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1375 大サリヶ鼻=八丈町三根(東京都)黒い玄武岩質溶岩もなまなましい?ここで八丈島の岬めぐりはおしまい [岬めぐり]

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 イデサリヶ鼻からは北西に650メートルしか離れていない大サリヶ鼻だが、八丈島ではどこでも共通のように、海岸の横歩きはまずできない。周回道路から離れて海岸に向かって下り降りることは、場所によっては道があるので可能だが、そこから海岸伝いに進む道がほとんどの場合ないからである。
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 ここもいったん周回道路に戻って、また北西に歩いて別の道から海岸に向かわなくてはならない。
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 溶岩台地の上に植生が茂る点ではイデサリヶ鼻とまったく同じだが、植生の様相がなんとなく少なく背丈が低くなり、代わりにだんだんと目立ってくる黒い溶岩のほうが主人公になっていく。
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 それも、たった今吹き出されて流れてきました、その途中で固まってしまいました…とでもいいそうな玄武岩質溶岩ばかりが辺りを覆っている。
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 今ごろの人には“牛のうんち”といっても、かえってわからないのかもしれないが、まさしくこれはウシさんのウンチ型なのだ。
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 この八丈島シリーズの最初の項目だった「赤崎」は、大サリヶ鼻から北西に2キロ。これで八丈島の岬めぐりの輪っかも接続しておしまいです。
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 う〜ん、これだったら、電動自転車ならなんとか一周できたかもしれないねえ。
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 東山(三原山)も西山(八丈富士)も、何度も同じ火口から噴火を繰り返してできた成層火山だが、東山がカルデラ(火山の爆発などによってできた大きな凹地)跡をいくつも重ねたような複式火山で地形も複雑になっているのに対し、西山は典型的な円錐形の成層火山である。
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 それでも、いうほど火山活動は単純ではない。東京都の防災資料によれば、八丈富士は、「中腹に陥没したカルデラが存在し、カルデラ内の中央火口丘が単一の円錐型火山に見えるまで成長した構造を持ち、南東へ比較的広い裾野を展開している」というが、それはどこのことだろうか。前項の地図をもう一度みてみよう。
 改めて地理院地図をみると、イデサリヶ鼻と大サリヶ鼻の南西側の山麓斜面が、確かに凹んでいるのがわかった。 
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 これかな?      ↑このへん。  
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 山頂への登山道の北側に259メートルの肩からスロープが緩やかになり、前項でふれた神止山から北へ伸びる尾根との間が、広く開いている。実際には凹んでいるというより、西山の斜面と神止山の尾根によって囲まれ、イデサリヶ鼻と大サリヶ鼻側のほうが二段スロープになって開口しているだけのようだが…。
 要するに、一見典型的な円錐形成層火山に見える西山も、大きなカルデラがあったが、噴火が繰り返される過程でどんどん層を重ねていくうちに、やがてそのカルデラをも飲み込むように成長していった…ということだろう(か?)。
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 西山の噴火はおよそ1万年前から4000年前くらいの間に繰り返されたらしく、その終わり頃では東山の活動は収束に向かい西山だけの活動になっていく。噴火によって流れ下る溶岩と、それが海中に没する際には水蒸気爆発も繰り返していたのかもしれない。なんとなく、そんな景色も思い浮かぶ、大サリヶ鼻の上であった。
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 でんでんむしが、きわめて非日常的なそういう噴火とか溶岩とかいうものを、はじめて具体的にイメージできたのはいつ頃のことだったろう。
 記憶を辿っていくと、それは小学生か中学生の頃の早朝映画鑑賞で、「紀元前1万年」とかなんとかそんな題名の映画を見てからではないかと思う。記憶が曖昧なので調べてみようとすると、2008年公開のローランド・エメリッヒ監督の映画に関するものばかりしか出てこない。
 どうやら題名は違うらしい。なおも掻き分けていくと、1940年の「紀元前百万年」が映画史上初の“原始人映画”であったという記事(「Cinemanc」FC2ブログ)に到達した。これかあ、これだったのだ!
 火山が噴火し、流出する溶岩に人も木もなにもかも巻き込まれ飲み込まれていく…。白黒のスタンダード画面で、CGなどないから着ぐるみ恐竜の特撮映画だったが、これが妙に印象に残っている。だから、火山噴火や溶岩流の最初の接点もここにあった。
 1966年にはリメイク版「恐竜100万年」も出て、これも見ているがこっちのほうはラクウェル・ウェルチさんの“肉体美”(当時はこう称していた)しか記憶に残っていない。
 以来、長い間、噴火や溶岩とは山を歩いてその地形や岩などの露頭から想像するだけだった。
 ところが…!!
 …ですよね。それはみなさんも同じだと思います。近年の日本の噴火活動(噴煙だけ入れない)は、
  口永良部島 2015(平成27)年 
  木曽御嶽山 2014(平成26)年
  小笠原・西ノ島 2013(平成25)年 
  霧島山・新燃岳 2011(平成23)年
  三宅島 2000(平成12)年 全島避難
  北海道・有珠山 2000(平成12)年 
  長崎・雲仙普賢岳 1991(平成3)年 火砕流 溶岩ドーム
  伊豆大島 1986(昭和61)年
などとあり、それらの多くをテレビの映像で、また近くで実際に目撃したりしてるんだから…。つまり、これからも含めて、ひょっとするとわれわれはえらい時代に生きている生きていくことになるのかもしれん…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
33度8分41.06秒 139度47分24.84秒
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dendenmushi.gif関東地方(2016/04/18 訪問)

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