1251 長崎(賽ノ磧)=酒田市飛島(山形県)寺田寅彦とウェーゲナーと地理院地図にない岬を結ぶ三角測量 [岬めぐり]
地理院地図では賽ノ磧という表記があるが、これはいったいなんだろう。そう思っていたら、なんとこれはいわゆる「賽の河原」のことで、全国にそれを「賽ノ磧」と表記をしているところは、海岸だけでなく河原や山の中にも多くあることがわかった。飛島マップでは、“賽の河原”としている。確かにこのほうが馴染みはある。
その場所は、柏木山(57.9メートル)の西の海岸で、岩礁が連なる場所である。同じマップで、そこから100メートルちょっと南東にずれたところには「長崎」という表記がある。地理院地図にはこれがないので、一項目を設けた。
北から走ってきた道路がどんどん下って、山を切り裂いたように両側が崖になった道に入ると、正面に長いスロープの橋が架かっており、その向こうには蛭子前崎が見えてくる。
だが、その前に…。ちょうど柏木山の東を切り開いた崖の道を過ぎて、橋の手前で自転車を停め、振り返るとその山が迫っていた。長い石段が山の上に向かって伸びていて、この上にも道が続いていて、“経緯度観測地点”と飛島マップにはある。
でんでんむしは地図が好きで、実は岬にかこつけて日本地図のせめて輪郭だけでもなぞってみたい、というのがこのブログの隠れた狙いなのである。
昔に読んだものだが、寺田寅彦の「地図をながめて」という短編エッセイがある。
今、かりに地形図の中の任意の一寸角をとって、その中に盛り込まれただけのあらゆる知識をわれらの「日本語」に翻訳しなければならないとなったらそれはたいへんである。等高線ただ一本の曲折だけでもそれを筆に尽くすことはほとんど不可能であろう。それが「地図の言葉」で読めばただ一目で土地の高低起伏、斜面の緩急等が明白な心像となって出現するのみならず、大小道路の連絡、山の木立ちの模様、耕地の分布や種類の概念までも得られる。
その一節でこういうこの短編は、地図をつくる人々の苦労にも細かく触れていて、きっとこれまで地図にたずさわる仕事をする多くの人たちの励ましとなってきたことであろう。
日本の地図測量の基準点になっている緯度経度の原点は、東京都港区の国土交通省狸穴分室敷地の一角に設置されている。が、ここ柏木山の上に“経緯度観測地点”がわざわざ記されているのはなぜだろう。そのことについては、マップでもどこでもまったく説明がないが、これには実はおもしろい話が隠されていた。
寺田寅彦は、アルフレート・L・ウェーゲナーの大陸移動説をやはり当時から信じていたらしい。その説を日本でも検証しようと発案して1928(昭和3)年に実施したのが、鳥海山麓秋田・山形県境付近の三崎山と、酒田市の飯森山(土門拳記念館があるところ)と、そしてこの飛島の柏木山の三点を、二等辺三角形で結んでの経緯度観測だった、というのである。(土木建築の近代化遺産 No.72 経緯度観測点・測量台座 にかほ市象潟三崎山 取材・構成/藤原優太郎)
柏木山の南には入江があって、きれいに整備された海水浴場になっている。八方海に囲まれている小さな島でも、海水浴ができる場所はここしかないらしい。それもいささか皮肉なことである。
長崎のある崖の出っ張りと、大小の岩島に囲まれるようにしてある小さな入江の砂浜は、シーズンを前に人の気配もなく静まりかえっている。ここが“アシカ”の尻尾である。
海水浴場から海岸の岩磯を伝って行けば、柏木山の西側に通じる遊歩道もあるとマップにはある。そこまで行けば長崎を抜けて、賽の河原へ行けるらしく、そしてまたその途中の山の上が、トビシマカンゾウの自生地になっているようだ。
しかし、もう船の出る時間もだんだん近づいてきているので、それはやめておかなければならない。橋の上から長崎のほうを眺めるだけで…。
定期船「とびしま」が島に近づいたときに、その西の端で長崎の付近がいちばん最初に見えていたわけだ。
長崎から西に1.5キロ付近の海上には、いくつもの島影が集まっていた。
いちばん大きい御積(おしゃく)島をはじめとして、地理院地図では10あまりの小島に名前がついている。いかにも釣り場として格好な様子も伺えるが、飛島のウミネコ繁殖地でもあるようだ。また、北の二俣島と並んで、柱状節理の層が見られる場所でもあるという。
▼国土地理院 「地理院地図」
39度10分56.06秒 139度32分35.48秒
東北地方(2015/06/30 訪問)
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