1252 蛭子前崎=酒田市飛島(山形県)港を守る岩の岬からはウミネコは既に引っ越していった後のようだが [岬めぐり]

蛭子(えびす)という名前が飛島の東南端の岬についたのは、前項でもふれた、古代文字だとか、館岩とか謎の洞窟とか、海賊の根城になっていたといった一連の言い伝えと関連があるのかも知れない。

実際、島の南端で東にしゃくりあげるようにして突き出た岩の大きな塊は、周囲を断崖と岩磯で取り巻かれていて、柏木山のほうとは明確に切れているので、ここももともとは海中の島だったのが陸繋島になったものなのだろうか。

風を避けて、船を寄せるにはまさしく絶好の地にあって、蛭子前崎もその港の役目を助けている。
その館岩とされているあたりを見ても、現在ではウミネコの姿はほとんどいないか、いてもごく少ないようだ。

酒田港を出た双胴の定期船「とびしま」が発着するのは、南北に長い飛島漁港のいちばん南端に奥まったところで、岩の岬がしっかりと港を守っている。桟橋は小さく目立たないが、三角にとがったマリンプラザの建物が発券場と待合室になっている。船が着く向こうの防波堤には、三角屋根の国土地理院の験潮場もある。

この周辺には、海釣り公園や発電所もあるほか、駐在所や数軒の民宿も集まっていて、島の中心になっている。
八木アンテナの無線通信の記念碑は、マリンプラザと自転車借り場との間にあったらしいのだが、まったく気がつかずに通り過ぎていた。
このあたり、でんでんむし的行動パターンの分析・反省材料になるかも知れんな。
行きも帰りも、時間を気にしていたのと、岬がメインで次の岬、次の岬と気にして先を急ぐものだから、うろうろきょろきょろする余裕がなくなってしまっていたのだろう。

それにもうひとつ加えるならば、外来者に対する島の情報提供とガイドするという点では、飛島の場合はいまひとつな感じもする。ここにこんな記念碑があるよ、というのが道を歩いていても気がつかない。
もちろん、島に来る人のうち、いったいどれだけが無線通信の記念碑に興味を持つか、何人がおもしろがるがどうかはわからないが、そう多くないことだけは確かだとしても…。
新潟の粟島と山形の飛島は、立地や形態もよく似た日本海の離島である。
どちらも、漁業が主とはいえ、それ自体での存立は困難で、どうしても漁業と観光をくっつけた形での模索を続けなければならない。
その点、そういうアピールできる要素は、粟島では飛島に比べると少ないにもかかわらず、あるものはすべて目一杯観光に利用するというか、島を訪れる人に見てもらおうという姿勢にあふれていた。
言い換えると、なんだかなぁというような小さな祠まで、ガイドマップに載せてその由来などを説明しようとしていた。
それに比べると、飛島のほうは先の緯度経度観測地点にしろ、無線通信記念碑にしろ、マップに小さく記載があるだけで、なんの説明もない。そんなことしなくても、そんなたいしたことじゃないよ、という余裕といえば余裕なのか。
粟島は、一島でひとつの粟島浦村だったが、飛島のほうは本土の酒田市という地域では大きな街の一部である。酒田市には、もっともっとたくさんの魅力的なポイントもたくさんある…。その差も結構あるのだろう、とは推測できる。
もうひとつ付け加えるならば、近年はどこでも観光ガイドのパンフレットや案内板などには力も入れ、お金もかけているようで、それはそれで結構というべきなのだが、そういうなかには、パンフの制作者や記事を書く人などが、実際には現地に行かずにつくっている…というような感じがありありのもある。(飛島がそうだというのではありませんよ。誤解なきよう)
もうちょっと、ガイドをする人には、それなりの愛情をその対象に抱いて、徹底的におもしろがっていただかないと…ねッ。
ま、とにかく不充分なところも残ったが、いちおう飛島の岬めぐりはこれで終わりになる。鳥海山を見ながら、酒田港に戻る。

▼国土地理院 「地理院地図」
39度10分59.06秒 139度33分0.67秒




タグ:山形県
コメント 0