1287 宮崎=鳳珠郡能登町字白丸(石川県)地域情報がまったくなくて突っ込めない岬が多いがここも… [岬めぐり]
立壁の城ヶ崎のある出っ張りは、字名では“立壁”のほかに“四方山”というのが東側にある。“よもやま”なんて、なかなかおもしろいのだが、それ以上に突っ込めないところがもどかしい。
その四方山の南が白丸の集落で、この南側に丸く突き出たのが宮崎である。
県道35号線が海岸に出てきたところからは、地形的には直径400メートルほどの半円が海に突き出ているような飛び出しになっている。道路はこの20メートル超くらいの高さしかない出っ張りの半円周に沿うようにして迂回している。このくらいの高さだとトンネルを掘るまでもなく、難なく坂道で越えられそうだが、そういうショートカットコースを取らず、岬を回っているのは、もちろん、出っ張りも小さいために、海岸沿いを行くほうが楽で自然でもあったのだろう。また、そこが土木技術が発達するよりずっと以前の、古くから人の住む中心的な重要な場所であったからだとも考えられる。
この半円の東の端に、宮崎という岬名表記が地理院地図にはある。
宮崎というのは地名にも人名にも多いが、岬のある所在字地名は宮崎でなく白丸だから、この宮崎は地名ではなく始めから岬の名前であったのかと思われる。が、やはりこの宮崎も明治までは「宮崎村」という独立した村であった。その古い地名が消えた後に、岬名だけが残っているのだ。
1889(明治22)年には、九里川尻村・立壁村・四方山村・白丸村・長尾村・新保村・秋吉村・清真村・河ヶ谷村が合併して宮崎村が成立したと記録があり、その後には松波村と合併している。
白丸から県道はちょっとだけ海岸沿いを走り、また古そうな家並みの中を通り抜けて行く。宮崎は、家が並ぶその向こうになるが、ただ丸いだけの岬はこれというポイントもなく、家のすぐ裏から海に出られるようにも見える。
低い丘が北風を避けるように延びている丸い出っ張りの南側には、小さな漁港がある。漁港の西に流れる水流を越えると、地名が能登町も字内浦長尾と変わるので、ここらまでが旧宮崎村の領域であったのだろう。
バス停では、その漁港に近いところが“新村”という。村の領域の南は、漁港とともに新しく開けた村ということなのだろうか。
だとすると、そもそもの“宮崎村”の中心だった場所は、どこだったのだろう。バス停の名は、しばしば現在の地図から消えた地名やその痕跡を残し伝えていることがあるが、バス停を示しているWeb地図は、知る限りMapionしかない。平素地図として至らぬところを厳しく注文するほうが多いのではあるが、こういうときはMapion頼みになる。
それによると、県道が海岸に出る少し手前、白丸郵便局の手間に“能登宮崎”のバス停があった。
そこはこの付近ではいちばん大きな集落があるところで、平地も広く漁港もその北にある。
つまり、現在能登町の字白丸といっている地域のほとんどが、旧宮崎村であったらしい。岬名のついている半円の先のところも、旧宮崎村のはずれだったわけだ。
では改めて、宮崎村の名はどこからきたのだろう。誰しも想像できることは、古いお宮さんがあったというくらいでしかないが、それらしい目だった神社の類いもない。
なにかないかと、Yahoo!地図を見ていたら、地理院地図にもMapionにも、もちろんGoogleマップにもない「∴ 宮埼」という表記が、丸い出っ張りの先についていた。「崎」ではなく「埼」というのは、灯台があったことを意味しているのだろうか。
う〜ん! なんじゃろか! これも、これ以上突っ込める情報がまるでない…。
ええっ? ここでこれだけ突っ込めば充分…だって? ま、そういうことにしておきましょうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度19分36.77秒 137度15分52.33秒
北越地方(2015/09/13 訪問)
タグ:石川県
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