1288 城ヶ崎=鳳珠郡能登町字越坂(石川県)九十九湾の漁火と灯台の灯りを眺めるYH初体験で目の前にある岬 [岬めぐり]
宮崎から内浦長尾を過ぎると、県道は真っ直ぐ南に下り、新保そして越坂(おっさか)の集落に入る。そこからまた北向きに変わるのは、九十九湾を大きく迂回していかなければならないからだ。
この越坂から西の真脇までの間には、市ノ瀬・小木・姫といった字地名を持つ町が、でこぼこと出入りを繰り返す海岸線に並んでいく。
「九十九」が「つくも」と読まれるようになったのは「ももとせ(百年)にひと(一)とせ足らぬつくも(九十九)がみ 我を恋ふらしおもかげに見ゆ」という「伊勢物語」の歌から、といった解説は判で押してあるのだが、明確にその国語的な意味を書いているWeb辞書がないのは意外だった。
“100に1足りない数”であるだけでなく、その「数が多い・たくさん」という意味があるはずだと思っていたが…。九十九をイグサやカヤツリグサのような植物や、百から一を引くと白だというところから老人の白髪などとする…といった説明だけでは、辞書の役には立たないのではないか。
長崎県佐世保市の九十九島は、“多島海”を意味しているし、千葉県の九十九里浜も“長い浜”を表しているのだろう。ネット情報の中には、「入り江が99あることから名づけられた」と書いてあるのもあったが、99という実数を示しているわけではないはずである。
ここ九十九湾も、その伝でいけば“湾がたくさん”ということになる。越坂から真脇までの海岸線には、ざっと見ても大中小取りまぜて10以上の湾があると数えられる。
その九十九湾でまず最初の岬が、越坂の城ヶ崎である。県道からは600メートル近く離れているので、ここは湾口を挟んで対岸の小木から眺めることにした。
それというのも、あれこれ紆余曲折の末、能登町での宿泊は小木の能登漁火ユースホステルにしたからで、そこからはすぐ目の前に城ヶ崎があるのだ。
湾をぐるりと回り込んだバスは、トンネルを抜けて小木港の岸壁に出る。
そこで降りたときには、もう日暮れ方であったうえに、また黒雲が低く立ちこめ、雨がぽつぽつ落ちてくるような空模様になり、あたりはもう暗くなりかけていた。早く宿へ行きたいところだが、だが、その前に翌朝も早いバスに乗らなければならない予定を考えると、先に小木湾周辺のふたつの岬をみておく必要があった。したがって、ここでも実際の行動順と項目の掲載順が違ってくるが、そのふたつは後回しにして…。
まず、九十九湾中央に飛び出た岬の先端近くにある能登漁火ユースホステルに着くと、城ヶ崎は部屋の窓越しにも灯台に灯りが点るときと、翌朝にゆっくりと眺められた。
でんでんむしは、もうとうにユースでもないし、なにしろYH初体験ので、いささか躊躇もあった。が、予約問い合わせのメールのやりとりと、サイトの親切な道案内に導かれて、初めてのYHである。
流儀にはいささか戸惑うところもあったが、他に客もなかったようで、心配した相部屋になることもなかった。
YHと城ヶ崎の間は340メートルしか離れていない。ここがメインの九十九湾の湾口である。越坂の城ヶ崎には灯台がない代わりに、YHがある小木の岬の海中には灯台があるが、この岬には名前がない。日和山という漁港の周辺にはよくある名前の山は、漁船のための観測所であったろう。
岬めぐりで地方を歩いていると、こんなところにとびっくりするような立派な大きな家があったりするのだが、YHの並びにあった湾に面して広い庭園を備えた“大豪邸”にはおおいに驚いた。
YHの前や向かいの岸壁に係留する漁船もあるが、漁港のほうのメインは、無名の岬の南側ふたつの湾に分かれた小木港になる。
つまり、九十九湾は北側が溺れ谷特有の自然の美しさを誇る入り組んだ湾で、南側は多数の漁船が出入りし停泊する漁港の岸壁になっている。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度18分11.25秒 137度14分21.33秒
北越地方(2015/09/13〜14 訪問)
タグ:石川県
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