1347 宮ノ鼻=坂出市王越町乃生(香川県)崇徳上皇かと思えばそれは違っていてここは神功皇后が上陸したところだったが… [岬めぐり]

大崎ノ鼻を回りこんで、バスの右手車窓に木沢湾が現れると、その向こう側に宮ノ鼻が見えてくる。というより、このときにはまだ目立っているのは遠くの乃生岬のほうで、宮ノ鼻はその手前に引っ込んだ影のようになっている。岬を回ると、西陽に向かうことになって、景色の見え方も一変する。

宮ノ鼻は236メートルの王越山という形のよい独立峰から、北に伸びるくびれた尾根の先端で、ここが湾内両方で埋め立てが進んでいる木沢湾と乃生湾を分けている。

最初に地図でこの宮ノ鼻と王越山という名前を見たときには、「ここが崇徳上皇が流された場所ではないか」と思った。宮ノ鼻の「宮」と王越の「王」からなんとなくそんな連想をしてみたが、それはまったく見当違いであった。宮ノ鼻は、よくあるように神社(この先端の91メートルのピークに梅宮八幡神社が祀られている)があるところからついた名であり、王越は神功皇后の三韓征伐に由来する名だった。

神功皇后は備前牛窓から王越村木沢に上陸し、王越山を越えて宮山に上ったというのだが、その宮山というのがどこだか、どの山を指しているのかがわからない。

こういう伝説に実際の場所を当てはめようと探すことには、意味がないという見方もできるが、言い伝えのイメージをできるだけ自分なりに捉えようとすれば、どうしても具体的に現在の地図上から、その地を探したくなる。
そう思って、改めて木沢・王越の周辺を眺めてみると、明らかにかつては王越山は大崎山と乃生岬に挟まれた湾内に浮かんでいたものと想像できる。つまり、木沢湾と乃生湾は、その昔はひとつにつながっていたのではないか。

県道16号線が大崎ノ鼻から下ってきて、大きくU字型を描いて乃生岬に達するその道の周辺は、現在も池や沼地などが多く、海側では湾の中は東西ともに広く埋め立てられている。U字の外側は五色台の北峰から続く山並みに高く遮られでおり、坂出に出るには乃生岬を大回りしていかなければならない。
いわば王越山を迂回する道路を中心としたこの地域は、北は海で他の東西南の三方は山という、隣の集落とも隔絶された形になっている。それを逆に利用して、王越の自然をアピールしようという動きもあるようで、王越山に展望台をつくろうとか、トンボランドをつくってトンボウォッチングなどを続けたりしている。やっぱり、池が多いからトンボランドもできるのだ。

過疎化が進むこの地域で、明治以来120年にもわたって維持してきた王越小学校も2011(平成23)年をもって閉校となっている。こどもたちは、乃生岬を回って山ひとつ越え、ずっと南の坂出高屋町の松山小学校まで通学しているのだろう。
王越が崇徳上皇と関係がないのなら、では“讃岐の配流地”というのは、具体的にどこだったのだろう。
たいていの人も同じだと思うが、保元の乱の後に崇徳上皇が讃岐に流されたということは本などを読んで知っていても、それが讃岐のどこだったかまでは深く追求しないものであろう。屋島の戦いもそうだし、これもそうである。

岬めぐりの効用のひとつには、そういったこれまで深く追求しないで見のがしてきた、なんとなく取りこぼしてきたどうでもいいようなことのひとつひとつに、そのゆかりの地で遭遇でき、そこで初めてまた新たに知るという楽しみと喜びがある。
神功皇后などとなると、伝説というよりもはや神話だから、場所の特定はあまり意味がないとしても、保元の乱となるとこれはもう歴史であるから、具体的に知りたいと思えば、わかることがある。
崇徳上皇が流されたところは、「讃岐の松山の津」ということになっている。地理院地図では記名表記が少ないので、Mapionで讃岐の「松山」を探してみると、出てきたのは王越のこどもたちも通う「松山小学校」だけであった。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度22分53.63秒 133度54分34.89秒




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