1274 白崎=輪島市町野町大川(石川県)ほんとうに白い白崎の地質はどういうものなのだろうか [岬めぐり]
白米の千枚田から国道249号線が坂を下って名舟海岸に降りてくると、その前方に白崎は見えてくる。辺りの景色のなかでも、そこがひときわ目立っているのは、文字通りそれが“白い岬”だからである。
どういう地質によるものなのかはまだわからないのだが、砂岩のようにも見受けられる岬の海食崖は、見事に白い。
白崎という名前の岬は全国にもいくつかあり、それが実際に白いというところもあるが、これまでのところその第一は和歌山県の日高郡由良町のそれであろう。そこは石灰岩だったが、ここはそうではないようだ。七尾や能登島付近の岬の崖と、共通するのだろうか。
白崎の向こうには、曽々木の山が見える。向山とツバ崎だろうか。
もしそうだとすると、そこはもう珠洲(すず)市の領域になる。白崎のある町野町は曽々木までで、そこが輪島市の東の端になる。輪島市の海岸線は、半島の北西部で南の黒崎から北の白崎を含み、ごく大雑把にみても優に60キロを超える。
名舟漁港の手前の海岸道路の防波堤には、押し寄せる青い大きな波が描かれていて、白崎もだんだん大きくなってくる。これを描いた人は、どんな意味を持たせようとしたのだろう。
三っ子浜という白崎の南では、道路と海の細い土地に、揚げ浜塩田という看板があった。奥能登では塩田も盛んにやっているということは、ちょっとだけ知っていたが、ここからさらに北東へ続く海岸では、こうした製塩施設がいくつかある。
小学校か中学校か、場所がどこだったのかもはっきり覚えていないのだが、塩田の見学に行った記憶があって、なんとなくそのときに学んだ知識が残っている。
製塩法には、古代の藻塩や現代のイオンなんたらを別にすると、大きくは揚浜式塩田・入浜式塩田・流下式塩田の三方式がある。が、現在の製塩業ではほとんどが労力が少なくて済む、効率的な流下式になっていたはずだ。
どんな分野でも、先祖返りで一度は時代に合わないと捨てられたものが、また復活するような傾向がある。
製塩もまた近年、昔ながらの方法でやろうとする動きもあるのだろう。
実は能登も割と古くから製塩が行なわれてきた地域で、桶で汲んできた海水を砂地に撒いて蒸発させ、釜で煮詰めて結晶化するという「揚げ浜式」を取っていた。その技法はもともとは上杉藩や米沢藩で行なわれていて、例の赤穂の塩も最初は、上杉・米沢に習ってこの方法に寄っていた。
ところが、赤穂では瀬戸内の利点を活かして、潮の干満と砂の毛細管現象を利用した「入浜式」で技術革新を図り、他に抜きんでることに成功する。
そしてあの「忠臣蔵」の話も、実は…というのは長くなるのでやめておこう。
とにかく、能登でも昔からの方法で製塩をやっているわけだが、もちろんそれは塩の市場を左右するようなものではなく、観光と結びつけた地場産業の復興と継承といった意味が大きいのだろうと思われる。
能登のホテルがどこもいっぱいなうえ、北海岸の宿泊施設の情報が不明確だったので、バス便と合わせて相談をした観光案内所が仲介してくれたこの日の宿は、輪島市の曽々木から東に行き、珠洲市に入った真浦に古くからある観光旅館であった。
その部屋の冷蔵庫には「塩サイダー」(一本300円)というのがあって、日中もかなり暑い日だったのでこれを試してみた。とてもおいしかった。それも能登製塩の産物であった。
ここにも義経ゆかりの舟隠しがあると、どこかで見たような気もする白崎を過ぎると、町野川の河口に半島北部ではここだけという広い平野が出現し、大川浜の砂浜海岸が伸びている。町野線のバスはここから海岸を離れて山に入って行くが、その分かれ道に曽々木口のバス停がある。
曽々木海岸の象徴でもある窓岩は、白崎の東から眺められる。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度26分59.23秒 137度2分48.49秒
北越地方(2015/09/12 訪問)
タグ:石川県
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