番外:横間ヶ浦火山=八丈町大賀郷(東京都)八丈島形成の歴史はここから始まったのか? [番外]

ときどきふれていることだが、実際に見る風景と地図でのイメージを一致させるのにちょっと苦労する場合がある。ここもその例で、いかにも立派な岬なのに、なんで無名なの?と思ってしまう。だが地図を冷静にみると、ここは岬でもなんでもなく、ただ、ゆるく孤を描いて伸びる断崖の海岸線なのだ。
そこはもう西山のテリトリーでもなく東山の範疇に入るのだが、ここには岬の名はない。これだけ目立っていると無視もできないし、ついでなのでちょっと触れておこう。

これは左手の三原山(東山)から西に伸びてきた山塊が、横間ヶ浦という島ではめずらしい砂浜の南に飛び出しているところである。

まず、目立っているのが横間ヶ浦の上の山腹を、斜めによぎっている白い橋脚である。横間橋と逢坂橋というふたつからなるその橋が右手の山の上に消えていくのは、そこで大坂隧道というトンネルに入るからだ。
そのトンネルの上に、215メートルのピークがある。ここも横間ヶ浦の浜とこの尾根はほとんど南北にまっすぐに連なっているので、実は海岸線は出っ張っていないのだ。
そこから右手に続く次のピークまでもそうなのだが、断崖の浜が南に伸び、その先でカーブするところには地理院地図では横瀬と名のついたところがある。その上の尾根が、ここから見るといかにも岬のように見えるのだ。横瀬のところには小さな岩島がくっついている。

さて、数少ない熱心な読者のみなさんには、ここで思い出していただきたい。「1363 下立鼻」の項で、「東山でいちばん古い火山という横間ヶ浦火山が活動を始めたのは、今から約14万年前の更新世の頃だとされている。」と書いていたことを…。
その「横間ヶ浦火山」というのが、どうやらここらしいのだ。ここが、八丈島発祥の火山で、ここが噴火した後に火口は東へ広がり、東山の大噴火で大きな島になったということになる。
だが、それは具体的にどこなのだろう。215メートルのピークが火口の頂きなのか、トンネルの手前の湾曲したところが爆裂火口の跡なのだろうか…。

「横間ヶ浦火山」なんて言い方は、おそらく一部の専門の学者くらいしか使わないのだろう。現に国土地理院を始め、各種地図にはそんな名はないし、町の地図にもない。しかし、でんでんむしは、それがそうなのであれば町の観光協会も教育委員会も、それをもっと使って広めるべきだと思う。
八丈島の初日は、北東の端の三根から、西山をぐるりと逆時計回りに戻りながら岬を拾いつつ歩いて、大賀郷の最後の岬である長崎までやってきた。岬はここで終わりだが、大賀郷の領域はさらに南、横間ヶ浦の橋を上ったトンネルまで続く。そして、トンネルの向こうは八丈町樫立になるが…。

「横間ヶ浦火山」なんて言い方は、おそらく一部の専門の学者くらいしか使わないのだろう。現に国土地理院を始め、各種地図にはそんな名はないし、町の地図にもない。しかし、でんでんむしは、それがそうなのであれば町の観光協会も教育委員会も、それをもっと使って広めるべきだと思う。

八丈島の初日は、北東の端の三根から、西山をぐるりと逆時計回りに戻りながら岬を拾いつつ歩いて、大賀郷の最後の岬である長崎までやってきた。岬はここで終わりだが、大賀郷の領域はさらに南、横間ヶ浦の橋を上ったトンネルまで続く。そして、トンネルの向こうは八丈町樫立になるが…。
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