1247 戸ヶ崎=酒田市飛島(山形県)ナゾのアナもある島の東海岸沿いに自転車を走らせて行く [岬めぐり]

“玉乗りアシカ”の尾びれのところにある飛島漁港があるところが勝浦で、この島の中心だが、酒田市の一部なので町役場などはない。出先機関のようなものも見当たらなかったが、どこかでその役目は負っているのだろう。港の南の端に連絡船の発着場があり、マリンプラザという島一おしゃれな建物が待合発券所になっている。
当方は、とにかく自転車でできるだけ岬を全部回りたいが、時間は不足気味である。急いで降りて、貸し自転車のあるところまで行き、一台のママチャリを借りる。無人なので、ドラム缶のうえにある貸し出し帳に記入するだけで、あとは勝手に適当なのを選んで、さっそく漁港に沿って北へ向かって走り出す。
港の岸では、おばさんたちが天日干しにする魚を開いて盛大に並べて干したりしていた。自転車を停めてその写真を撮ろうと思った矢先、そのおばさんと目があってしまった。そういうときは、遊びに来ているこちらとしては、働いている人に遠慮してしまう。ちょっと、ひるんでしまった。なので写真はない。
比較的長く展開している漁港は、定期船の桟橋から北北東方向に1.7キロも続いていて、その北のはずれが戸ヶ崎になる。
戸ヶ崎という名前は確かに地図上にはついているけれども、ここは単なる道路のカーブに過ぎなくなっている。崖の出っ張りが邪魔で、それを迂回するように道路が取り付けられて、その南側は漁港の船溜まりを囲う堤防と岸壁になっている。

なので、さっぱり岬らしくない。
だが、ここも漁港が拡大して港湾護岸工事が進む以前には、それなりの岬であったのだろう。
自転車を借りたところと戸ヶ崎の中間くらいのところは中村の集落になるがその外れの道路脇に、フェンスの切れ目があって、なにやら看板が立っていた。地理院地図にもあって、はてこれは何だろうと思っていた「テキ穴洞穴」というのが、そこであった。

「陸洞、謎のテキ穴」と大見出しがあるその看板によると、「イ」の字型になった洞窟が50メートルも続いていて、昭和39年には平安時代の人骨22体や須恵器が発見された、とある。
こりゃまたナゾの多い看板である。そもそも謎なんだからなにもわからないといえばそうなのだろうが…。それにしても、なんにも説明されていない…。
陸洞ってのも耳慣れないし、テキ穴ってなに? 昭和39年発見ってその前はいったい?

覗いてみると穴の入口付近は、後からつけたような四角い通路で、その奥が洞窟になっているようだ。天井から鍾乳石のような形をした岩が垂れ下がっている。

どうやら、これも中学生らの遊び探検から見つかったものらしく、それ以前から島民の間では忌むべき場所として敬遠されていたようだ。テキ穴の「テキ」は「狄」ではないかという説もあるようだ。
もともとは海食洞で自然にあったものだろうから、穴の入口は道路ができる前には直接海岸に通じていたのだろう。
発見された人骨は、現在は鶴岡市の致道博物館にあるそうだが、その説明板でも墓の可能性もあるとしながらも、結論は「ふにおちない状況」としているという。
やっぱり、「謎」はナゾなんだということがわかった。
中村には、もうひとつふたつ石碑があって、それは「婦人火防組発祥の島」というのと、大正時代にこの島に遊んだ歌人の歌碑であった。

男たちが漁に出た後、留守を守る女たちで防火組織をつくったのは、1910(明治43)のことで、大正に入って正式に婦人消防団になったと、飛島のパンフレットにあった。歌碑にある歌のほうは、こうである。
鳥海山の山すそかすむ海のうへ かぎりも知らに秀波たちみゆ
凡人としては「鳥海山」とかいて「ちょうかい」、「秀波」と書いて「ほなみ」と読ませるという和歌の流儀が、どうもよくわからん。

この島には、ほかに八木アンテナ無線の碑などもあるようなのだが、それは見逃した。
戸ヶ崎から北を見ると、岩島と岩礁地帯が大きく展開して…。

▼国土地理院 「地理院地図」
39度11分39.53秒 139度33分26.55秒




タグ:山形県
コメント 0