番外:笠島海岸=柏崎市柏崎市大字笠島(新潟県)芭蕉にはどうも関係がないらしい丘の下の浜で“あまちゃん”発見! [番外]

小さな漁港と夏には海水浴場になるこれまた小さな砂浜と弁天社が祀られた赤茶色の岩むき出しの笠島と防波堤があるだけのような静かな海岸である。

駅の裏手にも民家はあるが、笠島集落の主体は、ほとんどがその裏手の丘の上や斜面に固まっている。その丘は海岸までせり出しているので、平地はほとんどない。
東隣の青海川集落の場合には、谷根川という川が米山山系の奥深くから流れ出ているので、その川筋にも民家があるが、笠島では川もなく海岸線の斜面に細長く集落がへばりついている。

静かな朝の笠島海岸である。砂浜のそばにある東屋のようなところで一休みし、しばし小さな漁村(広い畑らしいものもほとんどなさそうなので)の朝である。
すると、ウエットスーツ姿のようなおばあさんがひとり猫車を押して笠島の弁天社のほうへ行った。まもなく、今度は若目中年のおじさんが同じような格好で、見知らぬよそ者にも朝の挨拶をしながらトンネルのほうへ過ぎて行く。挨拶を返すと、またひとり…。

なにげなしに見ていると、弁天社のある笠島のほうに行ったおばあさんは、弁天さんに手を合わせてお参りすると、なにやら身支度を調え、浮きを浮かせ、それを押すようにして海に入っていった。

ベテランの“あまちゃん”なのだ。
すると、トンネルのほうへ行った男の人たちも…。
田塚鼻の先には岩礁が伸びているようだし、男たちはそっちのほうへ、あるいはトンネルをくぐって牛ヶ首のほうへ行ったのかも知れない。女の人は近場の笠島周りが、仕事場になっているのだろう。

素潜りだから、あわびやさざえといった貝類か、また季節によってはわかめなどの昆布類もあるのだろうか。
田塚鼻についても笠島についても、実質的に中身のあるネット情報はきわめて乏しい。
そのなかでは「田塚屋」の「日本一と言われる笠島産もぞく」というのが唯一目立っていた。“もぞく”というのは“もずく”のことである。
そこでは、「出雲崎産と笠島産の違いは、取れる場所は当然違いますが色、太さ、歯ごたえが多少違います。日本一と言われる笠島産のもぞくは深い海の底の石に着きますので、色も黒くミネラルもたくさん含んでおります。何をとっても歯ごたえがシャキシャキして素晴らしいです。」とあった。

「かさしま小唄」の碑が立っている浜からすぐのところを信越本線の線路が走り、そこから丘への上には国道8号線が通り、さらにその上を伸びる北陸自動車道が笠島の東で米山ICとSAになっている。浜から自動車道まで水平距離では380メートルしかない。
その狭い幅の間に三本の幹線が通っているのは、そこから南には標高993メートルの米山を中心とした大きな山塊があるためである。米山三里と呼ばれた青海川から関所のあった鉢崎まで米山の裾を越えて行かなければならないこの付近は峠を上り下りして越えていかなければならない旅の難所でもあったろう。
この笠島の海岸と山のわずかな隙間をぬって旧道があり、古来からの多くの旅人は、必ずここを通らなければならなかったわけで、奥の細道の帰路の芭蕉と曾良もここを通って行ったはずだ。

曾良の記録によると、陰暦7月5日雨上がりの道を鉢崎まで行き、その日の宿は“たわらや六良兵衛”方に泊まっている。問題はその前にある。
「五日 朝迄雨降ル。辰ノ上刻止。出雲崎ヲ立。間モナク雨降ル。至ニ柏崎一ニ、天や弥惣兵衛へ弥三良状届、宿ナド云付ルトイヘドモ、不快シテ出ヅ。道迄両度人走テ止、不止シテ出。小雨折々降ル。申ノ下尅、至鉢崎 。宿たわらや六郎兵衛。」
曾良の旅日記では、5日の朝には出雲崎を出立していて、本来はその日は柏崎に泊まるはずであった。ところがよほどそこでの対応に頭にきたらしく、「不快シテ出ヅ」のみならず、二度までも追ってきた人が止めるのを振り切って、小雨の中を鉢崎まで足を延ばしている。出雲崎から米山の鉢崎までは、40キロ近くもある。芭蕉さん、相当な根性である。
そういう事情だったから、笠島を過ぎるときにも決していい気分ではなかったろう。
国道8号線が田塚鼻の南を越えるところには、「芭蕉ヶ丘トンネル」が通り抜けている。“芭蕉ヶ丘”ってえと、なんかそれらしい謂われがあるのだろうと誰でも思うが、どうやらなにもなく、勝手なイメージでそうつけたとしか思えないようで…。
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