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1376 仕切りなおしの三宅島の岬めぐり=東京都三宅村(東京都)今度は竹芝桟橋から船で…三宅島の岬は都合11+α [岬めぐり]

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 だんだんわかってきたのだが、そもそも八丈島と三宅島をひとつの計画で納めようとしたところに、ムリがあったのかもしれない。当初から、ムダは承知で別々に計画したほうが、ややこしくなかったのかもね。
 調布飛行場からの飛行機は、滑走路からすぐ住宅に突っ込んだのとは違う飛行機だとは思うが、調布まで行くのが、また一苦労だ。三宅島に行くには、結局「橘丸」しかない。夜の10時30分に竹芝桟橋を出て、早朝の5時に三宅島に着く。
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 竹芝桟橋は、でんでんむしにとっては、岬めぐりの起源にもかかわる航海で、初めてここで客船でもないタンカーに乗り降りしたときには、ただの岸壁でターミナルもなにもまったくなかったが、今ではゆりかもめの駅から見えるマストが目印で、浜松町からは真っ直ぐ歩いてもすぐだ。ここは三宅島にかぎらず、伊豆七島の各島々への定期船がたくさん出入りする。島の中学生などのグループも多い。
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 でんでんむしはしばらく月島にいたので懐かしいかちどきや晴海付近、そしてレインボーブリッジで、狭く感じる東京湾の東京港から、「橘丸」は出港する。ここから東海汽船の伊豆諸島航路の船に乗るのは、初めて。
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 別に船がいやだとか、船酔するからということはない。結構もっと長く船に乗っていたことはいくらもあるから、それはどうということはないのだが、やはり時間がかかり過ぎる。できることなら、船で一晩寝るというのを避けたかったのだが、こうなってはしかたがない。
 それなら寝てるだけだから特2等(9,110円シルバー割前)でよかろう。これは蚕棚の二段ベッドが両並びで二列、都合4つのベッドが一区画に並ぶタイプである。同区画には、三宅島に帰るらしい老夫婦がいる。年寄りは年寄りで集めようという魂胆か。大部屋で寝るのはどうも気乗りしないが、ここだとカーテンを引いてしまえば…。
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 昔、広島から上京するときにいつも乗っていた寝台急行「安芸」号を思い出させてくれるが、「橘丸」の特2等寝台には、金庫とロッカーの中間のような100玉リターン方式の鍵がかかる物入れがついている。それと電源のコンセントもあるが、もうなにもしないでさっさと寝るに限る。
 ぼつぼつ夜明けの薄暗さもとれたが、まだ晴れるのか曇るのかよくわからないような早朝、「橘丸」は三宅島錆ヶ浜港の岸壁に着く。
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 地理院地図では、航路を示す線と寄港の場所を、島の反対側、東側の三池港として表示しているが、実際はもっぱら島の西側の錆ヶ浜港である。
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 どういう意味なのか、伊豆七島では港に船が着くと、岸壁には必ずパトカーがお出迎えしてくれる。が、それに乗れるわけではない。100人か200人?かなりの人が降りたが、大半の人はぞろぞろと集落の上のほうに登っていく。家が近いとか、置いてある車でもあるのだろう。
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 二方向に二台の三宅島村営バスも、待っている。あれ、やっぱりあるのか。この「橘丸」到着に合わせた早朝便が、三宅島バスダイヤにも載っていないし、他のどのページにも書かれていないのだ。
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 でんでんむしは、それがないものとして計画を立ててきたので、ここで慌ててそれに乗ってしまうと、またしても計画がめちゃめちゃになってしまう。ここは、それが出て行くのを余裕で見送り、計画通り旅客ターミナルの中に入ると荷物を整理してロッカーに預け、身軽になって港から北へ歩き出した。
 しかし、このブログの掲載順は、いつものように実際の行動順と同じにはしない。そうすると、読むほうが大いに混乱するばかりだろうからである。
 ここも八丈島と同じように、北の端から逆時計回りにいこうと思う。
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 三宅島は、ほぼ丸い島で、中央に噴火口は直径1.7キロもある雄山(おやま)があり、そこから四方八方に流れ広がる裾野が島のすべてである。海岸に比較的近いところも多い一周道路がめぐり、集落はそのところどころにある港や入江の付近に点在している。村役場は西側の阿古にあり、小・中学校は北側の伊豆に、高校が南側の坪田にある。
 この三宅島の岬を地理院地図で、港から時計回りで拾い上げていくと、
▲今崎 ▲大鼻 ▲伊豆岬 ▲大崎 ▲下根崎 ▲アノウ崎 ▲サタドー岬▲ペンケ根岬 ▲ツル根岬 ▲新鼻 ▲間鼻
 と都合11の岬がある。ここでも「根」も多いが、それは入れない。その代わり、どうみても明らかな岬なのに、岬とは言わないで別の名前がついている「▲砲台」と、もうひとつ一夜にして新しくできた岬のような「▲新鼻新山」などを加えて岬として紹介していくことにしよう。
 島の移動は、もっぱら三宅島村営バスに頼る。左回りと右回りでそれぞれ日に5便(早朝便は含まないで)が運行している。この運行ダイヤが、どうも三宅島独特らしい。通常は、左回り右回りがそれぞれ循環して、ぐるぐる回っているのかと思うが、ここではそれが島の東側で切れている。しかもその切れる場所が三池だったり高校前だったり一定ではなく、おまけに連絡もしていない。
 要するに左から回っても右から回っても、島の東ではうまく接続していないのだ。島の東には北のサタドー岬と南のペンケ根岬があるが、この両者をうまくつないで走るということができない。午後の便が15時頃の便と夕方17時18時の2便しかないので、非常に回りにくい。
 あとから考えたところでは、どうやらそれも左回りも右回りも昼ごろに出る竹芝桟橋行きの「橘丸」に合わせるのを優先しているのと、島でひとつしかない都立三宅高校の生徒のためでもあるのだろう。
 で、このヘンなダイヤをあれこれ知恵を絞って考えながら乗り継ぎ、岬を回らなければならない。ここでも三宅村役場観光産業課が発行する観光客向けの2日有効のフリーパス1000円があるので、これを利用する。
 その結果、三宅島の岬めぐりのスタートは、北ではなく東のサタドー岬から始め、逆時計回りで最後をペンケ根岬で締めくくるのがよかろう、ということになった。
 八丈島でも、最初の赤崎と最後の大サリヶ鼻の間は歩くことがなかったが、おもしろいことに、三宅島でもサタドー岬とペンケ根岬の間は、バスでも通らなかった(通れなかった)ことになるのだ。
 島をめぐるにあたって、改めて思い起こしておくべきだと思うが、三宅島雄山が噴火して大規模な溶岩流の流出と火山ガスの噴出があり、住民の全島避難があったのは、2000(平成12)年9月のことであった。そして、それが解除されたのは、4年半後の2005(平成17)年2月であった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度5分9.36秒 139度31分34.61秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/05/19〜20 訪問)

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