岩は、その海食崖の一部に洞窟ができる海食洞である。うまいぐあいに海蝕洞のできた部分が、海に取り残されるような形になっていたため、陸地側から見ると、ちょうどメガネのようにふたつの穴が崖に開いていたのだろう。
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 いま、メガネは左側片方しかない。右側は伊勢湾台風(1959)で、上の岩橋が崩れ落ち、現在のような形になってしまった。この崖をよくみると、ここも柱状節理になっている。洞窟などでみられるように、あるいは東尋坊のように大きくはっきりしたものではないが、三宅島の溶岩海岸の海食崖は、だいたいそのようである。
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 これは、溶岩がゆっくり冷えるときに収縮するので、そのときに縦に亀裂が走り柱状になるのだと言われている。
 今崎海岸の南南西寄りの沖合に、ぼんやりとだが島影が見える。それもひとつではない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度4分36.60秒 139度28分25.43秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/05/19 訪問)

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