1303 松ヶ鼻=七尾市中島町外(石川県)石塔に石碑に閉校記念碑がある西岸の岬は埋立てで広がっていて… [岬めぐり]
松ヶ鼻へののと鉄道最寄り駅は西岸駅である。そこは七尾北湾の南西どんづまりで、七尾市の中島町外(そで)と小牧、それに深浦の集落がいくつかの分かれた入江に固まっているところで、駅があるところは外。
そこから国道沿いに北東に600メートルも行ったところに、“明治の館”があり、松ヶ鼻の北側の護岸に出るわけだ。
石塔については前項の釜鼻のところでふれたが、もうひとつここにはその石塔の先に石碑も立っている。
それもかなり大きな立派なもので、護岸の端に特別に組み込まれているが、表には「植林埋立功労者 故室木助左衛門君之碑」とある。
“明治の館”の主であった室木さんの何代目かのことに違いなかろうが、植林というのはどこのことだろうか。また、埋立というのはこの松ヶ鼻を中心とした一帯のことであろうと思われるが、それはいつ頃のことだったのだろうか。
そう思って石碑の裏側へ回ってみると、なんと驚いたことに裏にあったとおぼしき碑文の文字が全部ノミ(タガネ)のようなもので削り取られた跡だけが残っていた。
後世に永くその記録を残す目的で、固い石に刻み込まれた文言が、いつかそれが残ることが不都合になってしまい、人の目に触れないように取り除かなければならなくなってしまう。どんなことが不都合とされたのか、まったく見当もつかないが、人の世は常に石よりも変転極まりないものであることを考えれば、石に人の事績を刻むなどは、よほど慎重にしなければならぬ、ということか。
これは、なにもここだけの特殊事例ではなく、現にそういう削られた碑文の類いはほかの場所でいくつかあったと思い出す。
前項でも少し触れたが、石塔の周辺には松が数本植わっていて、この岬の昔の姿と名の由来を象徴しているようだが、元の松ヶ鼻はこの松があり人家が集っているあたりにちょこんと飛び出た小さな岬であったものと思われる。
その先に幅200メートル、長さ500メートルほどに護岸で固められた平坦な地が県道の東に飛び出して広がっている。そこには、黄金色に稔った稲穂が展開し、小学校などの公共施設の大きな建物もある。
ただ、その西岸小学校はもう廃校になっていて、そのまま残された建物の前には、校歌が刻まれた“閉校記念碑”が設けられていた。校歌くらいなら後に削り取らなければならぬことにもならんか。
こうした建物も、取り壊すこともなくそのままになっているのは、解体費用もかかるうえに急いで取り壊してその跡をどう使うかという必要にも迫られることがないためであろう。
そんなわけであるから、現在の松ヶ鼻の突端は、埋立で延びたコンクリートとテトラ護岸が丸く突き出たところになっている。
そこから東には、青島が浮かび、その向うが能登島の北部にあたる。
また、南にかけては中島町深浦・長浦などの大きな半島が飛び出していて、いくつかの岬も重なりあっている。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度8分53.55秒 136度52分45.89秒
北越地方(2015/09/16 訪問)
タグ:石川県
削り取られた碑文とは気になります。
どうして削られたのか大変気に掛かります。
by ハマコウ (2015-12-22 04:49)
@気になりますねえ。でんでんむしがほかの場所でみた、このような例では、それが軍人のものだったので、ある程度の推察はできましたが…。
by dendenmushi (2015-12-23 05:55)