番外:時国氏庭園=輪島市町野町西時国(石川県)ふたつの時国家が400メートルと離れず並んでいる [番外]
山また山が続く能登半島ではめずらしく、町野川の流域だけが山が切れて、幅が約1キロもある平地が展開する。地図ではその東側の山裾に、「∴ 」がふたつ並んでいる。町野町西時国の「時国氏庭園」と、町野町南時国の「上時国氏庭園」である。これはなんだろうと、前から気にはなっていたので、今回はそのひとつだけでも行ってみようと、白米千枚田、白崎を経由する町野線のバスで、下時国まできた。
とりあえずふたつある時国家(ときくにけ)のうち、手近なところにあるほうで、間に合わせることに。
パンフの説明によると、時国家は平時忠を祖とし、その子の時国の代からこの地に腰を据え農地を開き耕やし、時国村をつくってきた地域豪族である。江戸期には山廻役、御塩懸相見役、御塩方吟味人役など藩の役職を代々受け継いできた豪農大庄屋であったということらしい。その家が重要文化財として残されているわけだが、地理院地図ではどちらも「庭園」のほうがメインとなっている。どうやら家のほうは江戸期のものだが、庭園のほうはもっと古いらしいが…。
鎌倉様式の回遊式庭園は、みたところあまりたいした感銘を得ることはないようだ。しかし、それが歴史ある“国指定の名勝”であるため、そういう扱いになっているらしい。
因みにMapionでも「∴ 」で表示されているが、下は「能登安徳合祀時国家」と、上は「本家上時国家」となっている。
下でもらったパンフには「重要文化財 時国家」と表に記してあり、裏に小さくかっこ書きで(下時国家)と表記している。
横着をして足を伸ばさなかった上のほうのサイトでは、「珍しいタイプの民家 国指定 重要文化財・名勝」として「本家 上時国家」を名乗っている。サイトの作り方も専門家に依頼してつくった下と、いかにも手作り感あふれる上と対照的であるが、料金は下が600円で上が500円。
そもそも、どうしてここにちょっとだけ離れてふたつの時国家があるのか。それは、1634(寛永11)年になって、13代目にあたる藤佐衛門時保が、時国家を二家に分けたからであった。
なぜ、ふたつに分けたかといえば、天正年間に能登は加賀前田藩領になるが、その後の慶長年間には時国村の一部が越中土方領になるという事態になる。それを受けて、13代目自身は分家して加賀藩領に居を定めたということらしい。分家を決意した当主のほうが「下時国家」となるのだが、なぜ、自分のほうを分家にしたのだろう。
越中土方領のほうが「本家」を称することになったいきさつはよくわからないのだが、上のほうのサイトには「当家は本家です。分家は川下に屋敷を建てるのが礼儀でした。それで川上の当家を上時国家、川下の分家を下時国家と呼ぶようになりました。」と記して、案内図には下のほうを「時国家(分家)」と表している。
野次馬的観察では、この上下両家の間には、微妙な空気感が漂っているように見受けられて、なかなかおもしろい。
下の庭には「能登安徳天皇社」なるものがあるが、“源平800年”の1985(昭和60)年を期に設立された“全日本平家会”が、赤間神宮から下時国家に分霊という形で邸内社を建立したのだそうだ。
それはどういう因縁で? なぜここに? それがまたおもしろい。
時国家の祖である平時忠は、壇ノ浦で義経の源氏軍勢に破れた平家の数少ない生き残りで、そのなかでは平大納言は最高位の平家重臣であった。捕らわれて京に連れ戻されても死罪に問われなかったのは、彼が武人ではなく文官であったこと、神器のひとつである鏡を守ったこと、自分の娘を源義経に嫁がせるなどの事情があったらしい。
結局、1185(文治元)年、時忠は能登に配流されるが、その場所はここではなく、北東へ13キロの現在の珠洲市大谷であった。1189(文治5)年にそこで没していて平時忠公墓所もあるという。
時忠が言ったとされる「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」の意味は、だいたいにおいてよく誤解されている。これは自身が責任者となっていた建春門院の御願寺・最勝光院の造営が完成し、翌年には従二位に叙せられた頃に、平氏の栄華をたたえての言であるが、“人に非ず”というのは「宮中で栄達できない人」という程度の軽い意味だというのが、現在では有力な説となっている。
実際問題として、当時の状況はそれはごく当然、当たり前すぎるくらいのことであって、「言うまでもない」程度の常識にすぎなかった。言うまでもないことをことさら言うと、放言になってしまうという例なのか。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度27分0.83秒 137度4分41.28秒
北越地方(2015/09/12 訪問)
タグ:石川県
時国家 多くの本に載っていて ぜひ訪ねたいところです。
写真でおおよその雰囲気が分かりました。
ありがとうございます。
庭園が名勝とは知りませんでした。
by ハマコウ (2015-10-25 05:50)
@まったく個人的な興味だけで書いているので、充分な紹介にはなっていませんが…。
by dendenmushi (2015-10-26 04:41)
ここはまだ行ったことないんですよ。
こういうとこなんですね。
今度行ってみようと思います!
by ちくわ (2015-10-28 14:24)
@あれっ、以前に広島でだらだら漕いでいた「ちくわ」さんですよね。お久しぶりです。
今度は能登なんですか。外浦はあまりカヌー、いやカヤック向きではないかもしれませんね。
by dendenmushi (2015-10-28 19:15)